26.待ち合わせ
昨日、運送ギルドから緑の塔に幌用の布が届けられた。
防水布にする予定のそれを、ダリヤは一枚一枚しっかり点検する。
その後ブルースライムの粉末や薬品の計量を行い、溶剤を作った。そろそろ暖かくなってきた気温に合わせ、少しだけ水分を多めにする。
そして、ただひたすらに広げた防水布へ塗布し、定着魔法をかけるということを繰り返していた。
ようやく数枚を終え、汗のひどさに一息つこうかと思ったとき、トビアスが訪れた。
彼に問われた内容が不可解だった。
エミリヤの琥珀のブローチなどというものは、一度も見たことがない。
説明しながら、マルチェラが公証人を勧めてくれたことに心から感謝した。まさか今頃とは少し思ったが。
失礼な上に謝罪もないことに腹が立ったので、『使用済のベッドは、結婚祝いにさしあげるわ』と言ってしまった。
品がないかもしれないが、今までのことを考えればそれぐらい許されるだろう、たぶん。
その後は、次の日に出かけても問題のないよう、定着の確認をしっかり行いつつ、深夜まで作業をした。
そして今日、やや遅く起き、朝食のパンをミルクに浸し、もそもそと食べた。
完全に目が覚めてから身繕いをし、メイクもきっちりする。
貴族向けの魔導具店へ行くことを考え、ヒヤシンスブルーのアンサンブルに、紺色のロングスカートを着ることにした。
スカートはスリットが入っていて歩きやすいし、スリット部分には裏からレースがたたんで縫い付けてあるので、馬車の乗り降りも安心である。
髪は黒のシンプルなバレッタでひとまとめにし、財布やハンカチ、メモ帳、メイク用品などをバッグに入れ、出かける準備を終わらせた。
準備が少しばかり早すぎたかもしれない。
昼まではまだだいぶあるが、今日の気温はどうだろうか。そう考えつつ窓を開けたら、塔の前にすでに黒いフード付きマント姿の男がいた。マントがあっても、長身なのでそれなりに目立つ。
ダリヤは慌てて階段を駆け下りた。
「おはようございます。あの、昼前って約束でしたよね?」
もしかして自分が聞き間違えていたのだろうか。ダリヤは不安になって確認する。
「すまない。王城から距離があるからと思って早く出たら、つい早足になっていたようで……」
お前は遠足の日の子供か! 身体強化を入れて競歩か? あと怒られるのがわかっている犬のような
「とりあえず、玄関のところにいてください。すぐ準備してきますので」
「こちらが勝手に早く来たんだから急がないで。これ、借りていたコート。本当にありがとう」
「いえ、お役に立てたら何よりです」
父の黒いコートを受けとり、一度、二階に戻る。鞄を持ち、火の元を確認してから急いで玄関へ向かった。
「北区の魔導具屋を見に行って、その後に食事に行こうか? 予定は大丈夫?」
「ええ、仕事は区切りのいいところまで終わっているので大丈夫です」
塔の近くを回る乗合馬車を利用し、一度中央まで出る。中央から北の貴族街まで行くには、ヴォルフが馬車を頼んでくれた。
馬車の乗り降りの度に、ヴォルフが手を出し、自分のエスコートをしてくれる。
自分には必要ないと言ったのだが、ずっとそうしてきたので自然にこうなると言われ、納得した。貴族男性というのもなかなか大変らしい。
父が貴族の食事会の前に、マナー本を朝から読み直していたのが思い出された。
きっとあのとき、今の自分と同じくらいに胃が痛かったに違いない。
・・・・・・・
陽光が一段まぶしくなると共に、道の石畳の色が、茶色から灰色に変わった。北区の貴族街に入った証拠である。
意外なようだが、貴族街と言っても、庶民も出入りは自由だし、お店の多くは利用できる。ただし、財布がそれなりに重い者に限られるが。
王都では、貴族だからといって、あまり横暴なことは許されない。
たとえば、庶民を馬車ではねるようなことがあれば、御者にそれなりの罪が課され、賠償が行われるし、問答無用で斬り捨てられるといったことはない。
もっとも、地位を悪用・利用することもそれなりにあるし、何かあれば庶民側が不利になりやすいのは確かだ。
「やっと着いた……」
馬車から降りたヴォルフが、黒いフードを外し、大きくのびをした。
彼の今日の装いは、白いシャツと、限りなく黒と思える紺のトラウザース。艶やかな黒の一枚革のホールカットシューズ。
どれもシンプルで普通の装いのようだが、ヴォルフが身につけると、完全にモデルのそれになる。
服が人を美しく魅せるというのはよく聞くが、逆はどうなのかと考えてしまうほどだ。
「こう暑いとマントもそろそろ辛いですね」
王都の夏はそれなりに暑い。黒いマントで屋外、それでは熱中症まっしぐらだ。
「うん。そろそろ眼鏡に切り替えようと思う。ただ、あまり効かないんだけどね」
己の美形度を隠すのに対し『効かない』という表現を使う男に、隠しきれない苦労を感じた。
歩きながら話していると、すれちがう女性の視線が見事なほどにヴォルフにからむ。
そして、横のダリヤを確認し、顔に疑問符を浮かべたり、ふっと笑ったりする。ひどいものだとそのままひそひそと一緒にいる者と話しながらすれ違う形になった。
おそらく釣り合っていないとか似合わないと言いたいのだろうが、あまり気持ちのいいものではない。
「すまない……やはり、店の前まで」
「気にしませんよ」
言いかけた青年に、ダリヤは言いきる。
そもそも恋人でも婚約者でもないのだ。気にする必要は本当にない。ついでに、熱中症で倒れられる方がはるかに心配だ。
「こう暑いと、今年の夏は早そうですね」
「そうだね、もうこんなにまぶしいし」
ヴォルフは何度かまばたきを繰り返している。
「もしかして、目がまだ治っていないんですか?」
「いや、治っていると思う。外に出るときはフードをつけることが多いから、まぶしく感じることが多いだけだよ」
そう言いながらも、どことなく細めた目は辛そうである。
フードでは顔に影ができてしまうので、明るい場所との差が大きいのだろう。ダリヤはそれが少しだけ気になった。
「魔導具店は『銀の枝』と『女神の右目』の二店でいいかな?」
「はい。どんな魔導具があるか楽しみです」
魔導具店『銀の枝』
こちらはダリヤが父と行ったことのある店だ。
生活関係の魔導具はもちろん、貴族らしい魔導具もおいてある。
もう一店の『女神の右目』
名前だけは知っているが行ったことはない。
北区でも王城に近い場所にあり、すでに利用している者か、紹介状がないと入れない敷居の高い魔導具店だ。
フードをたたんで脇に持ち、ヴォルフはダリヤに右の手の平をむけた。
「さて、店では貴族向けになるよ。なので、ダリヤ嬢、私にエスコートさせて頂けますか」
「わかりました。ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」
丁寧に会話をしあうと、何か違和感がある。
そう思ってつい青年を見ると、どうやら同じだったらしい。どこかがかゆいような微妙な顔をしていた。
「……魔導具と魔剣の為なので頑張りましょう」
「……そうだね、頑張ろう」
ヴォルフに手をひかれつつ、ダリヤは魔導具店『銀の枝』のドアをくぐった。