第七十四話 魔女Ⅱ
今回はグロイ、エグイ、酷いの三拍子なので、メンタルが弱い人は覚悟して読んでください
残酷な描写ありです
実に不可解な存在だった。
麻里はつい数時間前に出会った男……アルムスを思い浮かべる。
この世界の体と異世界の魂を持った人間。
迷い人を転移者とするならば、彼は転生者と言ったところか。
まあ、人の体を乗っ取るというのはあり得ないわけでは無い。
離魂草を誤食、または盛られて、魂が体から離れてしまう。
死んでいるが体は暫く生きる。こういう状況下で別の魂が近くを通れば、その中に吸い込まれる形で魂がその死体に宿る。
おそらくあれは偶然……または妖精たちの悪戯だろう。
それにしてもあの国はなかなか制度が整っていた。
農地も広く、岩塩も多く産出する。それにあの紙……
強国になる下地は完成している。後はあの新王が如何にして豪族を抑え込むかだが。
今のうちに対策を……
「ねえ、母さん。母さん、聞いてる?」
「ああ、ごめんね。聞いてるわよ。エリー」
麻里は自分が跨っている黒い生き物を撫でる。
エリーと呼ばれた黒い生き物……飛竜は嬉しそうに声を上げる。
麻里は今、空の上に居た。
この飛竜はジェット機並みの速度で飛ぶことが出来るので、ロゼル王国本土まではあっという間だ。
高位の竜種は風や火を自在に操れるので、麻里は一切風を感じていない。
気圧も地上と同じ値に調節されているため、とても快適な空の旅だ。
高位の竜種はプライドが高いため、人を乗せるということは無いがエリーは別だ。
どういうわけか成獣に成った後も母離れが出来ていないのだ。まあ、麻里からすればその方が都合が良いのだが。
「どうしたの?」
「別に用は無いよ。でもずっと黙ったままだったからさ」
エリーは心配そうに言う。
ちなみにエリーは人語は話せない。発声器官は竜と人では違う。
だが風を操り、空気を振動させて音を作るのは容易いことだ。
「ごめんね。大したことじゃないわ」
麻里はエリーの頭を撫でる。
その口元には笑みが見えた。
「陛下。第一級戦略呪術儀式の許可を頂きたい」
麻里は王宮に戻った後、すぐにロゼル王に言った。
「ロサイス王の国か? そこまでの脅威ではないように見えるが……」
ロゼル王は難色を示す。
国一つに飢饉を齎すならば第二級で事足りる。
第一級となると南アデルニア半島南部の半分以上の範囲に飢饉を齎すことが出来る。
ロサイス王の国一国だけに掛けるにしてはオーバーで、費用も掛かりすぎる。
そもそも第一級は去年、北部三か国に掛けたばかり。
大規模呪術で使う素材もストックがそれほどあるわけでは無いのだ。
「いえいえ、あの国は脅威です。あの国はキリシア人を積極的に登用して国の近代化を計ろうとしています。それに先の内戦で中央集権化にも成功した。しかも今の王は若い。間違いなく軍事的な挑戦に出るようになります。そうなると後々、我が国の前に立ちはだかる面倒な障害になるでしょう。芽は早く潰すべきです」
第一級戦略呪術儀式は費用が掛かるが、遠征ほどでは無い。
国一つを疲弊させるには安い……と考えることも出来る。
「だが第二級でいいだろう。あの国はそんなに広くないではないか」
「いえいえ、掛けるのはロサイス王の国の周辺国ですよ」
麻里はニヤリと笑った。
カツ、カツ、カツ
麻里の靴が階段を踏みしめるたびに、高い音が成り響く。
時折、人の怒鳴り声や叫び声、断末魔の声が響く。
下に降りれば降りるほど、強烈な悪臭が麻里を襲う。
ロゼル王国首都リュティアの郊外。
凶悪犯罪者が収監された牢獄、通称毒壺。
麻里は十人の屈強な兵士を引き連れて、毒壺にやってきた。
目的は一つ。呪術の素材を収穫するためである。
「ふん……六、八、十二、十五、二十三、三十一。一匹ずつ、丁寧に取りだして。結構危ないから気を付けて」
「了解です」
兵士たちはまず、六番の牢に向かう。
その牢は非常に広く、三十人は収監しても余裕のある広さだ。
牢の中では汚物が垂れ流しになっていて、人骨や腐った人間の死体が転がっている。
強烈な
中には血走った眼の男が一人、座りこんでいる。
男は麻里の姿を見て取ると、鉄格子に齧り付いて叫んだ。
「魔女め!! 地獄に落ちろ!! 殺してやる!!!」
「あはは、君は相変わらず元気だね。うん、良いことだよ。生贄は元気なのが一番望ましいからね」
麻里はそう言って、ポケットから植物を取りだした。
だが花の形からラベンダーでは無いことはすぐに分かる。
「魔草。そろそろ切れてきて辛くなってきたんじゃないの?」
麻里は強力な麻薬を男の目の前で振って見せる。
「黙れ!! 俺はお前なんぞに屈しない!!」
そう言いながらも男の視線は魔草に釘付けだ。
麻薬は大まかに二つに分類できる。
