第六十二話 工作Ⅰ
投稿時間間違えた
時はほんの少し遡る。
エクウス族に使節を送る会議は案外すんなりと通った。
リガル・ディベルがそこまで反対しなかったことが理由だ。
彼からすれば蛮族と交易する意義も無いが、別にそれを邪魔する意義も無かったためである。
要するに興味がなかったのだ。
エクウス族に第一使節を送ることが確定した後、アルムスは急いで領地に戻り戦の準備を始めた。
今回の戦争では募兵で集めた八百に加えて、徴兵で千二百ほど集める。
総勢二千。
人口の六%から七%に及ぶ。
予定では二十日以上は長引かないことになってはいるが、それでも負担は大きい。
アス領民にはドモルガル王の国との国境近くに住んでいるという自覚もあるし、今回の領主であるアルムスは善政を行っているので大きな反発は無いだろう。
アス領の財政も塩と紙の両輪で安定している。
問題は質の問題である。
そこでアルムスは帰ってきてから早々、領民に軍事訓練への参加を義務付けた。
一週間に一度、十から二十程の村ごと集まって訓練を行う。
その程度だ。
一週間に一度なら農地が荒れることもない。
それに領民に危機意識を抱かせるのも目的の一つだ。
さて、兵の調達以外にもやるべきことはまだまだある。
まずはイスメアと青明とルルに要塞の更なる補強工事と点検を命じた。
ガチガチに守りを固めるためだ。
要するに結界を張り巡らして、今以上に強固にしろということだ。
さらにアルムスはテトラと共に新たな守城兵器の開発を始めた。
ソヨンにはロサイス王所属の呪術師と共にドモルガル王の国の地形調査をさせる。
真夜中、梟を使うのでそう簡単には見つからない。
まあこれに関してはロサイス王の国も同じことをやられているだろうが。
ロンとロズワードとグラムは兵の調練だ。
さて、最後にイアルだが……
イアルはアス領を離れてディベル領に居た。
数人の部下と共に行商人に扮しての行動だ。
十年ほど前、ロンたちが子供の頃は貨幣はほとんど流通していなかった。
だがここ十年ほどで急速にアデルニア半島は貨幣経済化が進んでいた。
キリシア商人達の動きが活発になったことや、アデルニア半島各地で岩塩が見つかったこと。
アデルニア半島の王・諸侯・豪族たちが海外の贅沢品を求めたり、キリシア文化に憧れてキリシア語を学び始めたことが主な原因である。
だから行商人はそんなに珍しい存在ではない。
ディベル領でもだ。
最近の商人は皆、アス領に向かっているがディベル領に行く商人も多少は居るのだ。
まずイアルは普通に商売を始めた。
そして情報集めに専念した。
商人が情報を集めるのは別に怪しいことでも何でもない。
イアルは他の商人や、ディベル領の農民たちから少しづつディベル領についての情報を集めた。
その甲斐あってか、ディベル家の勢力関係が判明した。
やはり構図は親戚VS非親戚。
親戚筆頭はジルベルトであり、非親戚筆頭はベルメットだ。
どうやらベルメットは長い時間を掛けて優秀な人材を集めてきたらしい。
ディベル家は何だかんだでロサイス王の国では(アス家は復興する前までは)一番勢力を持っていた家。
ロサイス家は当主であるロサイス王が病気である以上、将来性が無い。
多くの人材がディベル領にやってきていたのだ。
そしてベルメットがそれを拾い上げて、職を与えていた。
ディベル家が重要な職を独占しているとはいえ、入りこむ隙間が全くないわけではない。
それにリガル・ディベルが王に成れば、お鉢が回ってくる可能性は十分にある。
親戚も大勢いるわけではないからだ。
それにベルメットが権力闘争に打ち勝てば、ロサイス王の国で重要な職を得たり、領主になることだって出来る。
とはいえ、不満が無いわけではない。
それに全ての人材がベルメットに大きな恩を感じているわけではない。
全然評価されないのであれば、他の領主のところに鞍替えしようと思う人間は大勢いる。
イアルはそんな人物を狙い撃ちした。
時は三月。
イアルはディベル領の一人の男を尋ねた。
「ああ、イアルさんか。上がってくれ」
