第四十話 領地経営
「イアル。本当に残らなくて良かったのか?」
「はい。私はあなたに一生恩を返すと決めましたから」
イアルはニコリと笑った。
旧フェルム領はすべてアス領となった。
そして俺が元々いた村も俺の領地だ。
折角、何年も掛けて開拓した土地を潰すのは勿体無い。
とはいえ俺一人で領地経営なんて無理だ。
そこで村人全員に残るか俺に付いていくか聞いた。
村人の大部分―俺が助けた子供たちと、奴隷……今は元奴隷は俺に付いてきた。
ちなみに彼らには土地を与えておいた。
そして一年前から来た難民のほとんどは村に残ることを望んだ。
俺はてっきり故郷に帰りたがると思っていたが……
あそこで生活した方が楽だそうだ。
とはいえあそこは百三十人が生活していた村。
たった三十人だけで住むのは勿体無い。
うちの領地から追加で人を送る予定だ。
「さて、メンバーは揃ったか」
ここに居るのはテトラ、ソヨン、ルル、ロン、ロズワード、グラム、イアル、それにボロスとバルトロが加わる。
「なあ、俺だけ場違いな気がするんだけどさ」
「バルトロさんは領地を持っていると聞いたので。ぜひ参考にご意見をと思いましてね」
俺は領地経営なんて初めてだ。
何も分からない。
だから先輩を招くのは当然だ。
「さて、まずは……領主というのが何をすればいいのかさっぱり分からないんですが教えてください」
「別に大したことはしないぞ。基本的なことは治安維持、呪術防衛、領土防衛、ロサイス王への貢物、そして裁判。必要な費用は税金で。このくらいだ」
全然大したことなくないじゃないか。
「いや、楽なわけじゃないがお前さんが想像しているほど難しくはないと思うぞ。まず、ロサイス王への貢物だが、お前さんの領地は特例で二年間免除されてるはずだ」
ああ、それは知ってる。
今は復興に力を入れろとか。
「あと税金は各村の村長や地主が徴収してきてくれる。お前さんは税率を定めるだけでいい。まあお前さんの領内の地主は軒並み処刑されたから、それなりに大変だと思うが……」
地主たちはフェルム王に協力していた。
だからフェルム王に騙されたんですで済むわけがない。
全員処刑され、親族は奴隷に落とされてしまった。
可哀想とは思うが、自業自得だ。
「呪術防衛は呪術師に一任すればいい。お前さんのところは腕のいい呪術師が何人も居るようだしな。ただし、魂乗せが出来る奴は温存しておけよ」
つまりテトラとソヨンとルルは結界の構築には参加させちゃいけないと。
狭い範囲ならできるかもしれないけど、うちの領土を全部覆い尽くすだけの結界なんて無理だぞ?
それに十年くらい前からどこの国が黒幕か分からないけど、呪術攻撃をしている国があるんだろ。
「そう言えばフェルム王に使えてた下級呪術師。あれ牢屋に居たけど、俺の裁量で出してもいいんですよね?」
「そりゃあ裁判はお前さんの仕事だからな。それにロサイス王はそのために残したんだと思うぞ」
なるほど。さすがロサイス王様。素敵だ。
「治安維持と領土防衛は暫くの間は俺が協力してやる」
「良いんですか?」
「ロサイス王から命じられている。さすがに昨日今日まで村しか経営したことが無かった奴にドモルガル王の国との国境を全面的に任せるほどロサイス王はバカじゃないよ」
ああ……
そう言えばドモルガル王の国と接してるんだっけ。
「大丈夫だ。ドモルガル王は基本的にギルベット王やファルダーム王との戦争で忙しいからな。南に目を向ける余裕なんてないさ」
本当かな?
