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41.揃いのワイングラス

 昨日の昼過ぎ、ダリヤの元にヴォルフの使いが来た。

 前回と同じく、封書を届けに来ただけだと思っていたら、『ご確認の上、よろしければお返事をお願いしたいのですが』と門の前でにこやかに告げられる。


 慌てて中をのぞくと、『遠征から戻り、翌日から二日の休みがとれたので、都合がつくようであればどちらかの昼前にお会いしたい、忙しいようであればまた次に』という内容がしたためられていた。


 返事は口頭でも封書でもかまわないとのことで、使いが便箋をすでに準備していた。

 口頭というのもどうかと思ったので、貸された木の盤の上、その場で『ご無事に戻られて何よりです。明日でしたら空いております』と書き、署名を入れた。


 高級な便箋の上、自分の字がはてしなく下手に思えた。

 使いは丁寧な礼を述べて戻って行った。



 そして今日、ヴォルフが塔に、送り馬車でやって来た。

 出迎えたダリヤは、馬車から下ろされ、積み重なってゆく大きい木箱の山に唖然とする。

 肉と魚で一箱、野菜と果物で一箱、チーズ数種類とワインで一箱。

 到底一人二人で食べきれる量ではない。


「あの……これはどういうことなんでしょうか?」

「この前、俺が大量に食べてしまったので、そのお礼。氷の魔石も付けておいたから、箱に入れておけば少しは日持ちすると思う」

「ありがとうございます。でも、次からは本当に気を遣わないでください」


 どうやら前回の食事のことをまだ気にしていたらしい。

 重さ的にどうしようもないので、木箱はヴォルフに二階まで運んでもらうことになった。


 彼は塔に入るとすぐに眼鏡を外し、それはそれは丁寧に手持ちの黒い皮箱に入れていた。

 それを見ているとつい微笑んでしまいそうになる。

 自分が作った魔導具が大切にされているというのは、なんともうれしいものだ。


「これって、冷蔵庫?」

「ええ、まだ試作ですが。上の段で冷凍もできます」

「ひとつで冷凍も! すごいね」


 作業場の試作冷蔵庫をみつめ、ヴォルフは目を輝かせている。


 一昨日作った冷蔵庫は、ようやく氷が溶けて使えるようになった。

 あとは台所でしばらく使ってみるために、近いうちにマルチェラに頼んで運んでもらうつもりだ。


「これはもう納入先が決まってる?」

「いえ、実際に使ってみたいので台所に運ぶ予定です。重いので、運送ギルドにいる友人に頼む予定です」

「それなら今、俺が運ぼう。買ってきたものも入れられそうだし」

「でも、これ、かなり重いですよ」


 大きな木箱を三つ持っている男に言うことではないかもしれないが、銀色の冷蔵庫はおそらく、それよりも重い。金属板を使っているので、どうしても重量がかさむのだ。

 作業場に届けてもらうときも、男性二人がかりでようやく運んでいた。


「ちょっと失礼」


 箱を一度足下に置き、袖を少しまくると、ヴォルフは冷蔵庫に手をかけた。

 どこを持つか、重心を確かめるように二度ほどゆらし、あっけなく冷蔵庫を横向きに持った。


「思ったより軽いね。でも大きいからドアにぶつけないようにしないと」

「わぁ……」


 重量感を感じさせずにすたすたと歩く男に、思わず声が出た。

 ヴォルフなら、いつでも運送ギルドへ就職できそうだ。


「本当に、重くないですか?」

「全然。赤熊(レッドベア)の方がはるかに重いよ」

赤熊(レッドベア)、持ったんですか?」


 一瞬、頭に赤熊(レッドベア)をお姫様抱っこしているヴォルフが浮かび、思わず首を横に振る。


「いや、剣が抜けなくなっているときに走ってきたんで、投げ飛ばした。身体強化をかけていたけど、しばらく手首がおかしかったよ」


 今度は、赤い熊と相撲をとる青年の姿が浮かんだので、再度、妄想を振り払った。



 冷蔵庫を持ってきてもらう為にドアを開けたが、そこをくぐりぬけるのも、階段を上るのも、何の問題もなかった。

 ヴォルフにとっては、まるで段ボールで作った棚を持っているようだ。


 頼んだ場所に冷蔵庫をそっと置くと、彼はすぐ一階に戻り、木箱をまとめて持ってきた。

 いつもながらフットワークが軽い。


