第六十八話 七日戦争Ⅴ
ブラウス家はドモルガル王の国では五指に入るほどの大豪族である。
その資金源は世界有数とも言える
現在ブラウスの街を守るのはブラウス家次男のルネ・ブラウスである。
当主であるブラウスと、その長男はロサイス王の国を攻めている最中だ。
「あーあ、僕も戦争に行きたかったよ。そうすれば僕の見えない斬撃でアルムスとかいう敵将を倒せたのに」
ルネは残念そうに語る。
それにルネの部下が答える。
「だからこそお父様はルネ様に背後を任せたのではないですか? ルネ様に期待していらっしゃるのです」
「だよね! やっぱりお前もそう思うか!!」
ルネは上機嫌だ。
取り敢えずルネ相手には機嫌を取っておけば問題ない。
それを部下は知っている。
実際のところを言えば、ルネには全く軍才は無い。そして武力も無い。
故にルネの父親はルネを連れていかなかったのだ。
だがルネは全くの無能というわけではない。
ルネは臆病で、慎重な性格であるため軍人には向かない。
だが文官としては才能を示している。
その慎重な性格が鉱山の安全な拡張に貢献しているのだ。
八年前の大飢饉を繰り返さないために、
そのおかげか、八年前の疫病以来、ブラウス領の農業生産力は大きく上がっている。
何だかんだでルネの政治家としての能力はみんな認めている。
本人は軍人に成りたいようであるが。
そんなルネのところに急報が届く。
「大変です!! ロサイス軍に包囲されました!!」
「あはは、面白い冗談だね。ロサイス軍はテリア要塞に閉じこもっているって戦場の父さんから鷹便が昨日来たばかりだよ……え、本当なの?」
ルネの額に冷たい汗が浮かぶ。
「ルネ様!! 今こそルネ様の見えない斬撃が役に立つときじゃないですか!!」
「いやいや、ジョークだから。うん、と、取り敢えず交渉しよう。いや、その前に敵の数、兵科を確認するんだ!!」
ブラウスの街は城郭都市である。
その財力で築いた城壁はドモルガル王の首都を囲む城壁の次に高く、丈夫だ。
その上からルネは敵軍を見下ろす。
もう日は落ちているため、敵軍の姿は見えない。
敵は篝火を消しているようで、数はさっぱり分からない。
だがドモルガル軍本隊を破ってここまで侵入したと考えれば、最低でも五千は越す。
ルネは思わず唾を飲み込んだ。
一方、ブラウスの街の兵力は二百ほどだ。そもそもこんなところにまで敵が侵入するとは思いもしなかったのだ。
とてもじゃないが勝てそうもない。
「ブラウスの街の領主よ! よく聞け!!」
男の声が響き渡る。
ルネは答える。
「僕は父の代理でブラウスの街を守っている、ルネ・ブラウス!! 我が街に何の用だ!!」
男はその声に答える。
「この街はすでに包囲されている。大人しく降伏しろ。降伏して城を明け渡せば貴公と住民、兵士の命はすべて保障しよう!!」
「か、考えさせてくれ!!」
「こ、降伏するしかないか?」
ルネは部下に聞く。
部下は静かに頷く。
「早馬や鷹便の報告が来てないことには気になりますが……ドモルガル軍が負けたと見て良いでしょう。ここまで攻められているのですから。どうしてか分かりませんがかなり寛容な条件です。受け入れましょう」
「わ、分かった。受け入れよう」
ルネたちは知る由もないが、今ドレス村陥落の報を伝えるための早馬は出てはいたが、ロサイス軍に潰されていた。
ドレス村からブラウスの街までの道で、馬が全速力で走れるのは二本。
そのうち一本の道―最短経路はロサイス軍が通っているので早馬は通れない。
だから遠回りの二本目を通ることになる。
だがそんなことはロサイス軍も分かっていた。
あらかじめ待ち構えて、すぐに拘束してしまった。
鷹便を使えよと思うかもしれないが、呪術師は貴重な存在。
最重要地点―ドレス村やブラウスの街にしか配備されて居なかったのである。
「いや、本当に受け入れるとは……」
ライモンドは開く城門を困惑しながら見る。
こちらは五百しか居ないのだから、立て籠るのは有効な手に思える。
まあバリスタと爆槍もあるので、城門を破壊するのはそこまで難しいことではないのだが。
「実は罠だったりしませんか?」
ムツィオも困惑した表情で城門を見る。
「罠だよ、罠。きっと突撃した瞬間に左右から弓矢で狙い撃たれるよ」
ロズワードも『罠説』に賛同を示す。
「はあ、臆病者ばかりですね。じゃあ俺が行きますよ」
ヴィルガルは数人の手勢を連れて城壁の内側に入る。
そして中から叫ぶ。
「大丈夫っすよ」
その声を聞き、ようやくロサイス軍は安心して入城した。
「くっそ……まさか五百しか居ないだなんて……一生の不覚……」