油断してると攻めてくるぞ。
「裁判について聞かして下さい。どんな法律に基づいて裁けばいいんですか?」
「基本的にお前さんの裁量だよ。まあ殺人や強姦は死刑。強盗は右腕一本の切断。些細な盗みなんかは鞭や棍棒で殴る。相場はこの辺かな」
要するに慣習法か。
そもそもまともな文字が無い以上、ちゃんと文字で法律を示しても仕方がないだろうけど。
「じゃあ裁判は村長たちの意見を聞いて、それに基づいてやることにしよう」
何となくやることが分かってきた。
これなら俺でもなんとかなりそうだ。
「取り敢えず人口調査から始めようと思う」
「具体的に何するの?」
「領内全体の人間の性別、年齢、財産。全部を紙に記載したい」
キリシア語を使いこなせる人間はあまり居ない。
必然的に戸籍のようなものは存在しない。
だから村のことを一番知っている村長が税を徴収して、領主に治める。
そういう形式になる。
だがこれでは脱税し放題だ。
税の取り残しがたくさんあるだろう。
それをどうにかしたい。
「でもキリシア語を自由に書けるのってリーダーとテトラと……十人も居ないよね? それだけじゃ無理だと思うけど……」
「それについては安心しろ。あらかじめ表を作る。お前たちはそこに数字を書き込んでくれるだけでいい」
そっちの方が計算するのも楽だしな。
「表は手書き? もの凄く面倒だと思うけど」
「それについては考えがある。そんなに難しくはないから大丈夫だよ」
版画の要領で大量に用意できる。
木版印刷だ。
「お前、良いこと考えるなあ。うちの領でもやってくんない?」
「別にいいですけど……金は頂きますよ。あと紙の代金も」
「うちの領の人口は確か六千から七千なんだけど……どれくらい紙が必要になるんだ?」
「そうですね。一枚に二十人の名前を記載するとすると三百枚から三百五十枚。一枚で青銅貨十枚で売ってるので……青銅貨三千五百枚ですね」
俺が答えると、バルトロが頭を抱える。
「お前、計算早いなあ。青銅貨三千五百枚か。それって小麦で換算するとどれくらいだ? 俺は青銅貨なんて使ったことないから分からんぞ」
「俺も青銅貨で小麦を買ったことは無いので……ですが塩で換算すると二万千ディダル(三百五十キロ)です」
そう言うと、バルトロは顔を顰めた。
「高いなあ。もっと安くしてくれよ」
「俺たちも大変なんですけどね。まあ付き合いもあるので二割引きにしますよ」
一先ず、小麦と紙を取引することになった。
これで当面の食糧は確保できる。
「さて問題は税率……今までフェルム王の治世の所為でアス領は荒れ果てている。だから税は安くしようと思う」
同時に人気取りの面がある。
何しろ俺は新参者だからな。
「だけど税は安くしすぎると俺たちの収入が無くなる。加減が必要だ。それで税率はどれくらいが相場ですか?」
「うーん、いろいろなパターンがあるからな。物納のみなら六割が基本だ。でも物納を三割にする代わりに労役に駆り出すというやり方もある」
バルトロの話によると、物納にも小麦を納める場合もあれば、布や特産物を納めさせる場合もあるらしい。
鍛冶師などは剣や槍を納めるとか。
「じゃあ物納オンリーで行こう。税率は……四割かな? 基本は小麦で」
「その心は?」
テトラが聞いてくる。
「荒れ果てた農地を回復させる必要がある。だから労役に駆り出させる余裕は無い。出来るだけ彼らには農業に従事してもらう。フェルム王はドモルガル王との国境線の防備はかなり固めていたようだから特に工事をする予定は無いしな」
「紙の製造と今回の戦争で燃えた首都の防衛設備は?」
「人を雇う方針で行く。給料として穀物を支払おう」
それなりの臨時収入が得られるというなら参加する人は居るだろう。
特に戦争で夫や息子を失くした未亡人。
彼女たちには紙を生産してもらう。
紙の生産なら農作業程力は使わないからな。
大変な農業よりも、確実に収入が貰える紙作りの方が彼女たちにとっても都合がいいだろう。
それに俺は千歯扱きを広めるつもりだ。
紙作りが未亡人の仕事に成れば千歯扱きが広まっても影響は少ない。
「よし、内政はこれで良いだろ。後大事なのは輪裁式農法だ。これを広める必要がある」
まあ取り敢えず輪裁式は今度でいいだろう。すぐに変えられるものでもないしな。
「さて、税の集め方はどうするかな」
