05.新居での発見
商業ギルドの一階に下りると、すでにマルチェラが待機していた。
運送ギルドから来てくれた男性二人と一緒だった。
三人とも、運送ギルドの鮮やかな緑の腕章をしている。これは「風のように早く軽く運ぶ」ので、この色なのだそうだ。
「ダリヤちゃん、手続きは終わったかい?」
「ええ。全部終わったから、すぐ行けるわ」
「じゃ、すぐ運ぶとするか」
早速、新居となるはずだった家に、大きい馬車で移動する。
ただし、馬車といっても、引いているのは灰色の
馬よりはるかに力がある為、運送ギルドでの利用率は多いらしい。
普通の馬の1.5倍ほど大きいが、思いの外温厚そうな顔と、黒い瞳がかわいく見えた。
馬車で移動すると、家には数分で着いた。
トビアスは新居の立地条件として、商業ギルドと自分の実家であるオルランド商会に近いことを重視していた。商品の輸送や打ち合わせを考えてのことだった。
だが、それも自分にはもう意味がない。
新居には誰もいなかった。
ダリヤは少しだけほっとして、荷物と家具を確認する。
「廊下にある箱と、作業場にある箱で、前回運んでもらったものです。まだ荷ほどきしていないので、そのままお願いします」
先週までは、ダリヤの家の作業場に、トビアスが来て作業をしていた。
こちらの新居に来るにあたり、トビアスは機材をだいぶ新しくしたが、ダリヤは使い慣れている物がいいので、古い物を持ち込んでいた。梱包された状態なので、そのまま持ち帰るだけだ。
「家具はクローゼットとドレッサーだったよな?」
「ええ、中はまだ何も入れてないわ」
クローゼットとドレッサーは、母の形見である。
もっとも、自分は母の顔すら知らないので、父が大事にしていた家具という意識の方が強いのだが。
どちらもダリヤの部屋になるはずだった場所においてある。
「わかった。梱包してある方はそのまま運ぼう。クローゼットとドレッサーは布を二重にかけてくれ」
マルチェラの指示で、運送ギルドの男が布の準備をはじめた。
「他に運びたいものはあるかい?」
「寝室のベッドは私が買ったものだけれど、塔にベッドはあるし……どうしようかしら」
「分解して運ぶか、売っぱらうかだろうな。トビアスに買い取らせてもいい」
話しながら、寝室に向かう。
トビアスの希望で大きめサイズのダブルベッドを買ったのだが、割といいお値段だったのを思い出す。
ベッドのサイドテーブルのライトは、仕事柄の興味半分で、新型の魔導具で明度調整付きを注文した。
どんな作りかだけは確認しておこうと思いつつ、ダリヤは寝室に入る。
「っ……!」
一歩踏み込んだ結果、サイドテーブルを確認する間もなく、戻ってドアを閉めた。
アイボリー系でまとめた寝具はすべてぐちゃぐちゃに乱れ、床には枕が落ちていた。
「ダリヤちゃん、どうした?」
「ええと、ちょっと……」
後ろにいるマルチェラに、濁した返事をする。
「誰かいたのか?」
「いえ、今は、いないけど」
「……悪いが、中を見せてもらってもいいか? 泥棒が入ったり、隠れている可能性もあるから」
「あ、そうね」
ダリヤはドアから飛びのいた。
泥棒についてはまるで考えていなかったが、新居は狙われやすいとも聞く。警戒も確認も大事だろう。
「あの、私は入らなくてもいい?」
「ああ、俺が確認してくる。寝室の横に洗面台とトイレがあるタイプの部屋だよな」
「ええ……」
運送ギルドで、いろいろな家屋敷の間取りを知るマルチェラだ。説明しなくても間取りの予想がついたらしい。
彼は最初に耳をそばだてた後、金属棒を手に、警戒しつつ部屋に入って行った。
「……トビアス……あの大馬鹿野郎……いっぺん死んでこい……」
ドスの利きまくった声がドアの間から低く漏れたが、ダリヤは一切聞かなかったことにする。
「……泥棒じゃなかった。馬鹿が1、2匹いるだけだ」
トビアスは、マルチェラの友人枠はもちろん、人間としてのカウントからも外されたらしい。
「すみません! マルチェラさんだけ、ちょっといいですか?」
「ああ、すぐ行く」
出てきたマルチェラを、別の部屋で作業をしていた男が呼びにきた。
運送ギルド内の話だと思えたので、ダリヤは廊下に積まれた箱をぼんやりと見ていた。
思ったよりも荷物は少ない。新居が片付いてから運ぼうと思い、季節違いの服や本は元の家に残してきた。それは正解だったようだ。
「あー、ダリヤちゃん、ちょっといいか?」
廊下に顔を出したマルチェラだが、その表情がひどく暗い。鳶色の瞳が陰っていた。
「なにかあった?」
「すっごく言いにくいんだが……クローゼットに女物の服がかかってる」
「……早いわね」
「悪いが、確認してくれ。あれダリヤちゃんのじゃないよな?」
「ええ、間違いなく」
淡い黄色のパフスリーブのドレスに、色とりどりの小花柄のストール。そして、レースたっぷりのピンクのガウン。
デザイン以前にサイズだけで、ダリヤのものではないとすぐわかる。
そもそもこんな系統の服は一枚も持っていない。
「あと、ドレッサーの方にあれが入っていたそうだ」
マルチェラがテーブルを指さす。
そこにはピンクの化粧ポーチと、白いハンカチの上、銀のペンダントがあった。平たい円形のペンダントトップには、見慣れない紋章が彫り込まれている。
ダリヤはそれを見て、眉間に
「これ、たぶん貴族ね。子爵以上の」