 その後、ダリヤが冷蔵庫に食料品をパズルのように詰めていると、チーズとワインの入っていた箱から、装飾された銀の箱が四つ出てきた。


「それ、約束のワイングラス。白ワインと赤ワイン向けで二つずつ」

「……ヴォルフ、なぜ、ワイングラスが一つずつ魔封箱に入っているのでしょうか?」

「……ええと、オシャレ?」


 なぜ単語のイントネーションが微妙におかしいのか。

 どう見てもこれは魔導具を入れる魔封箱である。

 外側には美しい女神の姿も刻まれているので、魔導具店『女神の右目』での購入品かもしれない


 箱のひとつを開け、透明なグラスをそっと持ち上げてみる。

 透かしてみると、プリズムのような七色の光が時折またたく。

 妙なほどしっとりと手に馴染むのに感心していると、わずかな魔力の揺れを感じた。


「ワイングラスというものは、普通、ガラスではないかと思うのですが、これは魔法付与ありのクリスタルではないでしょうか?」

「きれいだったし、きっちり硬度強化が入っているものがいいかと思って」

「お値段をお伺いしても?」

「いや、今度は少し勢いよく乾杯しても割れないようにと思ったから別にいいんだ。そんなに高くはないよ」

「で、おいくらですか?」


 二度尋ねると、彼はそっと目を斜め下にそらした。


「……金貨四枚」

「……半分払います」


 なんという物を買ってきたのだ。

 確かに割れないかもしれないが、その値段は普段使いにはありえない。

 グラスひとつ約十万円、全部で四十万のセットは絶対に自分の許容範囲ではない。


「いや、いい。これは俺が欲しくて買ったわけだから」


 それこそ何を考えているのか、使う場所はここ、使うのはダリヤとヴォルフである。

 ヴォルフはともかく、自分はこのグラスを割ったら数日落ち込むことは間違いない。


「ヴォルフ、環境はお互い違いますから、金銭感覚の合わないこともあると思います。でも、こんなに高いグラスを贈るのはどうかと」

「それを言うなら、ダリヤは妖精結晶の魔法付与をした眼鏡を、俺に試作品と言って無料で渡そうとしているんだけど?」


 言われてみればそうなのだが、使うあてのない在庫で作ったものと、今回買ってこられたものでは別ではないだろうか。


「いえ、試作は使ってもらって改善点を洗い出す必要があるので」

「試作でも、俺はすでに問題なく使ってるわけだから、これは完成品として扱うべきだと思う」

「……わかりました。では、このグラスはヴォルフが来たときにだけ出しますね」

「普段もダリヤに使っててほしいんだけど。それに、もし割れたら、俺がまた買ってくればいいだけじゃないかな? 俺にはそう負担でもないわけだし。気にしないで」


 笑顔で当たり前のように言われ、ダリヤは理解した。

 ヴォルフは自分に当たり前に『与えよう』としている。

 そして、それを貸しや今後の自分の利益にしようとはまったく思っていない。


 だが、それがお互いの今後の関係に影響を与えるかもしれない、そのことに気がついていない。

 自分たちは友人であって、どちらかが援助し、援助される関係ではない。

 少なくとも自分は、そうはなりたくない。


「気持ちはうれしいのですが、私は、友達からただただ『もらう側』になるのは避けたいです。その……例えば、ヴォルフが自分より豊かな友達から、いろいろと高い物を買ってもらってばかりいたら、付き合って行く中で、遠慮や引け目を感じるようになりませんか?」


 気を悪くされるかもしれないと思いつつ、言葉を探して伝えてみる。

 男の黄金の目が少しだけ見開かれ、ゆっくりと伏せられた。


「……すまない。言われてようやくわかった」

「いえ、気を遣ってくれたのはわかりますし、ありがたいです。ヴォルフの感覚でなら、きっとこのグラスは普通なんだと思います。私もその眼鏡を試作ではなく、販売品としますので、グラスの半分を眼鏡の方に回させてください。預かっている分で、次の眼鏡をきっちり作りますので」

「眼鏡は、きちんと技術料も取って、外に販売する価格でお願いしたい」

「わかりました、そうします」


 お互いにうなずくと、食料品を収納する作業に戻った。

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