「村長が集めて、私たちが回収すればいい。無法を働いたり、税を横領する奴は領主権限で首にすればいい」
「それは名案だな」
官僚兼兵士のみんなを村に派遣。俺の意思を伝える。それに従って村長が村人を指揮。
税は官僚兼兵士で集める。
仲間たちなら信頼できる。買収されることもなさそうだし。
中央集権化も出来て一石二鳥じゃないか。
さすがテトラ。天才だな。
さて、次は軍事だ。
「兵士はどうすん……どうするんですか?」
ロン……別に不慣れな敬語は使わなくていいぞ。
というか少し寂しい。
「いやさ、だってリーダーはもう豪族だし。やっぱりケジメってのは大事だと思うんですよ。俺たちが敬語使わなかった所為でリーダーが周りから舐められるっていうのは我慢できないし」
「……お前がそんなことを考えることになるとは……」
人って成長するんだな……
少し感動だ。
まあロンの言うことには一理ある。
別に敬語になったところで俺たちの関係が急に変わるわけでもないし。
「それでさっきの質問の答えは?」
「ああ、すまん。少し感動してた。ええと、兵士だよな。取り敢えず今の兵士の数を確認しようぜ」
まずは村のみんな、三十人。全員鉄製武器所有。士気練度非常に高い。
次にボロス率いるテトラ大好き隊、四十人。全員青銅器。練度はそこそこ、士気は非常に高い。
これが俺の現有戦力、七十人。
そしてバルトロの持つ私兵、百。十人ほどが鉄器で、残りは青銅器。練度、士気は知らない。ただフェルム王の軍を正面から打ち破ったバルトロの兵だから期待は出来る。
彼らは暫く俺たちと共に戦う。
そしてロサイス王から預かった百。全員青銅器。練度、士気ともに高いとは言えない。だが低くはない。
費用はロサイス王持ち。
つまりドモルガル王が侵攻してきた場合、すぐに迎え撃ちに行ける兵は二百七十。
これはどうなんだ?
「ドモルガル王の総兵力ってどれくらいですか?」
「約一万だな。ギルベッド王の国やファルダーム王の国とドンパチやるときはそれくらい出してる。我がロサイス王の国は全ての豪族が協力的なら五千は動かせる。だけど実際はそうじゃないから三千くらいだ。でも安心しろ。ドモルガル王はギルベッド王やファルダーム王と常に敵対している。だから一万が我が国に来るということはまずない。最大でも三千だ」
なるほどね。つまり十分に迎え撃てるのか。
俺たちが時間稼ぎ出来れば。
三千を二百七十で迎え撃つのはな……
「最低五百は欲しいな。となると二百三十人は新たに必要か……」
「やっぱり徴兵?」
テトラの質問に答える。
「うーん、俺徴兵って嫌いなんだよね」
徴兵は効率が悪い。
戦争したくない奴を無理やり引っ張てきて武器持たせてもね。
それに労働力を兵士にしているわけだから税収も落ち込む。
そしてようやく使い物になるだけ訓練するころには任期終了。
荒れた土地に戻す。
銃を持たせて引き金を引けば人を殺せて、さらに民族自決の考えが浸透して国民全員が国防について真剣に考えるようになる近現代ならともかく、今の文明レベルでそんなことをしてもな。
重装歩兵団には厳しい訓練が必要だし。
アス家の領民は税金さえ安くなればどんな領主でも良いと思ってるだろうし。
やっぱ徴兵は無いな。
緊急時ならともかく、平時にはそんなに兵は要らないし。
「徴兵だと、俺たちと練度と士気に差があり過ぎる。最悪足を引っ張るだけになりそうだ。俺たちの役目は足止めだろ? なら必要なのは数じゃなくて質だと思う」
「おお、お前さん素人の癖に結構分かってるじゃないか」
バルトロに褒められた。
何だろう、こいつに褒められても少しも嬉しくないぞ。
「よし、決めた! 資金は掛かるけど募兵しよう」
「えーと、税を徴収するときに呼びかけて置けばいいのかな? 兄さん」
「ああ。そう言う感じでお願いする」
字で立て札立てても仕方がないしな。
読める奴一人も居ないだろ。
「ねえ、アルムスさん。大事なこと忘れてないですか?」
「大事なこと?」
「弓兵だよ。弓兵。防衛戦なら絶対必要でしょ」
グラムが力説した。
いや、別に忘れてないけど……
「弓は高いしな。高度な技術が必要だし。まあ数は増やすけど……」
アデルニア半島での戦争の勝敗を左右するのは重装歩兵だしな。
「騎兵は! 騎兵。騎兵必要ですよね。兄さん」
「馬も高いだろ。それに牛馬耕の方が先決」
数揃えられないし。十人で騎兵隊です。って役に立つか?