ルネは縛られたまま、悔しそうに顔を歪める。
その瞳には涙が見える。
「まあまあ、そういうこともありますよ」
ライモンドはルネを慰める。
何だか同情心が湧いてきたのだ。
「うわあ! すげえ、
ムツィオは楽しそうに略奪を開始する。
頼みの自国兵士二百は拘束されているため、抵抗も出来ない。
エクウス族は悔しそうに遠目から睨みつけている商人や、街の有力者の家から金品を強奪する。
中には香辛料や金細工、ガラス細工などの外国の嗜好品も沢山あった。
宝の山である。
唯一安心したのは街の中流以下の住民だ。
彼らは穀物や塩、娘くらいしか略奪されるようなモノを持っていない。
当然のことながらいくら野蛮なエクウス族も、財宝の山を前にわざわざ貧民から穀物や塩を奪わない。というか奪う時間が勿体無い。
それにブラウスの街は鉱山都市でもある。
つまり鉱夫たちが大勢生活している。彼らのための息抜き施設……つまり娼館も多い。
娼館も無料という御達しを受けたエクウス族たちは娼館に押し掛けた。
そんなこんなでロサイス軍のブラウスの街の占領は(一部を除いて)非常に平和的で穏当な物だった。
「隊長! 俺は隊長に仕えることが出来て幸せです!!」
ヴィルガルは上機嫌でロズワードに言う。
その両手には山のような財宝。
頭には金の冠、首には見るだけで肩こりしそうになるほどの首飾り。
亜麻の服も脱ぎ捨てて、紅い美しい絹の服を着ている。
恰好だけなら豪族や成金商人だが、生憎顔と雰囲気がそれを台無しにしているため、財宝を見つけた海賊のような印象を受ける。
強ち間違って居ないのが悲しいところである。
ヴィルガルたちが上機嫌なのはこれだけの金があれば自分自身を買い戻すことは容易だからだ。
御釣りで大きな家も建てれる。
ヴィルガルの頭の中では薔薇色の生活が踊っていた。
もっとも、流石に大きな家や土地を購入すれば略奪した財宝は底を尽きることをヴィルガルは知らない。
ゲルマニスというアデルニア人も顔を顰めるド田舎出身のヴィルガルは土地の価値がどれくらいかイマイチ分かっていないのだ。
「これが隊長の分です」
「いや、俺は良いよ……人から奪ったものは……」
そうやって拒否しようとするロズワードの手にヴィルガルは強引に押し付ける。
「この戦争が終わったら
「ええ……うんじゃあ貰おうかな」
キラキラ光る金物にあっさりとロズワードはやられる。
人間なんてこんな物である。
「ところで隊長は何をしてるんですか?」
「書類を集めてるんだよ。各村の位置とか村長の名前とかが書いてある。毎年の税収もね。うちの領ほどじゃないけどなかなか正確だ。兄さんと同じような発想をする奴が居るとはね。本当に凄い」
「いやあ、それほどでも」
ルネが照れ笑いする。
ロズワードはルネに近づく。
「俺の名前はロズワードです。アス領領主アルムス様の一の家臣です。御一つお聞きしたいのですが……この領に居る家臣の名簿はどこにあるんでしょうか?」
「え? 何に使うのさ」
「人材の引き抜きです」
ロズワードが正直に答えると、ルネはケラケラと笑う。
「いやいや、教えるわけないでしょ。頑張って探せ……」
「教えろ!」
ロズワードは剣を抜き放ち、ルネの首筋にぴったりと付ける。
「父さんの部屋の上から三番目の引き出しです!!」
「ありがとうございます」
ロズワードは優雅に礼をして、この館の領主の部屋に向かった。
一方、ソヨンはこの街に配置されていた呪術師たちを拘束していた。
彼女たちは梟便を飛ばすことは出来ない。
何故なら空になった体を殺されれば、死は免れ無いからだ。
とはいえ安心は出来ないので、一人一人拘束していった。
「これで終わりか……さて、早速財宝漁りに行こうかな、行きましょう先輩!」
「いや、人から盗んだ物は……」
ソヨンが拒否しようとするも、ドーラはその手を強引に掴む。
「何言ってるんですか! あれは人が大地から盗んだ物。盗品を盗んで何が悪いんですか。それにこの街の物はすべて私たちの物ですよ。それに結婚するんでしょう? ロン千人隊長と」
「え、まあこの戦争が終わったら……」
「じゃあお金が必要でしょ」
ソヨンはドーラに言いくるめられて、略奪に加わった。
しばらくして、楽しい略奪タイム終了のお知らせがライモンドからもたらされた。
これから捕らえた兵士やルネ、内政官や呪術師の処遇を決めるのだ。
本来ならすぐにやらなくてはならないことだが、エクウス族たちが我慢できそうにない雰囲気だったので、後回しにしたのだ。
