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第九十一話 神話

 「うっ……気持ち悪い……」

 「大丈夫か……」


 俺はテトラの背中を擦る。


 もう十二週目に入るので、そろそろつわりは治まってくる頃合いだと思うのだが……

 こいつは尾を引いている。


 ちなみにユリアは割と初期の段階からケロッとしていた。その辺は体質なのだろう。


 「葡萄あるけど食べるか? 腹に何か入ってた方がまだマシって聞くぞ」

 「……いい。氷頂戴……」


 俺は召使を呼んで、氷室に氷を取りに行かせる。

 冬に採取した分がまだ残っているはずだ。


 「……なんであの紫女は元気なのに、私はこんなに苦しんでるの……」

 「誰が紫女よ」


 ユリアが目を吊り上げながら入ってきた。手に石皿を持っている。


 「ユリア、何だ? それは」

 「つわりに効く薬。キリシア商人から買った本に書いてあったの。すでに自分で試したから大丈夫」


 そう言ってユリアは石皿を俺に見せる。

 皿の上には緑色のドロドロした物体。これ、絶対苦い奴だな。


 「甘くないと嫌」

 「そう言うと思って砂糖持ってきた」


 ユリアは懐から取り出した白砂糖を緑色の物体にぶち込む。

 すり棒を使って混ぜ合わせる。砂糖によってドロドロ感が増す。


 「はい、アーン」

 「……」


 ユリアが差し出した匙を口に含むテトラ。表情が歪む。


 「おうぇ……苦い……」

 「良薬口に苦しって知らないの?」


 あれだけ砂糖ぶち込んで、まだ苦いとは。何が材料なんだよ……


 「真の良薬は甘くて、効く薬だと思う……」

 「はいはい。あと三口、頑張って」


 緑色のドロドロを淡々とテトラの口に運ぶユリア。それを辛そうな顔で食べるテトラ。

 全て綺麗に食べ終わった後、テトラが呟く。


 「意外……少し収まった」

 「ほらね。私のおかげ。感謝して」

 「でも苦い方が辛かった」

 「素直じゃないなー」


 笑い合う二人。

 二人が仲良しで本当に助かる。エクウス王みたいな苦しみは味わいたくないからな。


 一先ず、ユリアが居ればテトラも問題ないか。

 男の俺が付き添うよりも、リアルタイムで辛さが分かる同士の方が良いだろうし。


 「じゃあ、俺は戻るよ」

 「アルムス、最近忙しい?」

 「ん? まあね。少し面倒なことが……ああ、気にしなくて良いよ。大したことじゃない。二人はお腹の子だけ考えていてくれ」


 俺は部屋を出た。






 「ライモンド、各国からの返事は?」

 「……一先ずエクウス王は信じてくれると。エビル王からは貴国を信じたいという返事が来ました。ベルベディル王は沈黙。ドモルガル王は余計に怒っているようです」

 「そうか……クソ……どこの誰だ。呪いを撒き散らしやがって……」


 俺は悪態をついた。

 ことの発端は先々月ほどに遡る。実りを迎えた農作物を標的に呪いが降りかかったのだ。


 被害にあったのはベルベディル王の国、エビル王の国、ドモルガル王の国……そしてエクウス族。


 幸い、各国は呪い対策に関しては十分に施していたようで、被害はほとんどでなかった。


 各国は独自に調査を開始して、呪いの範囲が非常に広範囲であること。そしてどういう訳かロサイス王の国だけに呪いが全く降りかかっていないことに気が付いた。

 生憎、犯人は特定出来なかったが……ロサイス王の国が怪しい。


 こうして各国から苦情の手紙が届いたのである。

 エビル王の国、ベルベディル王の国、ドモルガル王の国からはほぼ同時に来た。間違いなくこの三国は示し合わせている。


 エクウス族からは単独で来たので、他の国々と情報の交換はしていないと思う。



 「エクウス王は今回の呪いは全く気にしていないそうです。元々あの国は畑そのものがあまりありませんしね。同盟も友好関係もそのまま。さらに一緒に共同捜査をしようとまで提案しています」

 「そうか……全面的に信頼してくれているようで助かるな。エクウス王には頭が上がらない」


 まあ実際のところ我が国とエクウス族が敵対する理由が見当たらない。

 常識的に考えれば我が国とその他の国の仲を裂くための策だと考えるだろう。


 もっとも、それはエクウス族のように友好関係が深い国同士の話だ。


 「エビル、ベルベディル、ドモルガル。この三国は完全に我が国を疑ってますね」

 「仕方があるまい。元々仲良くないしな。それに昔から定期的に呪いを飛ばし合ってたんだろう?」


 前科があるからな。


 「幸運なことはユリア様が妊娠してらっしゃることです。本気で呪いを掛けるなら、ユリア様の御助力は必須ですからね。妊娠中なら呪いには参加出来ない。これが疑いを疑いのままに止めています」