ディベル領の兵士の一人、十人隊長のヨゼフは行商人イアルを家に上げた。
ヨゼフはディベル家からの小麦の俸給で暮らしている。
当然の話だが、人間は小麦だけで食べてはいけない。
だからヨゼフは小麦を売って、それを野菜や肉や酒に変えているのだが……最近はどういうわけか小麦の価格が安い。
収穫量はいつもと変わらないはずだが。
ヨゼフは知る由もないが、悪いのはアルムスである。
アルムスが賠償として支払っている小麦によってディベル領の市場価格が下がっているのだ。
話を戻そう。
小麦の価格が安いせいで、ヨゼフの生活は苦しくなった。
そんな時に現れたのがイアルである。
イアルは非常に安い価格で野菜などを売ったのだ。
すぐにイアルとヨゼフは仲良くなった。
「やってらんないっすよ~」
ヨゼフは酒を飲みながらイアルに愚痴をこぼす。
内容は自分の能力が評価されないということ一点だ。
ヨゼフの剣や槍の腕は一流で、フェルム王の戦いの時も何人も敵を倒した。
全体では敗北するという状況でだ。
その実力がベルメットの目に留まり、ヨゼフは軍に入ったのだ。
十人隊長としては非常に優秀で、一目置かれる存在だ。
だが百人隊長には成れない。
百人隊長の職は全てリガル・ディベルの親戚や縁者が独占しているからである。
当然ベルメットには感謝している。
だが感謝で飯は食えない。
何で優秀である自分が生活に苦労しなければならないのかと。
そんなヨゼフを見て、イアルは頃合いだと思い、切りだした。
「ではアス領に仕官しませんか? 百人隊長の地位を保証します。給料は現在の十倍出しましょう。屋敷も用意しますよ」
「はは、そりゃいいっすね……え?」
ヨゼフは思わず聞き返した。
イアルはニコリと笑う。
「私はアルムス・アス様の元で働いているイアルと申します。まあ、今は行商人ですが」
「はは、騙してたってわけか」
「あなた様の御気持ちを知るためにはこうするしか無かったのです。それでどうしますか?」
ヨゼフの心が大きく揺らぐ。
だが……
「……リガル・ディベルは第一の王候補だ。勝ち馬から下りるわけがないだろ。それにベルメット様には恩が……」
「恩? そんな物ありますか? 現在あなたは貧窮した生活を送らざるを得なくなっている。これはベルメット殿の所為でもあるでしょう? あの人はあなたの生活を助けてくれましたか? 私が居なかったらヨゼフさんは借金をせざるを得なかったとまで言っていたではありませんか。それにリガル・ディベル様の王位継承も決まったわけではありません。それに最近は怪しいでしょう?」
イアルはヨゼフに畳みかける。
現在、ロサイス王の親戚が中心になって二つの噂を立てていた。
一つは次の王に成るのはライモンドであるという噂。
血筋的には一番相応しいので、可笑しな話ではない。
二つ目はドモルガル王との戦でアルムス・アスが総大将に選ばれるという内容の物。
つまり真実である。
ディベル軍がアス軍に惨めな敗北をしたのはつい最近のこと。
それが大きく影響している……という内容で非常に信憑性がある。信憑性も何も真実だが。
「私の主であるアルムス様はお若い。まだまだ未来がある方だ。それに噂では次の戦で総大将になるとも言われている。アルムス様はロサイス王様とも親しいですからね。それにアルムス様は人材不足に悩まされています。それにアルムス様には家族が居ない。あなたが成り上がるチャンスはいくらでもある」
実際のところ、アス軍は戦場での指揮官が不足していた。
徴税官三十人は戦って会計も出来る万能な公務員だが、全員を戦場に連れていくわけにはいかない。
領地経営が儘ならないからだ。
何人かはアルムスの直接の護衛として割かなければならない。
それを考えると百人隊長クラスが四、五人は欲しいところだ。
ヨゼフは悩みぬいた末に、イアルに聞く。
「三日、待って貰えませんか?」
「良いですよ。ではアス領の屋敷でお待ちしています」
イアルは笑顔で去っていった。
さて、イアルは次の家に訪れた。
家の主はイアルを歓迎する。