「新王は官僚を村々に派遣して直接税を取りたがっている。だからキリシア語の読み書きができる人材は必要不可欠なんだ」
「それについては聞いている。私もその方針は進めるべきだと。それでこの官僚たちを連れていきたい。そういうことかな?」
「そう言うことです」
早速物理的な勧誘が始まる。
首輪と足枷と手錠を付ければ完成である。
まずは二十人の奴隷化が決定した。
本来の戦争であれば奴隷にするかどうか悩むくらいなら全員奴隷にするのだが、生憎大勢は持ち運べない。
歩かせれば騎兵の機動力が殺されてしまうからだ。
荷馬車に荷物のように積み込んで運ぶ予定である。
「まあ、安心したまえ。君たちにはこのブラウス領で働いていた時以上の給料を保証するから」
一応反乱を起こされるのは問題なので、そう言いくるめておく。
これでわざわざ逃げ出そうと考える者は居ないだろう。
「あの……家族は……」
「これと交換すればいいだろ」
「誰がこれだ!!」
ルネは抗議の声を上げる。だが誰も聞き入れない。
次は呪術師である。
呪術師は非常に面倒くさい存在だ。魂乗せが出来るほどの高位の呪術師は、例え鎖で縛っても何らかのアクションを起こすことが出来る。
だから強引に連れていくことは出来ない。
だから正式な勧誘になる。
彼らを一人ずつ個室に呼び出し、面接を行い、ついて来るか聞く。
当然今の倍以上の給料を餌にだ。
この街とドレス村には合わせて十人の魂乗せが出来る呪術師が居たが、その内三人はロサイス軍に加入することが決まった。
すぐに
まあそれでも安心は出来ないので、数人の兵士と一人の呪術師が監視に着くのだが。
他は夫や子供が居るという理由で断った。
いくらルネと交換できるとは言え、環境が変わるのは良くない。
次はルネを含むブラウス家の親族たち。
彼らは全員連れていくことが確定した。
身代金を請求できるし、交渉材料にもなる。
何しろブラウス家はドモルガル王の国の中でも五本の指に入る大豪族。
今回の戦争にも多数の兵士を連れてきている。
ブラウス家がこの戦争から抜ければ大幅な戦力ダウンに繋がる。抜けさせることが出来なくとも、ブラウス家がロサイス王の国と繋がっていると疑心暗鬼にさせることも出来る。
兵士たちは面倒なので武装を解除させた上で牢屋に全員入れてしまった。
殺しても良いが、殺す必要性が見られなかったからだ。
殺さないと、また武装して敵兵になる可能性は上がる。
だが今まで殺さない方針で来たので、最後まで貫いた方が良いだろうという判断だ。中途半端は良くない。
それにロサイス軍に投降すれば命は助けて貰えるという噂が立った方が何かと都合が良い。
「さて、ソヨン殿。梟便をお願いできるか?」
「分かりました。今夜中にはアルムス様のお耳に朗報を入れてきますよ」
ソヨンはそう言って駆けていく。
真夜中に梟を襲える生き物など存在しない。真夜中の梟便は一番安全な伝達手段である。
「さて、今夜は良く寝て英気を養ってくれ。明日は大急ぎでドレス村からやって来る敵を撃破しなければならない。その後もう一度ドレス村の再占領。後はアルムス殿の指示や現場の状況次第で臨機応変に。では」
二日目午後
ドレス村奪還の命を受けたのはブラウス……つまりブラウス領の領主である。地の利に長けているだろうというトニーノの差配だ。
ブラウスはまず騎兵だけを先行させて、ドレス村の様子を確かめた。
そして歩兵を急がせながら行軍させた。
「何? ロサイス軍は去った後だと? 目的地は……ブラウスの街!!」
ブラウスは先行させた騎兵二百をブラウスの街へ移動させる。
ブラウスの街には二百の歩兵しか居ないからである。
強行軍の歩兵二千は一度ドレス村で休ませる。
ブラウスとしては夜間に走らせたいが、そんな危険なことは出来ないし、兵士の体力も持たない。
ブラウスとしては敵五百が攻めあぐねて、先行させた騎兵二百で挟み撃ちになることを祈るしか無い。
戦力を分散させるという下策を取ったブラウスの行動は将軍としては最悪である。
だが致し方が無いことだ。
自分の家族の命が掛かっているのだから。
強いて言うなれば、トニーノの差配ミスである。
だがトニーノに全ての責を負わせるのも酷な話だ。まさか敵がそこまで大胆な動きを見せるとは思わなかったからだ。
そしてルネがあっさりと降伏してしまうとも誰も思わなかっただろう。
だがルネは元々軍才の無い人間。事前情報の無い状態では最善手であったとも言える。どうせ負けるならば犠牲が少ないに越したことは無い。
全ては不幸の連続であり、ロサイス軍の掌の上だった……
斯くして一週間戦争は三日目を迎える。