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37.魔導具師はやめられない

 昼過ぎ、作業場で防水布の確認をしていると、門のベルが鳴った。

 イルマかと思って出てみると、そこには、朝方帰ったばかりのヴォルフがいた。

 しっかりと妖精結晶の眼鏡をかけている。


「いきなり来てすまない。昨日の眼鏡の支払いとこれだけ早く届けたくて」


 ヴォルフの口調が妙に早い。

 渡されたのは、支払いの金貨が入っているらしい革袋と、黒皮の書類ケースだった。

 まるで投げたボールを拾ってきた犬のような顔で渡さないでほしい。

 そんなに眼鏡がうれしいのかと首を傾げていると、彼は笑顔で言った。


「いろいろ考えて、きちんと公証人に書いてもらった。大事な友人に迷惑はかけたくない」

「まさか……」


 とてつもなく嫌な予感と共に開くと、『ダリヤ・ロセッティを対等なる友人とし、自由な発言を許し、一切の不敬を問わない』の文字が見えた。後はなにやらそれを補足する長い長い文章である。

 しかも羊皮紙は一枚ではなくて二枚あった。すべて読むのが心から恐ろしい。


 やりやがった――言葉は悪いが、そうとしか浮かばない。


 公証人の署名を見れば、何故か商業ギルドのドミニクだった。

 次にドミニクにどんな顔で会えばいいのだ、なんと説明すればいいのだ。

 ダリヤは今すぐ自室のベッドの下に潜り込みたくなった。


「本当に作るとは……しかもなぜに商業ギルドなんです?」

「王城とか貴族関係の公証人だと、いろいろ気を回されそうだったから。商業ギルドで、『魔導具制作の相談をしたいので、その魔導具師が遠慮なく自分と話せる形にしたい』って説明したら、ドミニクさんが相談にのってくれた」

「そういうことだったんですか」


 そういった形であれば、ドミニクにもそれなりに納得してもらえたかもしれない。切実にそう願いたい。


「で、そのドミニクさんに勧められたんだけど、俺もロセッティ商会へ出資させてもらえないだろうか? 商業ギルド経由で、きちんと」

「は?」


 公証人のドミニクがなぜヴォルフに出資を勧めるのか、そのあたりがわからない。

 出資者の人数は間に合っているし、今以上の資金を集めてもいない。ロセッティ商会は、ダリヤの仕入れの為だけにおこしたようなものだ。


「いや、新しい防水布とか剣の付与を先にするためにとかじゃないんだ。作ってもらった眼鏡のような凄いものが生まれるかもしれないなら、ぜひ応援したい。どのみち使ってない貯金もあるし。それに出資者に貴族名が増えると、いろいろな素材が買えるチャンスが上がるって言われて……」


 説明された理由に、深く納得した。

 ドミニクにかかれば、ヴォルフもダリヤも子供のようなものだ。

 おそらく、自分の素材探しの可能性を広げるために、出資者に『スカルファロット』という貴族名を入れてくれようとしたのだろう。


 この際、素材の幅が広がるのであれば利用させてもらおう。

 素材に関していえば、ヴォルフもすでに同じ穴のむじな、ではなくても、隣の穴の狢ぐらいにはなっている。


「……わかりました。ロセッティ商会への出資は感謝してお受けします。仕事としてお受けして、仕事できちんとお返しできるように頑張ります」

「無理を言ったのにありがとう。じゃあ、それはすすめさせてもらうよ。あと、俺に関係することでもそうでなくても、トラブルで困ったら遠慮なく教えて。連絡先もその契約書に入っている、兵舎と家と両方。王城騎士の身分と、スカルファロットの名前でどうにかできることもあるかもしれないし」

「いや、いずれ市井に来るという人が、それは、権力の乱用じゃないですか?」

「権力の乱用じゃないよ。俺が今の家にいるうちに、ちょっと有効活用するだけ」


 顔は良いが、性格は混沌。

 自分を気遣う優しさもあれば、人をからかうのが好きな悪戯っ子であったり、従順な犬のようであったり、平民に近く気ままであったり、貴族らしいほの暗さもあったり、この男はまるで読めない。

