第八十九話 スパイ対策
「いやあ、中々楽しかったな。旅行」
「うん。キリシアの芸術品とかも綺麗だったし」
「本もいっぱい手に入った」
どうやらユリアもテトラも満足してくれたらしい。良かった良かった。
……まあ面倒なこともあったけど。
「後はキリシアから後で来る人材のための家とか準備しないとね」
「ああ。後大事なのは防諜対策だな」
もし俺がキリシア人なら大量の人材の中にスパイを混ぜる。
守らなくてはならないのは紙と黒色火薬の技術。特に大事なのは黒色火薬。
紙は……まあそこまで難しいモノでもないから、盗むまでもなくコピーされると思う。
魔術に関しては心配していない。あれは盗もうと思って盗めるものでは無い。というか、そんな簡単に盗めるならば誰も苦労はしない。
あれはコンピューターのソフトを組むのと同じような技術。
見様見真似で出来るものでは無い。
「取り敢えずライモンドと相談しないとな」
「そうだね……あとさ、私新しい防呪システムを導入したいんだけど」
「ん?」
新しい?
何か新呪術でも思いついたのか。
「というかキリシアの技術を盗むだけなんだけどね。神様の名前を借りた防御システム。まず今までのシステムを簡単に説明すると……」
今までは結界は呪術師たち本人の呪力を使って張られていた。
従来のシステムでは各村に防呪設備があり、そこへ三~二流の呪術師が呪力を流し込んで結界を張る。三流ならば各村に一人は居る。
三十~五十個ほどの村をまとめた地域の中心にも防呪設備があり、そこへ二流の呪術師が呪力を流し込んで結界を張る。
直轄地や豪族の領地にも一つ、防呪設備がありそこへ一流の呪術師(魂乗せが出来るレベル)が呪力を流し込んで結界を張る。
最後に国内にある全ての防呪設備を統括出来る防呪設備―宮殿そのものにユリアや複数の一流の呪術師が結界を張る。
こんな感じで呪いから守っている。
このシステムは約十年ほど前の飢饉(ロンたちが捨てられた時)の反省を踏まえて、作られた。
ちなみにロサイス王の国周辺の国々も似通った防呪システムを築いている。
このシステムが有ればほとんどの呪いを弾き飛ばせるらしい。
少なくとも十年前の飢饉クラスの呪いが来ても、防げる設計だとか。
問題点は呪術師が防呪に掛かりっきりになることだそうだ。
「それで神様? の名前を借りるシステムってのは何だ?」
「簡単に言うと、人の信仰心を純粋な呪力に変換して結界を張ろうってこと。これなら永久に尽きることは無いから、呪術師の負担も減る」
「そんなこと出来るのか?」
「まあね。ただし、性質上結界にしか使えないけどね。魔術とか呪いへの転換は出来ないよ。……まああくまで計画だから。軽く伝えてくれるだけで良いよ。今度書類か何かにまとめて提出するね」
ふん……まあそれが出来るならかなり呪術師の負担が軽減できる。
呪術師から魔術師への転換も出来そうだし。
「テトラは何かあるか?」
「特にない。写本と魔術師育成には力を入れて欲しい」
「それはちょっと後に成るかな……」
取り敢えず呪術師の方が足りているとは言えないんだよね……
魔術も理論が難しすぎて、ほとんどの呪術師がちんぷんかんぷんのようだし。
呪術は『考えるな、感じろ!』 という技術だけど魔術は反対に『感じるな、考えろ!』だから。
だけどユリアみたいに薬の研究とか、そういう分野に着手している呪術師は比較的素養が高いみたいだけどね。
「というわけでライモンド。防諜を強化したいと考えている」
「なるほど。御尤もです。……取り敢えず紙と黒色火薬を製造している者には監視を着けましょう。それとそこそこ高い給料を」
人は職を失うことを恐れる。
当然秘密を話せば失業……どころか秘密漏洩で裁かれることは誰でも理解できるし、技術が流布して競争相手が下がれば自分たちに大きな皺寄せが来るのは目に見えている。
それでも話してしまう者は居る。何故か?