「男爵とかじゃないのか?」
「男爵に紋章はあまりないと聞いているわ。大型魔物の討伐で武器を授与したとかなら、それに刻印されるそうだけど」
直接は触れず、ハンカチの端でペンダントトップを裏返してみる。
古いので薄くはなっていたが、きちんと家名が刻まれていた。
「タリーニ……うん、お相手の物ね」
トビアスの言っていた女の名は、エミリヤ・タリーニ。
タリーニという名前は平民でもあるので、貴族だとは思っていなかった。
「あの、その紋章、タリーニ子爵家かもしれません。王都の南街道で、四つ先の街を治めています。僕の祖母が、そこの出なので」
一人の声に、他の全員が微妙な顔になった。
トビアスがこの家に連れ込んだ女性は、少なくともタリーニ子爵の関係者であり、それを知らせるためにペンダントを置いていた可能性がある。
「トビアスを捕まえてくるか?」
「いいえ。そのペンダントの持ち主、今、オルランド商会にいるの。こちらはもう終わったことだもの。連絡するつもりはないわ」
「わかった。だが、ちょっとかかるが、公証人を入れて、持ち帰る物を証明してもらった方がいい。貴族が関わる可能性があるなら、その方が安心だ。最初に運んできたものも、こっちで明細書を出しておく」
「ありがとう。ちゃんと頼むことにする」
余分な出費が増えるが、トラブル回避の為には仕方がないだろう。
「公証人は運送ギルドから呼びますか? それとも商業ギルドの方がいいですか?」
「すみません、商業ギルドの公証人であいている人がいれば、呼んでもらえますか? 可能であれば、ドミニク・ケンプフェルさんをお願いしてください」
「わかりました。すぐにお迎えに行って参ります」
男が一人、馬車を呼びに走って行く。
「ごめんなさい、皆さんに手間をかけさせてしまって……」
「恋人でも夫婦でも、別れるときには、家具と荷物でけっこうもめることが多いもんだ。公証人だってよく呼ぶし、俺達には手間でもなんでもねえよ」
「そうですよ。ロセッティさん、どうかお気になさらないでください」
あきらかに気を遣ってくれている男達に、なんとか表情を取りつくろう。
それを見透かしたかのように、マルチェラが言った。
「ダリヤちゃん、なんなら公証人の費用はこっちでもって、トビアスにつけるぜ」
「いいえ、私が払うわ。なにか言われたら面倒だし」
「じゃあ、俺が『あの馬鹿の嫁にならなくてすんだ祝い』として出す」
「気持ちだけもらっておくわ。それより、塔に帰って落ち着いたら、イルマと一緒に夕食を食べに来てちょうだい。今度は私もしっかり飲むから」
「ああ、ぜひ行かせてもらう、いい酒を持ってな」
トビアスと一緒の時、ダリヤはグラス一杯までしか飲まなかった。
彼はダリヤが酒を飲むのを好まなかった。
『酒を飲んで女が顔を赤くするのはみっともない』そう言われ、いつの間にか飲まなくなっていた。
トビアス自体は飲んで気分を悪くしたり、酔いすぎてマルチェラに背負われて帰ったりしたこともあるのだが。
今後は気兼ねなく飲めるのだから、街の酒場で、三人で飲むのもいいかもしれない。
ぽつぽつと雑談をしていると、さきほどの男と一緒に、公証人のドミニクがやってきた。
「ドミニクさん、さっきお手数をおかけしたばかりなのに、すみません」
「いえいえ、いつでも相談してくださいと言ったじゃないですか。お気になさらず」
柔らかな笑顔のドミニクに、今回の引っ越しについて、家具と荷物、自分の所有物ではない物について、ダリヤは一息に説明した。
淡々と説明したつもりだが、全員から同情の色がひどく濃くなっていくのが、なんともいたたまれない。
ドミニクは顔色を変えることなく、家具と荷物の確認をし、あっという間に書類を作ってくれた。
「おいくらですか? 今、お支払いしますので」
「いえ、さきほどのお時間が少し余っていましたので、書類代の銀貨3枚でけっこうですよ」
「ありがとうございます」
ドミニクに銀貨を渡し、改めて移動の準備をする。外の日差しは陰り、すでに夕方に近い。
引越用のこの馬車は、後ろに荷物を積む部分と、人が数人乗れる座席がある。荷物を積み、全員で後部に座って移動した。
馬車と人との混み合う時間になってきたため、来るときよりは時間がかかったが、10分ほどで商業ギルドについた。
「窓口経由で家の鍵を返すことになっているから、ちょっと行ってくるわ」
「俺が置いてこようか?」
「お疲れでしょう、お二人とも。鍵は私が持っていきましょう」
商業ギルドの前で下りようとすると、ドミニクに止められた。
「いえ、ドミニクさんにそこまでして頂くわけには……」
「今行けば、好奇心旺盛な者に捕まるかもしれませんよ」
確かに、ギルドに入った途端、顔見知りの者達から根掘り葉掘り聞かれそうな気はする。
疲労感のひどい今、正直、それはものすごく避けたい。
「……すみません、お願いします」
「はい、確かにお預かりしました」
ドミニクは鍵を預かると、少しうつむき、それからダリヤに視線をまっすぐに合わせた。
「ダリヤ嬢、こういうことを言うのは不謹慎だとは承知していますが、よい機会とよい選択だったと思います。あなたのこれからに、幸いが多いことを祈ります」
「……ありがとうございます」
ダリヤは礼の言葉を返し、彼の背を見送るのがやっとだった。