「どうぞ、お上がりください」
家の主の名前はドーラ。
呪術師であり、犬を使うのが得意だ。
「いつもの酒です。あと薬草を」
「ありがとうございます。助かります」
ドーラは小麦でイアルの商品を支払う。
暫く談笑した後、ドーラはイアルに切りだした。
「実は相談に乗って欲しいことがあるんです」
「どうしたんですか?」
「実はディベル家の方の一人に求婚されているんです」
当然イアルは知っていた。ディベル家に仕えている呪術師の中では有名な話だったからだ。
というかだからこそ、イアルは近づいたのだが。
そして何故悩んでいるかも知っている。
だが知らないふりをして言う。
「良かったじゃないですか。玉の輿ですね」
「それが全然良くないんですよ!!」
ドーラは声を荒あげた。
「その男、外見がその……まあアレなんです。年齢も五十歳の……アレですし。少なくとも私の好みじゃないです。しかも妻がすでに五人、性奴隷を十人も持っているんですよ」
呪術師の女性はプライドが高い。
それは呪術という特異的な力のおかげで、普通の男性家臣よりもずっと優遇されるからである。
給料も高く、生活に困るということもない。
よって必死になって金持ちの男を追いかける必要性もない。妻が何人も居る色情狂などもってのほかである。
大体、呪術師でもない女と同列の妻として扱われるなど我慢できない。
それがドーラの抱いている感情である。
求婚して来た男の方がすごいイケメンだったり、物凄く身分が高かったら考えただろう。
だが求婚して来た男の身分はお世辞にも高くない。
ディベル家の親戚というネームバリューはロサイス王の国のディベル派領主の領内でしか通じない。
そんなコップの中のメダカと結婚するほど男に飢えていない。
「でもこのディベル領の中ではディベル家に逆らうと仕事が……ベルメットさんも頼りないですし。どこか良い就職先ありませんかね? イアルさんは行商人だから知っているかなと思いまして」
「ええ、知っていますよ」
イアルは三軒目の家を訪れた。
この家の主人はキリシア人とのクォーターである。
キリシア語を操れて、計算も得意で、非常に優秀な人間である。
「イアルさん。すみません、……もう一か月待って貰えませんか? 必ずお返ししますから」
アメリゴは非常に困窮した生活を送っていた。
キリシア文化に憧れている豪族は大勢いるし、文字の重要性に気付いている豪族も大勢いる。
だが気付いていない豪族も大勢いるのだ。
小競り合いを含む戦争が何度も起こり、危険なクマや狼に襲われる危険のあるアデルニア半島ではとにかく腕力が物を言う。
逆に成果が見え難い、学問などは軽視されがちだ。
特にディベル家はその傾向が強い。
唯一気付いていたベルメットによりアメリゴは職を得たが、生活は苦しかった。
給料があまり高くないのだ。
まあアメリゴ一家には年を取り過ぎて働けない祖母と、妻と子供六人の九人大家族であるというのも大きな原因でもある。
八人をアメリゴの給料で養うのは厳しい。
子供はまだまだ幼いので、出稼ぎに出すのも危ぶまれる。
じゃあディベル領以外の領地に行けと思うかもしれないが、ディベル領以外で職は無いのだ。
そもそも住民票を作り、検地を行い、税を正確に集めようなどという面倒なことをしているのはアス領以外に無い。
文字の重要性に気付いている豪族たちも、一人二人キリシア語を使える奴が居れば良いと思っているのだ。
そもそもディベル家から離れた人間を雇おうと考える人間も少ない。
ディベル家の怒りを買うのを恐れてのことだ。
「いや、困りますよ。私も善意で貸しているんじゃないんですからね」
イアルは困ったような声を出す。
そんなイアルにアメリゴは縋り付くようにして頼む。
「お願いします!!」
「ダメです。と言いたいところですが……」
イアルは口角を上げて笑みを浮かべながら言う。
「今なら借金がチャラになり、給料が数倍になるビッグチャンスが有ります。どうですか? 聞きます?」
こんな調子でイアルは三人の人材を引き抜くことに成功した。