02.友人への報告
ダリヤは新居となるはずだった家を出て、通りを歩き出す。
すこしだけ汗ばむ陽気の中、王都の煉瓦色の街並みは多くの人々と馬車とで騒々しかった。
この国『オルディネ』は王政で、すでに200年以上の歴史がある。
王都の治安はよく、女性が一人で街を歩けるほどだ。国の中でも王都の治安は特にいいそうだ。
異世界ではあるが、二度目に生まれた場所として感謝したいところである。
できればその幸運を、結婚運にも入れてほしかったところだが――少しだけ足を早め、ダリヤは大通りから1本外れた道、青い屋根の小さな美容室へと入った。
「こんにちは。今、いい?」
「いらっしゃい、新婚さん! ついでにお昼も食べていきなさいよ」
紅茶色の髪をした友人は、午前の客が終わったらしく、床の髪を
「ありがとう、イルマ。新婚さんじゃないけど、お昼は甘えさせて。あと、マルチェラさんはいる?」
「うん、台所にいる。片付けてから行くから、先にお昼、食べていて」
慣れた足取りで美容室の奥にあるドアを通り、台所に進む。
「おう、ダリヤちゃんか。オレンジジュースでいいか? それともワインがいいか?」
お目当てである、運送ギルドのマルチェラが昼食をとっていた。
砂色の髪をもつ、がっちりとした体型の男は、イルマの夫であり、ダリヤともそれなりに親しい。
昼はよく家に帰って食事をしていると聞いていたので来てみたが、ちょうどよかったらしい。
「ありがとう、マルチェラさん。オレンジジュースをお願い」
ダリヤは、サンドイッチとオレンジジュースを受け取り、テーブルの向かいに腰掛けた。
イルマが作るサンドイッチは絶品である。
今日のサンドイッチは、ライ麦パンにチーズとハム、卵と野菜の2種。
ライ麦パンは大きめカット、チーズとスモークされたハム、レタスの取り合わせのバランスがとてもいい。
もうひとつは、卵と刻み野菜をたっぷりの新鮮なマヨネーズで合わせたもの。
両方のレシピをもらっているダリヤだが、なかなかこの味は再現できない。
1つめのサンドイッチをもくもくと食べ終えたとき、イルマが台所にやってきた。
ダリヤはオレンジジュースを飲み干すと、昼食を食べ終えたマルチェラにきりだす。
「マルチェラさん、一昨日、家具を運んでもらったばかりで悪いのだけれど、前の家にもう一度運んでもらいたいの。なるべく早く」
「いいとも。今日の4時すぎなら何人かあくよ。トビアスの用意した家具とかぶったか?」
「新居と寸法が合わなかったとか?」
イルマとマルチェラから同時に聞かれ、つい苦笑してしまった。
「婚約破棄されました」
「は?」
「え?」
またも二人同時に聞かれたので、ダリヤは今できる全力の笑顔で言ってみる。
「トビアス・オルランドさんは、真実の愛をみつけたのですって」
「………」
「………」
二人の顔がそろって作り物のお面のようになった。
お面と言えば、こちらの世界ではあまりお面をみかけたことがない。王都には冬祭があるから、お店で子供向けにあってもいいのに。
そういえば、冬祭は恋人同士で行く、あるいは恋人を探すお祭りとして有名なのだけれど、トビアスとは一度も行ったことがなかった。自分から行こうと誘ったこともなかったのだけれど――ダリヤがそんなことを現実逃避気味につらつらと考えていると、目の前の二人が噴火した。
「あいつ馬鹿か?! 今日から新居だろ?」
「2年も婚約してて今さら?! 何考えてんのよ!」
「真実の愛ってなんだよ、単純に浮気だろ!」
「ホントに最低っ!」
二人が怒ってくれるのがうれしいのは、自分の根性が曲がっているからではないと思いたい。
ここ2年、この二人と、自分とトビアスの四人で食事をしたり、飲んだりしたことが何度かあった。
マルチェラがオルランド商会の荷物を運んだときに、トビアスと二人で飲んだという話を聞いたこともある。
その関係にヒビを入れてしまうのが、なんとも残念に思えた。
「二人とも、怒ってくれてありがとう。でも、もういいの。元々、父同士が決めての婚約だったし、その父も亡くなっているから」
言いながら、突然自分で納得した。
トビアスは、結婚によって、ダリヤの父というベテラン魔導具師の後ろ盾がほしかったのだろう。
ダリヤも魔導具師ではあるが、名誉男爵の位もなければ、制作技術は父にまだまだおよばない。
彼にとってのメリットは、父が生きていたときよりはるかに少ないのだ。
好きな女性ができたから、比重が一気にそちらに傾くのは当然のことかもしれない。
「ダリヤ、婚姻届はまだ出してないわよね?」
「うん。明日の予定だったから、まだ書いても出してもいない」
「運がいいと言うべきよ、ええ、そうよ。そんな男と結婚しなくてよかったわ」
イルマはぶんぶんと音がしそうなほどうなずいている。
トビアスからの婚約破棄に対し、もっと早く言えと思ったが、確かに、婚姻届を出す前でまだよかった。
「……ダリヤちゃんを泣かせやがって……運び賃、色つけて全部あいつに回してやる……もう二度とあいつと飲まねえ……」
泣いていないと言いかけたが、マルチェラの声が段階的に低いものになっていたのでやめておいた。
「ねえダリヤ……無理しないでいいのよ。泣きたかったら泣いて。それとも一緒に飲む? 午後、店閉めるわよ」
「おう、鍵さえ預かればこっちで運んでおくから、今日はここにいていいぞ! 新居でまたトビアスと顔合わせるのもあれだろ」
イルマの赤茶の目と、マルチェラの鳶色の目が、そろって心配そうにこちらを見ている。
そっくりな動きをするこの夫婦が、ちょっとだけうらやましくなった。
「大丈夫。早く片付けてしまいたいから、今日のうちに商業ギルドに行って全部終わらせてくる」
「できることがあったら言ってね」
「いつでも来てくれていいんだからな」
「本当にありがとう、二人とも」
礼を言ってから食べた卵サンドは、いつもより少しだけ塩味が効いている気がした。