 「まあ、疑われているのは変わらんがな」


 俺は他国から領土拡張に熱心な新王だと思われている。ドモルガルの土地をかなり奪ったからな。

 そんな俺がやってないと言っても余計に怪しいだけ。関係悪化は避けられない。


 「まあ、そこまで心配することではございません。この程度は過去に何度もあったことですから。領土紛争と同じようなモノ。これで三国が攻め入ってくるということはありますまい。注意すべきは報復の呪いです」

 「ユリアが妊娠中だからな……我が国の防呪能力は格段に低下している。これで他の三国から同時に攻撃を受けたら洒落に成らんな」


 ユリアの妊娠発表を早く出し過ぎた。

 まあ、知らなかったことなのだから仕方が無いんだけどさ。


 「でもユリアは抗呪結界を普段から掛けて周っていた。それがまだ強固に残っている。他の呪術師を総動員すれば何とか耐えられるさ。……まあユリア無しでも十分安心できる抗呪結界の構築システムが必要だけどな」


 そう考えるとどれだけユリアがこの国にとって大切な存在であるかが分かる。

 彼女が一人居れば、平時の防呪は事足りてしまうのだ。


 「早急に神を使った防呪システムとやらを構築する必要性がありそうだな」

 「あれを使えば呪術師の負担も大分減りますからね……問題はどの神を据えるかですが」


 このシステムには『神話』が必要不可欠なのだ。そりゃ当然だ。存在しない神に祈っても仕方が無い。

 アデルニア半島にも神話は存在する。


 だがキリシア神話のように高度に体系化されているわけでは無い。

 主神が存在しないのだ。


 それにそういった神々よりも、未だにアニミズム的な精霊や妖精の信仰も強い。


 これでは誰を祀って、国を任せれば良いのだろうかと言う話になる。

 A神か、B神か、はたまたC神か。全員が納得しなければならない。


 すでにユリアからシステムの草案は受け取っている。だがユリアもどの神を主神とするか決めかねているようだった。


 「我が国には適任の神は居ないからなあ……どうしたものか……おい、何で俺の顔をじろじろ見る」

 「いえ、灯台下暗しとはクラリスの諺でしたっけ。よく言ったモノだなと……」


 何だよ、俺の顔をじろじろ見て。

 ああ、俺がグリフォンの息子的な話か? でもグリフォン様は祈りの対象というよりも畏怖の対象だから違うんじゃないか?


 「グリフォン様の義理(・・)の息子でしょう? 本当の父君は戦と農耕の神マレスだとか」

 「最近はそうなってるのか?」

 「ええ。輪栽式農業と先の戦いでの勝利が影響しているようで。今まではいろんな説が有りましたが、今はマレスで統一されて居ます」


 俺の父親の正体は知らんが……

 絶対神じゃないことだけは分かるな。


 それにしても俺の噂も落ち着いたようだな。

 尾ひれ背ひれがついて、羽を生やして空を飛び、屈強な足で大地を駆け巡っているようではあるけど。

 元気そうで何より。


 「じゃあ主神はマレスにするのか?」

 「マレスは信仰者の数が少ないじゃないですか。私としてはマレスの母親の『ヘーノー』、ヘーノーの夫であり姉の『ゼルピア』、ゼルピアの頭部から生まれた『アルネ』が最適かと。この三柱はマレスの身内ですし、祭儀で名前がよく上がる神なので認知度も高いでしょう。それにゼルピアに至ってはロサイス家の守護神ですよ」


 説明しよう!


 ゼルピアとは天空神で、アデルニア半島では結構メジャーな男神である。ちなみに気合いで性転換出来るので女神でもある。

 その妻で妹がヘーノー。出産を司る女神。ユリアとテトラは毎日こいつに祈りを捧げている。


 ゼルピアの頭から産まれたのがアルネ。俺も何言ってんのかよく分からない。

 確かゼルピアが「頭痛い」と言って部下の神が頭カチ割って出てきたのがアルネ。どうして頭に居たのかは忘れた。多分碌な理由じゃない。


 そして俺の父親(という設定)のマレスはヘーノーが一人で産んだ神だ。

 常識的に考えると受精卵を作るには精子と卵子が必要なのだが、まあ神様にはそんな物は必要ない。

  元気があれば何でもできる。


 ……確か俺の父親(という設定のマレス)はヘーノーが花粉を吸って産まれたんだったか?



