19.変身~服飾店
魔導具師の欲望に流されるがままに商会を起こすことになったダリヤは、翌日も商業ギルドに来ていた。
昨日、自分がいる間にトビアスが来なかった為、小型魔導コンロの再登録が今日になってしまった為だ。
もし、まだ来ていない場合は、商業ギルドが動く可能性も出てくる。
ダリヤは少しだけ足早になりながら、2階への階段を上った。
「おはようございます、ダリヤさん。昨日、あれからトビアスさんがいらして、小型魔導コンロの利益契約の解約を行いました」
先手を打って説明してくれたイヴァーノに、ダリヤはほっとして挨拶を返した。
「ありがとうございます、イヴァーノさん」
「今、書類をお出ししますね。ドミニクさんは昼にいらっしゃるので、本日中に再登録できるかと思います」
「よろしくお願いします」
再登録は簡単なもので、それほどの書類はない。
公証人であるドミニクにはダリヤの名義を確認し、証明書類を作ってもらうだけだ。今回は同席の必要がない。
これで魔導具師としてのトビアスに、ペナルティになる履歴は残らない。もっとも、商業ギルドでどう噂をされるかは別だが。
書類を確認していると、事務所の隣の会議室に5、6人の男達が入っていった。
織物関係の商会の打ち合わせらしい。遅刻者がいるようで、雑談で盛りあがりはじめた。
「そういやな、さっき下で聞いたが、オルランドのところの次男、結婚間近で新しい女に乗り換えたとか」
まさか、ぎりぎり聞こえる事務所の隅に、噂の人であるダリヤがいるとは思うまい。
耳もふさげないのでなにごともないかのように書類をめくる。
「オルランドのところの次男……ああ、防水布のトビアスか。まだ結婚しとらんかったのか?」
「婚約してたのはカルロのとこの娘だろ。ターニャだったか? まあ、師匠の娘だからな、そのときは断れんかったんだろう」
「新しい女の方は商会で受付やってる子だと。見たことはあるが、そりゃあ若くてかわいい子だ」
「捨てられたターニャはかわいそうになぁ。カルロが生きていたら、そんなことにならなかっただろうに」
噂とはよくねじ曲がるものだ。
防水布はトビアスか、自分の名前はターニャか、ダリヤはそちらに突っ込みを入れて冷静を保とうとしていた。それでも、指先は次第に冷たくなる気がした。
「……年のいった雀どもがうるさいようね」
横から肩を叩かれて顔を向けると、ガブリエラがいた。
今日は薄紫に同色のレースをポイントであしらったワンピースだ。結い上げた象牙色の髪には、銀色に青い石の入ったバレッタがきらりと光っていた。いつもながらついみとれてしまう装いだ。
「予定がないなら付き合わない?」
「お仕事はいいんですか?」
「私は今日は休暇なの。夫がいないから暇でここに来ただけ」
気を使ってくれているのか、商会のことで話があるのかもしれない、ダリヤはそう考えて了承する。
商業ギルドの外に出ると、すでに馬車が待っていた。
「さて、ダリヤさん、ちょっと『商会長らしく』なるお勉強をしましょうか?」
「あの、商会長って言っても、私一人ですよ?」
「ええ、だから。見た目でなめられないよう、きっちりやっちゃった方がいいと思うの」
ガブリエラは、獲物をみつけた猫のように笑った。
・・・・・・・
最初に連れて行かれたのは服飾店だった。庶民向けだが、それなりに上質な服を扱う店だ。
この世界は、前世よりも服飾関連は高めな気がする。
ダリヤはついガブリエラの袖をしっかりとつかんでしまった。
「あの、ガブリエラさん、予算が……」
「大丈夫。足りないなら、保証人になってる夫の財布が払うから」
意味不明な返事の後は、何を聞いても笑顔が返ってくるだけだった。
「ようこそ、お待ちしておりました」
店員が挨拶をしてすぐ、ダリヤはいつも着ている濃灰の服をはがされた。
