20.変身~化粧品店
次に馬車が向かったのは、化粧品店だった。
ダリヤは服飾店でランプブラックのワンピースに着替え、艶ありの黒い靴に履き替えて出てきた。今までずっと踵のない靴だったので、少し高くなった視界が見慣れない。
「いらっしゃいませ、ガブリエラ様」
「こんにちは、上客予定の女性を連れてきたわ。ロセッティ商会長のダリヤさんよ」
「ダリヤ様、初のご来店、ありがとうございます」
涼やかな目元の女性店員に対し、いきなりの商会長としての紹介に慌ててしまった。が、ここで騒いだら、ガブリエラに迷惑がかかってしまう。
ダリヤはひきつりながらも、なんとか笑みを作って挨拶をした。
化粧品とメイク用品がずらりと並び、鮮やかな色の花々が飾られた店内は、どうしても気後れしてしまう。
「本日はどのようなものをお探しですか?」
「10分以内でできる初級のメイクを教えてほしいの。あと、それに使ったメイク用品を一式お願い」
「わかりました」
「じゃ、私は横で手順をメモしておくから」
ダリヤは、大きな三面鏡前の椅子をすすめられた。
サイドテーブルにはいくつかのメイク用品が並べられ、真横には店員、斜め後ろにはソファーに腰掛けたガブリエラが並ぶ。
「今までのメイクはどのようになさっていましたか?」
「白粉と口紅は以前したことがあるのですが、どうも合わなくて。それきりです」
実際は、トビアスが化粧の匂いが嫌いだと言ったので、全部やめてしまっただけなのだが。
「肌がおきれいですので、眉を整える、簡単なアイライン、口紅、チークの4点でいいかと思います。できればアイシャドウと白粉もおすすめしますが、省略してもかまいません」
ダリヤは前世でも今世でも、化粧に関しては知識も技術も薄い。
あせっているうちに、店員はさくさくと説明をしながらダリヤの眉を整え、化粧の仕方について教えながら実践していく。
太めで垢抜けない眉は、細く流麗な形にカットされた。それだけで雰囲気の野暮ったさが一気に消える。
顔の産毛を全部そられたところ、色合いはワントーン明るくなった。
アイラインを入れられたところ、ダリヤの二重だが地味な目はすっきりと切れ長に見え、アイシャドウで奥行きもついた。チークは白いだけの顔を血色良く、元気にみせてくれる。
口紅を塗りおえて鏡を確認したとき、ダリヤはこの店のメイク用品に、何らかの魔法効果があるのではないかと疑い始めていた。
店員は満足げに説明と実践を終えると、ダリヤを部屋の端にある洗面台に案内した。ここで一度メイクを落とし、今度はダリヤ自身に化粧をさせるためである。
こんな短時間でできるようになるわけがない、そう叫びそうになった。
が、アイラインの筆を持ったとき、ふと高等学院の実習を思い出した。
魔導具講義の実習で、いくつかの素材を合わせて指定の色彩を出し、魔導具に指定通りに塗りつけるというものがあった。難しいがとても楽しい作業だった。
メイクの場合、自分を魔導具と考え、すでに教えられた順番で、指定の通りに塗ればいいのかもしれない。そう思うと気が楽になる。
実際、細かな染色や調整作業は、魔導具作りには欠かせないのだ。
「素晴らしい、しかもよくお似合いです!」
店員はダリヤが自分でメイクを終えると、たいへんに喜び、様々なメイク用品について話し始める。
ダリヤは失礼にならぬよう、聞き役になろうと耳を傾けた。
「白粉はシルクを混ぜたパウダーの方が乾きません。アイシャドウは植物性がほとんどでしたが、最近は、魔物素材も増えてきたんですよ」
「魔物素材とは、どんな種類ですか?」
「レッドスライムを利用した、透明感のある赤の染料ですね。完全無毒化に成功したとのことで、今回使っているものは、その染料と今までの口紅染料を合わせたものなんです」
「レッドスライムですか。ジェル素材なので、いい透明感と奥行きが出そうですね」
スライムの魅力は、やはりあの透明感であるとダリヤは思う。店員も大きくうなずく。
「ええ、透明感があるので、より自然な感じになります。先月、クラーケンの皮部分を加工した口紅コート剤が出たので、こちらを上に使うと、塗り直しが少なくてすみますよ」
「なるほど、クラーケンの外皮だとカバー力が強そうですね。コーヒーカップやグラスに口紅がつきづらくなりそうです」
「そうなんですよ! 食事やお茶のときにも便利になりました」
店員は大きくうなずいた。
「あと、うちの店にはまだ一度も入ったことがないのですが、世界樹の葉を砕いて作ったというアイシャドウは、緑ではなく、薄い青、いわゆる
「世界樹で空の色になるなんて……素敵ですね」
二人の話はメイクに関してなのか、素材に関してなのか、大いに盛り上がる。
ガブリエラはすでにメモをやめ、生温い目で見守っていた。
店を出るときには、メイク用品の基本一式を買い、おまけを大量にもらったダリヤだった。
・・・・・・・
「本当ならワインで乾杯したいところなのだけれど、時間が微妙だから、今日はここで我慢して」