 読むことをあきらめて、まとめてヴォルフだと思うのが精神衛生上、一番よさそうである。


「ダリヤ、本当に、心から、ありがとう」


 不意に、ヴォルフが深く一礼した。

 昨日から、貴族のヴォルフが庶民の自分に頭を下げっぱなしな気がする。止めようとしたとき、彼は姿勢を戻し、少年めいた笑顔をむけてきた。


「うれしいんだ。これをかけているだけで、自由に歩ける。声はかけられないし、視線も追ってこない。男に何か言われることもなければ、女性に名前を聞かれることもない。今日は、王城からここまで、誰にも声をかけられずにここにこれた」

「……よかったです」


 今さらながら、聞いているだけで不憫である。ぜひ、その眼鏡をかけ、普通の街歩きを満喫してもらいたい。


「申し訳ない。やっぱり壊したときのためにスペアがほしい。もちろん、作るときの大変さを見ているから、今すぐとは言わない。そのうちに、いくらかかってもいいからお願いしたい」

「わかりました。妖精結晶を探して、きちんと金額を計算してお受けします。色はどうします? 今は薄いブルーグレイですけれど、他の色でもできますよ」


 ブルーグレイのガラスと妖精結晶で今の緑の目である。今度はガラスの色を変え、妖精結晶に別色のイメージを込めてみるのもいいかもしれない。

 一番の難題は、誰の目をモデルにするかということではあるが。


「これと同じがいい。かけていて思ったんだけれど、この目の色、ダリヤに似ているよね」

「……ガラスの色を別のものに変えましょう! 思いきり違う色に!」

「いや、そうじゃないんだ! 待って、これと同じ色がいい!」


 気恥ずかしさに提案してみたが、ヴォルフに慌てて否定された。幼い子供が必死の主張をしているように見えて、つい笑ってしまう。


「冗談ですよ。緑の目の人はとても多いんですから、そんなに気にしないでください」

「ああ、わかった」

「お茶でも淹れますか?」

「いや、その服だと仕事中だよね。邪魔したくはないから、また今度来るよ。俺の休みがわかったら使いを出すから、君の予定が合うなら会ってほしい」

「わかりました。じゃあ、次は短剣の付与をしましょうか」

「すごく楽しみにしてる」


 もう次の約束は当たり前で、それを心待ちにしていることが不思議だ。

 今までたった三度しか会っていない、今日会っているのが四度目だというのに、もっとずっと前から知っていたような感じがする。


「じゃあ、また来る」

「お待ちしています」


 眼鏡を一度外し、ヴォルフはその黄金の目でじっと自分を見た。

 まるでとても大切な者を見るようなそのまなざしで、一瞬、錯覚しそうになった。

 さすが高度な美形である。


「本当にありがとう。これから街を一人で歩いて来るよ、眼鏡これで」


 眼鏡をゆっくりとかけなおし、彼は笑顔で来た道を戻っていった。


 足取りも軽く出て行った背中を見送り、ダリヤは作業場に戻る。

 今日は防水布をすべて仕上げ、夜は新しい魔導具の開発構想を、赤ワインを飲みながら行おう。



 自分はやっぱり、魔導具師だ。


 魔導具師なんて、魔導師や錬金術師よりはるかに下じゃないか、そう馬鹿にされることがある。

 魔導師のような派手な攻撃魔法もなければ、人の傷も癒やせない。

 錬金術師のようにポーションが作れるわけでもなく、稀少金属も生み出せない。


 魔導具としていいものを作ったと思っても、そんな物に何の意味があるのかと言われることもある。

 ろくに説明書きを読まず、使えない、わかりづらいなどの苦情がくることもある。

 価格や利益契約書のことで、一般の人から、金の亡者と言われることもある。

 開発は手探りで、試作は成功する確率の方が低く、山のような失敗作に気が遠くなることもある。

 どんなに慎重に魔法付与をしても、高い素材ごとダメにするなどしょっちゅうだ。


 それでも、魔導具師をやっていてよかったと思うことは多い。

 自分の作った魔導具で、誰かが便利になり、誰かが笑ってくれることはうれしい。

 自分の作った魔導具が、少しでも誰かの幸せにつながるのを見るのは、クセになるほど楽しい。


 これだから自分は魔導具師をやめられない、そう思える日があるのだ。


 今日がその日だった。

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