最低でも百は必要だろ。
日本人感覚で軽自動車百台揃えようぜ、って言ってるようなものだぞ。
「あと黒色火薬は量産しておかないと」
簡単には作れないからな。
ことが起こってから作っても仕方がない。
「あれ、凄いよな。俺にも作り方を教えてくれよ」
「……作り方が流出するのは問題ですからね。あれだけは教えられません。それに数を用意できるものじゃないですし……それに常に効果があるとは限りませんよ」
防衛戦で使った時は、相手が密集していたのが良かった。それに数も少なかったし。
フェルム王を討ち取ったときはそもそも背後から奇襲した時点で勝ったようなものだし。
初見なら効果があるが、すぐに対策が取られるだろう。
頼り過ぎるのは良くない。
黒色火薬の材料は大量にある。
硫黄は火山からいくらでも手に入るし、木炭も量産可能。
硝石も確実な量産方法がある。
だが『発火』の魔術が付加された槍はそんなに作れない。
あれには質の良い魔石という物質が必要なのだ。
魔石というのは呪石の中でも魔術に適した石のことを指す。
命名テトラ。
この魔石は安価だが、数が少ない。
ゴミだから誰も掘ろうと思わないのだ。
だから大量に集めると特別料金が掛かり、何故か高くなる。
魔石そのものよりも集めるのに金が掛かるという面倒極まりない代物なのだ。
起爆できなければ黒色火薬は何の意味もない。
導火線で着火すれば? っと思うかもしれないがそれだと確実に爆発しない可能性がある。
「そうなのか? じゃあ良い。いつか量産できるようになったら教えてくれ」
バルトロはあっさり引いてくれた。
「その代わり紙の作り方を教えろ」
「それはロサイス王にお教えするので。ご安心を」
さすがに部下になった後も秘匿し続けるのはね……
「さて、次は呪術かな。結界を張らなきゃいけないんだろ」
俺やみんなが飢え死にしかけたり、テトラの両親が死んだのは呪いを原因とした飢饉だ。
それを考えると力を入れなければならないことはよく分かる。
「確か北の方にある大国が呪いを掛けてくるんでしたっけ?」
「そうそう。ロゼル王国な。アデルニア北部全域を支配する国だよ」
ロゼル王か……
よし、よく覚えておこう。
「フェルム王はあまり結界を重視しなかったから飢饉が起こったんだよな? 確かフェルム王が抱えてた高位呪術師は九人。全員、結界の構築には参加していなかった……牢の呪術師を解放して彼らを結界の構築に当てても足りないか?」
「足りないな。でもこの国にはユリア様が掛けた国守の結界がある。だから最低一人、高位呪術師が居れば問題ない」
最低一人か……
テトラかソヨンかルル。誰が良いか……
「若い呪術師は魂が元気だから魂乗せには適してるって聞くぜ。その三人は温存したほうが良いだろうよ」
でも居ないぞ?
高位呪術師。
「アルムス殿。心当たりが一人おります」
さっきから黙っていたボロスが発言した。
何だ?
「テトラ様に神聖文字を施した呪術師……あの老婆は昔は魂乗せが出来るほどの呪術師だったそうです。結界に年は関係ないようですし。あの老婆に任せてみては?」
「それは名案だな」
うん、そうしよう。
年寄りを働かせるのは少し悪いけど。
「あの……つまり私たちは暇だということですか?」
ソヨンが手を上げる。
「いやいや、お前たちにはして貰うことがたくさんあるぞ」
まず他の呪術師の育成。
そして爆槍の槍の作成。
テトラは俺の輔佐をして貰うので、ソヨンやルルにはそれを補って貰わないとな。
「つまり前と変わらないですね」
ルルが言う。
まあそういうことだな。
「あと魂乗せ出来る動物の種類を増やしておいてほしい。そうだな……やっぱり犬は欲しいな。あと夜間の偵察のための梟か蝙蝠」
「どうやって入手するんですか?」
「取り敢えずキリシア人に聞いてみるよ。あっちの国は年中戦争してて、そういうのにも詳しいと思うしな」
その夜。
「ねえ、アルムス」
「ん? どうんっぐ!!」
唇を塞がれた。
潤んだ瞳でテトラは俺を見つめる。
「領主の仕事で一番大切なことを忘れてない?」
「……そうだな。確かに忘れてた」
俺はテトラの肩を掴み、引き寄せて唇を奪う。
そのまま押し倒した。