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03.商業ギルド

 イルマの家で食後のコーヒーまでしっかりご馳走になった後、ダリヤは商業ギルドに向かった。


 商業ギルドは大通りでも目立つ黒煉瓦の五階建て。その三つの大きなドアは、人の行き来が絶え間なく続いている。

 国外からの来訪者も多く、色鮮やかな刺繍入りのマントを肩にかけた者や、頭にきっちりと布を巻き、長い袖と裾の衣装をまとった者もいる。どこからか、香辛料と香水の香りが流れてきた。


 ダリヤは入り口の護衛に軽く挨拶をしてから中に入る。

 一階は主に依頼者の相談の場となっているので、そのまま二階へと上がった。


「こんにちは」


 二階にある契約関連のカウンターにいるのは、若い黒髪の女性と、恰幅のいい中年男性だった。

 魔導具関連の契約で何度も訪れているダリヤとは、すでに顔見知りである。


「あ、ダリヤさん! ご結婚おめでとうございます!」

「やあ、新婚さんですね、おめでとう!」


 二人がこちらにとびきりの笑顔を向けてくるのが、ちくりと痛い。


「……お祝いの言葉を頂いたところ恐縮ですが、オルランドさんから婚約破棄されました。なので、婚約時の契約書を出して頂きたいのですが」


 ガタガタっと椅子が揺れ、受付二人が同時に立ち上がった。

 二人組に突然の婚約破棄を報告すると、シンクロする仕組みがあるのかもしれない。


「ど、どうしてですか?」

「婚約破棄の申し込みはオルランドさんからですので、私からは」


 流石にここで『真実の愛』に関する説明はしたくない。

 もっとも、それはトビアスの名誉のためではなく、それと婚約していた自分の名誉の為かもしれないが。


「オルランドさんからということは、オルランド商会に何かあったのでしょうか?」

「私の口からはなんとも。これについては、あちらにお願いします」

「……すみません。オルランドさん側の都合なのにダリヤさんに伺うのはおかしいですね。わかりました」


 男性はすぐに納得してくれた。


「それで、婚約時の契約書の履行立ち会いと、共同名義の仕事清算の為に、公証人をお願いしたいのですが」


 公証人というのは、国が定めた各種の取り決め、商売関連の契約時の見届けや確認、そして証明を行うことができる人である。

 前の世界だと、行政書士や弁護士をとり混ぜた感じだろうか。

 身分もコネも一切通じない試験、専門機関での五年の勉強、十人の身元保証人がいるなど、なるのがかなり難しい。


 公証人になれたとしても、一度でも不正を行うと資格剥奪の上、厳罰に処されるし、身元保証人にも責任追及としてそれなりのペナルティがある、厳しい仕事である。


 余談だが、公証人に嘘の内容指定で進めたり、地位や金を使って悪用した場合は、かなり罪が重くなる。


 公証人を頼む費用はそれなりに高額だが、仕事や商売でのトラブルを避ける為に、立会人と共に入れておくことが多い。

 ありがたいことに、商業ギルドでは常駐している公証人がいるので、他の人とかぶらなければ、すぐ頼むことができる。


「公証人は1時間で大銀貨4枚となりますが、よろしいですか?」

「ええ。私の方で出しますので」


 大銀貨4枚は、前世の感覚として約4万円。

 後々のトラブルを防ぐためと思えば、けして高くはない。


 王国の通貨は、半貨・銅貨・銀貨・大銀貨・金貨などだ。

 大体、銅貨ひとつで主食のパン一個が買える値段なので、半貨は50円、銅貨は100円くらいの感覚でいる。

 おおざっぱだが、銀貨は1000円、大銀貨は1万円、金貨は10万円前後ぐらいだろうか。

 もっとも、食料品や生活必需品は安いが、服や貴金属は高めなので、あくまでダリヤの感覚的なものだ。


「できれば2時からの話し合いでお願いしたいのですが。もちろん無理でしたらこちらで合わせます」

「わかりました。確認してきます」

 男性の方が、公証人の待機する3階へと走って行った。


「あの、ダリヤさん、お引っ越しされたばかりですよね?」

「いえ、今日から新居予定でしたが、このまま家に、緑の塔の方に戻ります」


 商業ギルドに登録している住所は、前の家である。

 町外れにあり、つたに絡まれまくった小さな古い塔なので、『緑の塔』と呼ばれている。

 今朝出てきたその場所にこのまま戻るのだから、住むのに困ることもない。


「なんて申し上げていいのかわからないのですけれど……その、気を落とさないでください。えっと、魔導具師のお仕事の方は続けられるんですよね?」


 目の前の受付嬢が、懸命に話を続けようとしてくれている。

 気がつけば、カウンターの後ろの職員達も、こちらをうかがっているのがわかった。


「はい。また塔の方で魔導具作りに頑張ります」

「あの、ダリヤさんの魔導具はとても好評なので、これからもお願いできれば、ギルドとしてうれしいかぎりです」

「ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いしますね」


 ダリヤは必死の受付嬢にむけ、にっこり笑ってみた。

 うまく笑えているかどうかに自信はないが、少なくとも、婚約破棄で生きるのが辛いレベルの表情かおにはなっていないと思いたい。


「ダリヤさん、ドミニク様の予約がとれました」


 先ほど確認に行ってくれた、受付の男性が戻ってきた。


 父には『大切な交渉と大きい取引のときには、公証人は必ず入れろ』と教えられていた。

 ドミニクという公証人には、ダリヤだけでも今までに数回依頼している。父とも交流がある人なので、より安心してお願いできそうだ。


 ほっとしていると、周囲の視線がダリヤの斜め後ろに向かった。

 振り返ると、象牙色の髪の女性が歩み寄ってきた。


「こんにちは、ダリヤさん」

「いつもお世話になっています、副ギルド長」


 ダリヤは軽く会釈した。


 近づいてきたのは、商業ギルドの副ギルド長であるガブリエラ・ジェッダだった。

 年齢的には熟年といっていいだろうが、つい視線がむいてしまうような女だ。

 仕立てのいい濃紺のドレスに、バロックパールのロングネックレスが似合っている。

 父が若い頃から世話になっているギルド職員であり、ダリヤも学生の頃から知っていた。


「契約についての話し合いだそうだけれど、三階の会議室は予約が入るかもしれないから、この事務所の隣を使うといいわ」

「……ありがとうございます」


 『予約が入るかもしれない』ということは、本来、予約はないのだろう。

 この事務所の隣の会議室は、安全面を考えられた場所で、防音対策がほどこされていない。

 『ようするに全部聞かせろということですね、わかりました』の言葉は声に出さないことにする。


 が、目の前のガブリエラは、朱色の唇をゆるくつり上げてつけ足した。


「今日は皆、とても忙しいみたいなの。商業ギルドの立会人二人のうち、一人は私でもいいかしら?」

「……はい、よろしくお願いします」


 副ギルド長に対し、駆け出しの魔導具師の自分に拒否権などあるはずもない。

 ダリヤは迷わずお任せした。


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