慌てている間に採寸が終わると、ガブリエラと店員に、下着のサイズがまったく合っていないと何故か叱られた。
学院の頃からそう体重は変わっていないので、同じサイズのものを試着せずにそのまま買っているだけだと伝えたところ、さらに強く叱られた。
店員にがっちりと捕まって採寸され、その後に下着まで試着した。
そうしながら、『サイズの合ったランジェリーをつけるのは、絶対にお客様に必要なことです!』と三度ほど繰り返された。
結局、サイズを合わせた新しいものを3組買うことになった。
次に、ダリヤの顔に布をあて、似合う色と似合わない色を確認する作業にうつり、確認したものを紙に貼られて渡された。その中から色を選べということらしい。
服の好みを聞かれたので、『動きやすいもの、汚れが目立たない色、洗いやすいもの』と答えたところ、店員が無言になり、ガブリエラは額を手の平で押さえていた。
その後、試着部屋に通されると、両手にあふれんばかりの服をかかえた店員が入ってきた。
「すべてご試着なさってください」
笑顔が怖い店員に何と言うべきか、ガブリエラに助けを求めようとしたところ、彼女は店員の倍近い服を持って試着部屋に入ってきた。
店員とガブリエラが選考、ダリヤはとりあえず着ては脱ぐという作業をはてしなく繰り返した後、10パターン20着ほどがハンガーにかけて並べられた。
3パターン以上選べと言われたので、安い順に選ぼうとしたところ、あっさり気づかれた。
「ダリヤ、あのね、こういった服は、他の人に自分を紹介する『紹介状』になるの。商会長をやるのだから、打ち合わせやお客に対応するときにも信頼感がいるわ。最初にいい印象をつけるのにも服は大事なの」
「そうです、服は大事です! お客様は絶対に、もっとお似合いの服に切り替えるべきです!」
二人の説明にとりあえず納得したが、どういった服が信頼感やいい印象につながるかがわからない。正直、似合っているかどうかも見慣れなさすぎて自信がない。
二人にそれを伝えてアドバイスを求めた末、ようやく2パターンが決まった。
1パターンめは、艶のあるランプブラックのワンピースに、バニラベージュの上着。
2パターンめは、涼やかなヒヤシンスブルーのアンサンブルに、レースで装飾が少しだけ入った紺色のロングスカート。
「ゆるくてサイズが合わない服は、結局は動きづらいですよ。今は伸縮性のいい生地も増えているんです。特に
3パターン目で迷っているとき、店員の『
悩んだ末、追加でオリーブグリーンのロングパンツを選んだ。もちろん、一番伸縮率のいい生地で、
組み合わせ用として、わずかに白に緑の色味の入ったホワイトリリーのサマーセーターと、白いシャツを購入することにした。
記憶がある限り、今世で白い服を買うのは今回が初めてである。
どの組み合わせにも対応できるようにと、靴も探すことになった。靴だけは二足までと言いきったダリヤに、店員とガブリエラが協議、えんえんと試し履きすることになった。
その結果、ダリヤの肌に合わせたベージュの靴と、艶のある黒の靴が選ばれた。歩きやすさを考えて、ヒールは低めにした。
ようやく服と靴の選択が終わると、ダリヤは灰になりそうな思いだった。
ワンピースやパンツの調整は、すぐに店で行われる。店内に専門の裁縫職人がいるそうだ。
待っている間に会計をすることになったが、店員はダリヤではなく、ガブリエラに請求書を手渡した。
「ダリヤさん、大銀貨5枚は出せる?」
大銀貨は1枚、ダリヤの感覚では1万円。
購入するのは、それなりにいい服7枚と下着3組、靴2足。絶対に足りる値段ではない。
「支払いは自分でします。絶対にもっと高いですよね?」
「じゃ、そのゆとりは次の店に回してね」
ダリヤの目の方が回りそうだった。