抑制作用系と興奮作用系である。
魔草は興奮作用系に属される。
この草は人の精神を激しく興奮させる。
憎しみや怒りを増幅させることが出来るのだ。
呪術の原動力は感情である。感情が豊かであればあるほど、強力な呪術を扱える。
結界を張るならば、人を守りたいという思いや、愛、優しさ。
呪いを掛けるならば妬みや嫉妬などの負の感情。
蠱毒の呪術はその典型的な例だ。
毒虫同士を殺し合わせて、恨みを溜めこみ、それを媒介に呪術を使う。
虫を使うのは扱いやすいからと、入手が容易だからである。
つまり虫でなくとも、犬や猿、人間でも問題ない。いや、むしろ知性が高い生き物の方が望ましい。
それだけ感情が豊かだからだ。
人間蠱毒。
どんな呪術師も一度は頭を過ぎる技術。
だが人間蠱毒という呪術にはいろいろと問題点がある。
まず、同族同士で喰い合わせるにはなかなか根気が居ること。
そもそも費用が掛かること。
食い合うようになった時点でほとんどが狂っていて、憎しみや怒りなどが歪んでしまっていて、期待していたほどの効果は得られないこと。
そしてそもそもそんな狂ったことをやろうと思う呪術師は居ないということ。
人を呪わば穴二つ。
強力過ぎる呪術は身を亡ぼす。多くの呪術師は呪いが返ってくるのを恐れて手は出さない。
だが麻里は実行に移して見せた。
麻薬を使うことでより効率的に、そして憎しみや怒りを増幅させるという徹底ぶり。
ある意味彼女も壊れている。
彼女の現代日本人としての倫理観は五百年以上も前にすでに崩壊してしまった。
崩壊した理由は……『女』『不老の加護』『野蛮な騎馬民族』『性奴隷』。
四つのキーワードから連想するのは容易い。
「ふふ、元気が良くて結構、結構。殺す前にたっぷり吸わせてあげるよ。それまで三日、我慢してね。死にたくなるほど辛いかもしれないけど、我慢して」
麻里は不敵に笑った。
「あのー、今回の目的って何ですか? ロサイス王の国の国力を落としたいんですよね? じゃあロサイス王の国に呪いを施すべきでは無いですか? それに生贄の数も少な過ぎです。これでは坑呪結界に弾かれて、何の損害も与えられませんよ?」
呪術師の一人、アナベラは麻里に聞く。
彼女はまだ十五歳という若さだが、麻里から直接の指導を受けていた。
将来の補佐役として期待されているのだ。
「良いのよ。損害を与える必要は無いの。今回は周辺国へ呪いを掛けた犯人がロサイス王の国だと思わせるのが目的だからね。あそこには丁度良く優秀な呪術師が居ることだしさ」
麻里の返答にその意図を理解したアナベラは口を閉ざした。
目的と自分たちの指名はすでに分かった。後は呪術に専念するだけである。
「■■■■■!!!」
アナベラは叫び声を上げている生贄に視線を向ける。
彼らは全員猿轡をされて、十字架に掛けられていた。
猿轡を外せばその口から呪詛が漏れ出てくるのは十分に予想できる。
五月蠅いだけなので、黙らせているのだ。
「……」
「あはは、良心が痛む?」
「まあ……それなりに。でも自業自得ですよ」
アナベラは磔刑に処されている受刑者たちを見ながら言う。
「あそこの三人の男は処女や少年を強姦した上に殺した。あっちは強盗をして一家八人を殺して放火、その炎で六棟の家が燃えて合わせて六人が死亡。あっちは密かに他国と内通していた裏切り者。あっちは国内で禁止されている奴隷狩りをして、百人を超える人間を誘拐してキリシア人に売り払った」
「ふふ、そう言えばそうだね。あの男のおかげで芋づる式に何十人も素材が手に入ったよね」
素材が手に入った上に治安も良くなる。
一石二鳥だ。
「どうせ死ぬ運命の奴らです。まあ当然の報いでしょう」
「まあ、生かしておいても仕方が無いからね。戦争捕虜は売ったり、労働させたりと使い道があるけど」
麻里は磔刑に処されている死刑囚の猿轡を外すように命じる。
もう呪詛を吐く元気はないようなので、出来るだけ長生きするように呼吸をし易くしてやるのだ。
「やっぱり生贄は磔刑が一番良いですね。火炙りだと気絶しちゃう人が多すぎて。こっちは気絶しても鞭で打てば起こせますし」
「火炙りは恨み以上に火への恐怖が勝っちゃうからね。火炙りの方が辛いんだけど」
「詳しいですね。実体験でもあるんですか?」
アナベラが冗談交じりに言うと、麻里は微笑みながら……だが笑っていない目で呟く。
「まあね」
麻里はアナベラと受刑者たちに背を向けて、その場から立ち去りながら言う。
「じゃあ、私は寝てくるよ。死んだら教えてね。仕上げは私がやるからさ。あなたたちには荷が重いでしょ。このレベルの呪いは」
麻里はその場から立ち去り、誰も周りに居ないところで静かに呟いた。
「死っていう明確なゴールが見えてるだけ、よっぽどマシでしょ。幸せモノだね」