 つまり俺の戸籍上? の父親がマレスで、お祖母ちゃんがヘーノー。お爺ちゃんであり、大伯父兼大伯母がゼルピア。そして伯母がアルネになる。


 ……こんなわけ分からないファミリーの仲間入りしたくない。


 「なあ、俺は自分がマレスの息子とか言ったこと無いんだけど。いつの間に公式になったの?」

 「さあ? でもこの国は暫く外患内憂に悩まされていましたから。国民もその空気を感じていましたし。期待しているんですよ」


 そう……なのか?


 「というか良いのか? 俺がマレスの息子を公式認識にして。ロサイス家的に」

 「構いません。ご存じの通りですが、ゼルピアが人間の娘を和姦したことで生まれたのが我がロサイス家の始祖で初代国王です。そのゼルピアの義理の息子の息子になるのがあなた……良いじゃないですか」


 ああ、そうなの?

 まあ良いんじゃない? あんたらが良ければさ。


 「これで神の血筋が我がロサイス家に集結する……増々中央集権化が進みます」


 嬉しそうに語るライモンド。

 そういう意味もあるのね。


 「ゼルピアはロサイス家の守護神で有名だけど、天空神という性質上一般庶民からすれば身近ではない。ヘーノーは一般庶民からの人気は高いけど、武人……とくに男からの信仰者は少ない。アルネは職の神であり、呪術の神でもあるため職人や呪術師からの信仰は厚いが、国民の大部分の農民からすると身近では無い」

 「それを農耕と戦の神であるマレスを使うことで癒着させ合うわけです。自国の王の父親の親族へなら興味も湧くでしょう?」


 まあ、悪くは無いかな。主神を一柱に絞るのではなく、三柱用意するというのもいいアイデアだ。

 それに……


 「ゼルピア、ヘーノー、アルネはキリシア神話での『天空の神』『神々の女王』『知恵の女神』の三柱に相当する。祀り方もキリシアのやり方を参考に出来る」

 「そういうことです」


 アデルニア半島南部にはかなりのキリシア人が進出している。南の御隣、ベルベディル王の国では国民の五分の一がキリシア人やその混血だとか。うちのテトラも混血だしね。

 だからアデルニアの土着神話とキリシア人の神話が混ぜ合わさり、摩訶不思議なことになっているわけだ。


 「どれくらいで出来る?」

 「そうですね……ああいう大規模な呪術には最低でも四か月の準備が必要です。ゼルピア、ヘーノー、アルネは我が国でも信仰は盛んですから、神殿に関しては各地に有ります。まあ早くて二年でしょうかね?」

 「そうか。ユリアは参加はさせないにしても意見は出して貰おう。あいつはこういう方面じゃ一番頼りになる。ただし、今回の騒動の概要は伏せて」


 妊娠している二人には余計な心労を掛けたくない。

 二人には出来るだけ出産に集中して欲しいのだ。俺にはこれくらいしか出来ない。


 「後はお義父さんに許可を頂かないとな」


 アデルニア半島には家父長権という考え方がある。 

 要するにお父さんが一番偉いと。


 政治的に考えると俺の方がお義父さんより偉いのだが、文化的に考えるとお義父さんの方が俺より偉い。

 だから立てる必要がある。







 「良いんじゃないか?」

 お義父さんは庭(麻薬畑)を眺めながら言った。

 景色を楽しむなら別のところが良いんじゃないだろうか。


 「俺はお前の方針には口を挟まん。もうやってしまった王位だからな」

 「そうですか?」

 「あと、俺はこの宮殿を出ていく」

 「は?」


 何言ってんだよ、この人。


 「俺がいつまでもこの宮殿に居るのは邪魔だろ? 景色が良くて、温泉が湧く、良いところがある。俺はそこに隠居するつもりだ。一週間後には小さいながらの屋敷が完成するからな」


 言ってくれたら作ったんですけどね。大きな屋敷を。


 「それは余計な世話というものだ。死に逝く人間に大金を掛ける必要は無い。それと早く孫が見たい」

 「あと少しです。頑張ってください。ユリアが元気な子を産んでくれると思いますよ」


 急かすのは良くないけどな。というか早産だと面倒だ。


 「定期的に様子を見に行かせて貰います」

 「ああ、そうしてくれ。俺も寂しいしな」


 お義父さんはニヤリと笑う。

 相変わらずの狸笑顔だ。


 「改めて、娘と国を頼むぞ? 後悔させないでくれ」

 「あなたが死後の世界で誇れるような仕事をしてみますよ」

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