要するに給料が安いからだ。
日本でも外国に技術を~ということがニュースで報じられるが、その原因は給料が安いことに繋がる。
つまり高い給料を出して、国がお前たちを重要視している……と示せば問題ない。
紙に関しては給料を二、三倍に上げたとしてもまだまだ儲けが有るし、黒色火薬は儲けを考えるような物ではない。
高い給料を出した上で監視役を付ければまず大丈夫だ。これで漏れたらその時はその時だな。
完全な防諜体制など不可能だし。
「監視にはイアルを付けよう。あいつはそっち方面は得意そうだし」
「私も賛成です。彼ならやり遂げてくれるでしょう」
取り敢えず技術流出問題に関しては問題ないか……
「私としては技術以外……国内の軍事行動の情報を横流しにする連中を取り締まりたいですね」
「要るのか? それが出来るとしたら俺たちの身の周りの人間だぞ」
つまり豪族やその親戚の中に裏切り者が居ると?
「まさか、それはあり得ません……が、結果的に裏切り者をさせられている可能性は十分にあり得ます」
結果的に?
つまり自分や裏切り者ではないと思っているが俺たちからすれば裏切り者……
無意識のうちに情報を横流しにしている奴……ということか。
そんなこと、あり得るのか?
「人が一番防呪的に無防備になるのはいつだと思いますか?」
「それは……セックスの時だろ? それくらいは知っているが……」
「豪族の家長は男です。そして呪術師は基本的に女です。分かりますね?」
「いやいや、あり得ないだろ。俺だって軽い防呪技術は身に付けている。そりゃセックス中に本気になったユリアにやられれば間違いなく催眠を掛けられる自信はあるが……そもそもユリアクラスは早々居ないだろ。それに護衛の呪術師が呪術の残り香を嗅ぎつける」
呪いは守りよりも攻撃の方が遥かに難しい。これは呪術の基礎だ。
ある程度の防呪技術を身に付けていれば、相手がよほどの術者でもない限りは防げる。
「その護衛の呪術師本人が間者だったらどうです?……まあ豪族本人を直接狙うというのは少々言い過ぎでしたけど。順当に考えればその部下や、宮殿に仕えている官僚辺りでしょうね。その辺りはまともな防呪技術を学んでいる者が少なくなりますし、毒などの警戒もしませんから」
確かにその辺の警戒の薄い連中を相手に催眠でも掛ければ成立する可能性はあるな……
「じゃあ俺が突然召使に刺される可能性も?」
「……流石に直接行動させるのは無理では? まあ常日頃から召使をイジメて、反感を買っているなら別ですが……王は宮殿住の奴隷からも大人気ではないですか」
それもそうだな。あり得ないか。
ユリアも「やりたくないことをやらせるのは物凄く難しい」と言ってたからな。
「とはいえ、話くらいなら簡単ですよ。別に呪術抜きでも口が軽い奴はいますしね」
「まあなあ……悪気無しでポロポロ話す奴は実際居るしな」
そう言う奴に限って「誰にも言わないから!」と言うわけだけど。
「で、まさか推測だけでそんな話をしたわけではあるまい?」
「ええ、確固たる証拠はありませんが十分警戒するに足る情報源はあります」
そういってライモンドは俺に紙の束を手渡してきた。
紙には『国家呪術師登録票』と書かれている。
つい最近、まとめ終わった資料だ。もっともここに書かれているには名乗りを上げてやってきた呪術師だけで、実際にはまだまだ呪術師は国内に居るだろうと推測される。
「そいつは俺も目を通したぞ。何か変なところが有ったのか?」
「豪族が抱えている呪術師のうち、十二人が我が国出身者ではありません」
「別におかしなことではないだろ。呪術師が職を求めて各地を放浪するのはよくあるじゃないか」
呪術師は誰もが欲しがる人材だ。故に高い給料を求めて各地を移動し、士官しようとする。
替えが利かない人材だから、こういうことが出来るのだ。
「面接資料をお読みに?」
「……軽く目は通したが……」
俺だって忙しい。何でもかんでも見ているわけにはいかない。
大企業の社長が新入社員の試験記録を全部チェックするか? しないだろ。
流石に魂乗せが出来るクラスの呪術師はしっかりと確認したが……それ以上はしていない。
「十二人中、八人にガリア訛りが確認されたそうです。つまりロゼル王国出身です。……昔からあの国の耳の良さは有名だったんですよ」
「仮に八人がロゼルの間者だったとしよう。でもそいつらはつい最近来たわけじゃない。もう十年以上前からこの国に居るんだろ? しかもお前の説が正しければ我が国だけではなく、他の国……特に国境を接しているドモルガルとかには我が国の数倍の間者呪術師が居てもおかしくない。そんな長期間貴重な呪術師を国外に出すか?」
あり得ない。
確かに情報は大切だが……そもそも捨て駒が前提の間者に呪術師を使うだろうか?