すでに昼をとうに回り、午後のお茶の時間である。
喫茶店で向かい合わせに座る二人のテーブルには、フルーツと生クリームをたっぷりそえられた分厚い二段のパンケーキと、紅茶が並んでいた。
「今日からダリヤと呼ばせてもらうわね。私のこともガブリエラと呼んでちょうだい。商会長はたいていお互い呼び捨てさせてもらうことになっているから」
「ええと」
子爵夫人でギルド長の奥様で副ギルド長を呼び捨て。ダリヤには恐れ多いの一言しかない。
「せっかく似合いの服が、猫背で台無しになるわよ、ダリヤ」
「ガブリエラ、さ……気をつけます」
つい、さん付けで呼びそうになっているダリヤに、目の前の女が大きく笑った。
すすめられて分厚いパンケーキを食べ始めると、ふわふわの生地が口の中でほどけた。
一枚目はそのままで少し食べてから、半分の生クリームで食べる。甘さはひかえめだが、素材のよさとバニラの香りがなんともよかった。
二枚目は残りの生クリームとフルーツを合わせて食べた。フルーツの甘みとジューシーさが加わって、さらにおいしい。
空腹だったせいもあり、二人とも会話もあまりないままに食べ終えた。
おいしいパンケーキの満足感にひたっていると、追加の紅茶が運ばれてきた。
「ダリヤ、今日は突然でごめんなさいね」
「いえ、教えて頂いた上に、買って頂いて……本当にありがとうございました。自分ではわからなかったですし、今まで考えたこともなかったので」
こちらの服装とメイクに変えてみてよくわかる。
興味がないのもあったが、必要なものとそうでないもの、そして、似合うものと似合わないものが、自分にはまるでわかっていなかった。
商会長として仕事をすすめるときには、やはり相手に信頼される努力をしたい。これからは服装もメイクも気をつけていかなければ、そう思う。
「ああ、言い忘れていたわ。神殿で目をみてもらって、できるなら眼鏡を外しなさい」
「眼鏡を、ですか?」
「ええ、あなたに眼鏡は邪魔よ」
ほぼ命令だった。
確かに泡ポンプボトルを試作しているとき、浴室で眼鏡が曇って仕方がなかった。神殿で治してしまった方が、今後の作業が楽になるだろう。
かかる金額を聞いてみたが、両目で金貨一枚、それに気持ち分の寄付くらいだと教えられた。それぐらいであれば問題なさそうだ。
ちなみに、基本的に眼病は主に医者で、視力を戻すのは神殿だと言う。
病気に関しては医者、怪我に関しては神殿。それがこちらの世界の基本だ。
腕や足をなくしても、7日以内であれば神官による再生治療が可能だ。
逆に、病気に関する治療技術は前世より低い。治癒魔法でなんとかできないものかと思うが、万能ではないらしい。
この為、突然の怪我よりも病気を心配されることが多い。
「わかりました、行ってきます。すみません、ガブリエラ、いろいろとお気遣い頂いて……」
「気にしないで。カルロへの借りを、あなたに返そうと思っただけだから」
「父への借り、ですか?」
ダリヤはきょとんとして聞き返す。
自分が覚えている限りでは、父がガブリエラに対して貸しになるようなことをした記憶はない。
「うちの夫に私を紹介したのは、カルロなのよ。だから夫婦ともカルロに借りがあるの」
「初耳です……」
「カルロに口止めされていたの。皆、玉の輿を狙って自分に頼ると困るから、俺が死ぬまで黙っていろって」
ガブリエラの夫は子爵である。
名誉男爵だった父と、どこかで付き合いがあったのだろう。
「それともうひとつ。カルロが『ダリヤが魔導具師か女として困りそうなことがあったなら、アドバイスしてやってくれ。なかったら死ぬまで内緒にしててくれ』って」
「父が、ですか……」
「別にそう困ってはいなさそうだけれど、オルランドと切れて自由にやるなら、ダリヤの商会があった方がいいし、商会をやるのなら、あなたが看板になる必要があるわ。ついでに、貴族の名前が入っていれば狙われにくくはなる、だから夫の名前を無理に入れたの」
「ありがとうございます……」
「気にしないで、借りを返したかっただけよ。ねえ、ダリヤ、もう遠慮はいらないわ。これから仕事も男も多くよってくると思うけれど、見極めて、選んで、自分の望む方に行きなさい」
「……はい」
ダリヤはうなずいて返事をするのが精一杯だった。
「カルロは、いろいろな人の相談にこっそりとのっていたわ。とても頼りにされていたのよ」
ダリヤの知らない父の一面だった。
帰りが遅いときは、飲みに行っているとばかり思っていたが、あれは誰かの相談にのっていたのだろうか。
「ねえ、ダリヤ。カルロの趣味って知ってた?」
「いえ、魔導具以外には……お酒ぐらいでしょうか?」
「ああ、確かに酒豪だったわよね。でも一番の趣味はきっと」
ひどく真面目な顔で、象牙色の髪の女がダリヤに向き直る。
「人に貸しを作って口止めすることよ」
二人は同時に笑い、父カルロの思い出話がはじまった。