第七十三話 魔女Ⅰ
取り敢えずA案とC案の折衷で行こうかと思います
それは所謂一週間戦争四日目から五日目の出来事だった。
ファルダーム王の国と交戦中だった軍勢が突如方向を変え、一気にドモルガル王の国へ雪崩れ込んだ。
騎兵三万と歩兵六万に為す術もなくドモルガル王の国は蹂躙され、北部の大部分の領土を奪われた。
「マーリン殿の助言通りだな。これほどまでに上手く行くとは」
ロゼル王は思わず呟いた。
それにマーリンが答える。
「竜のおかげですよ。この子たちのおかげで情勢を簡単に知れました」
マーリンは肩に乗る小型の竜を撫でる。
小型の飛竜で、時速五百キロ以上の速度を出せる竜ならば戦況を随時確認することは簡単だ。
ロサイス軍に敗れたドモルガル軍を救援するために北部国境から軍が移動したのを知ったのは昨日のこと。
それを即座に知ったマーリンはロゼル王に軍を動かすことを提言。
こうして大きく領土を削ることに成功したのだ。
「ロサイス王の国へ侵攻したドモルガル軍は大打撃を受けて、再起不能。疲れ切って使い物にならない。もう今の国境線を維持するのだけでも大変でしょう。南部も北部も取り戻す体力は無い」
それは南アデルニア半島北部の三大国の一角が崩れたことを意味する。
「このままドモルガル王の国を攻めるべきか?」
「いえ、期を待つべきでしょう。南征の指揮官は第一王子のカルロ。ですが彼は失敗した。おそらく王太子の身分は剥奪される。次の王太子の座を巡って内紛が起こるはず。そこに付け込みましょう。ですがまだ内紛の目は表面化していない。窮鼠猫を噛むと言います。暫くはファルダーム王の国の領土を奪いながら、富国強兵に勤めましょう。……それにまだガリアの統一も終わっていませんしね」
ロゼル王国が支配しているのはガリアの南部だけである。
ガリアには三十二の部族が存在し、ロゼル王国が征服した部族は二十。まだ十二の部族が反抗的だ。
本格的にアデルニア半島の支配をするのはガリアを平定した後の方が望ましい。
「そうか。流石マーリン殿だ。我が国はあなたに助けられてばかりだな」
「ふふ、私は初代国王陛下の育ての親であり、最初の家臣です。私からすればこの国は……孫のようなものですよ」
不適に笑うマーリン。
十七歳か十八歳の娘にしか見えないが、その表情はまさに数百年を生きた魔女と言うべきだ。
「では陛下、そろそろ私は家に戻ります。研究があるので」
マーリンは黒いマントを翻し、歩いていく。
多くの将兵たちはその背中を尊敬と畏怖のまなざしで見送った。
マーリンの家は外見は非常に小さい。
だがその下には巨大な地下室が広がっている。
中には複雑な幾何学模様が描かれていて、何に使うか分からないような薬品が棚の上に置かれている。
マーリンはソファーの上に座りこんだ。
「ねえ、居るかしら?」
―ああ、居るよ―
子供のような声がマーリンの声に答える。
もっともこの声はマーリンにしか聞こえない。おそらく他の人間が見ればマーリンが悪魔と会話しているようにしか見えないだろう。
「前から思うの。あなたたちの姿を見てみたい」
―嫌だよ。恥ずかしいじゃないか。声を聞かせるのも本当は恥ずかしいんだよ―
揶揄うように返ってくる言葉。
―ところで研究は進んでいる?―
「ええ、もう九割は」
―五百年かけた甲斐があったね。僕が君に加護を与えた甲斐があったというものだよ―
「ああ、この『不老の加護』ね」
マーリンはそう言って近くのナイフで自分の指を切り落として見せた。
鮮血が流れるが、あっという間に血が留まり、断面が盛り上がり、指が再生する。
「不老と言うよりも肉体を常に最善の状態に保つというのが正しいわね。死んだ細胞が瞬時に再生する。でも頭を潰されて、肉体が魂から離れたら終わり。つまり即死は免れない。不死ではない……」
マーリンはため息交じりに呟く。
長生き出来るのは結構なことだが、死ぬときは死んでしまうのだ。
それに彼女はこの加護の所為で散々な目に合っている。
下手に長生きした所為で死への恐怖が人一倍に強まってしまった。
これなら早い内に死んだ方がマシだったかもしれない。
―仕方が無いでしょ。僕らは一を百にすることは出来るけど、一を無にすることは出来ないし、百を∞にすることも出来ないんだ―
全ての生き物には生死がある。
それは表裏一体の物だ。
生きているというのはいつか死ぬということ。
不死とは表しかないカードと同じように矛盾した存在だ
即ち出来ないことであり、してはならない禁忌である。
「まあ、私の研究はその不死なんだけどね……呪術のさらに先。世界の理を捻じ曲げて、書き換える。神への反逆。即ち魔法の実現」
―楽しみだ。出来ないことが出来るようになるなんてね。早くみたいよ。魔法を。本当にどうなるんだろう? 誰もが死なない天国のような世界が訪れるのか。それとも……―
誰もが死ねない地獄の世界を訪れるのか。
もしくは世界そのものが崩れて壊れてしまうのか。
「私は死にたくない。エツェルのようにはね。私は這い蹲ってでも生きるわ」
マーリンは笑う。
―そう言えば、またあいつらが邪魔をしようとしているよ。今回は本腰入れてきたみたい。気を付けて―
「それを聞くのは十回目。ほとんどの連中は私が操るロゼル王国に敵わない。誰? ペルシス皇帝とか? あのおっさんはここまで来る気なんて無いでしょ」
―転移者だよ。でも肉体はこの世界のものだ。魂だけ異世界産。狙ってやったのか、それとも偶然の事故か。まあどっちでも良いけどね。名前は……―
―アルムスだっけかな?―
「へえ……興味深いわね」
マーリンは茶を自分で淹れて飲む。
東方から仕入れた緑茶だ。
マーリンの故郷のお茶に比べると不味いが、それでもワインよりは好きだ。
―詰まらない連中だよね。出来ないことが出来るように成るのが怖いだなんてさ。未知こそ一番楽しいのに―
「死ぬかもしれないスリルを楽しんでる奇特な妖精はあなたたちくらいでしょ」
―そうかな? まあ別に他の奴らなんてどうでも良いけどね。じゃあ期待しているよ……―
―黒崎麻里―
声は消える。
マーリン―麻里は空になったコップを机に置いて、伸びをする。
「アルムスね……取り敢えずこの目で見てみようかしら」
マーリン、一体なに人なんだ……