呪術師の中でもっとも貴重なのは一流の魂乗せ使いだが……それ以下でも貴重なことには変わりない。
催眠というそこそこ高度な呪術を使える呪術師は我が国でも百人を少し超える程度しか居ないんじゃないか?
「アルムス様。ロゼルの人口は三百万を軽く越すと言われています。我が国は精々二十五万ほど。純粋に呪術師の数は十二倍ですよ。それにあそこには世界最古の呪術師であるマーリンが居る。あの国は世界有数の呪術先進国です」
つまり我が国とは人的資源の量が段違いだと。十二倍だから千二百人か。
それだけ居れば各国に数人潜らせるくらいはそこまで難しくはないか。
「じゃあ捕まえて訊問でもしてみるか?」
「したことが有ります」
……おいおい、俺の許可なしで随分と行動が早いじゃないか。
流石に笑って済ませられんぞ?
「いやいや、違います。十年くらい前の話です。私が雇った流れの呪術師……十四歳ぐらいのガリア訛りを話す呪術師が居ましてね。最初は特に気に掛けなかったんですが……少々行動が挙動不審でして。監視してたら深夜に梟を飛ばしているのを発見したんです」
「それで、どうだった?」
俺の問いにライモンドは首を横に振る。
「全く。訊問しても何も言いませんでした。仕方が無いので拷問に掛けたんですが……」
……相手は十四歳の少女だよな? 冤罪じゃないかとか、全く考えなかったのか。お前。
「許して下さい。話します! 私は……というところまで言いかけて死んでしまいました。死因は心臓の破裂です」
「つまり呪いか……間者というのは本当だったんだな。だけどロゼルの間者かどうかは『ガリア訛り』以外の情報は無い」
実際、ガリア訛りだからと言ってロゼル王国の出身者だとは限らない。
ドモルガル王の国も北部に行けばガリア人との混血児も居るわけだし。
「取り敢えず、確実に信頼出来る呪術師を動員して呪術の痕跡を調べさせるか。残り香は意識しない限りは分かり難いが、意識すれば鮮明に分かるらしいし」
確実に間者が居る。
そう疑って捜査をすれば確実に釣り上げられる。もっとも、間者が本当に居ればの話だけどな。
「それと我が国も試してみるか。取り敢えずドモルガル辺りで」
「良いですね。実際に可能かどうかの検証にも成りますし。下っ端兵士辺りに使えば危険も少ないでしょうし」
取り敢えずは防諜に集中。余裕があったら外で情報集め。
よし、こっち方面の方針が決まった。
ああ、そう言えばユリアの提案について話してなかったっけ。
「どう思う?」
「良いと思いますよ。問題はどの神を使うかですね……神と言っても思いつく限りで十柱以上は居ますし。軽く調べれば百柱は名前が出てきますし。グリフォン様も神と言えば神ですしね。まあ無難なのがゼルピアですかね……我がロサイス家の守り神ですし。でも庶民からの人気はイマイチですから……」
ぶつぶつとライモンドは考え込み始める。
そして何かを閃いたようだった。
「これは……防呪防衛だけでなく政治的にも役に立ちそうですね。少しお時間を下さい。私も少し考えてみます」
「ああ、分かったよ。好きなだけ考えてくれ」
生憎俺は神話関係は疎いんだよな……
さっぱり分からない。五、六柱しか知らないし。
俺はライモンドと会談を終え、執務室に戻った。
机の上には紙の束。これは全て治水に関する書類。
土地の権利の買い取りだとか、水の利用だとか……
とにかく面倒くさいモノだ。
俺は国王だから、日本ほどその辺は面倒ではない。が、それでも無理やり決めるわけにはいかないのだ。
下手すると水争いから内戦に発展する。
アデルニア人の農民は鍬以外にも剣とか槍も持っているからな……
「ああ……こいつも片付けなきゃいけないのか……」
少しいろんな事業に手を伸ばし過ぎてるかもな……
大変になって居るのは統括する俺だけだけど。