第三十四話 食べるな
キリシア半島。
世界有数の先進地域であり、数々の
そのキリシア半島最東端の都市国家。
そこに一人の男が足を踏み入れた。
「ここがキリシア半島とペルシス帝国を繋ぐ交易都市、クラリスですか……」
男は巨大な城壁を見上げる。
クラリスは人口二十五万。
キリシア半島第二位の国力を持つ都市国家だ。
元々はキリシア半島の都市国家の一つが建てた植民都市に過ぎなかったが、ペルシス帝国とキリシア半島を結ぶ唯一の場所であり、北に灰海、南に内海に面し、鹿角湾と呼ばれる天然の良港を有していたため、自然と商人が集まった。
そして東西交易で力をつけた有力商人達が宗主国に反旗を翻し、独立。
現在では世界有数の交易都市として栄えている。
「おい、兄さん。早く入りな」
「ああ、すみません」
門番は愛想笑いを浮かべる。
「入国税は……」
「無いよ。商売の妨げになるからな。まあ一か月以上滞在するなら滞在税を払ってもらうしかないが……さてはあんた、初めてか? そう言えば見かけ無い顔だが……どこから来たんだ?」
「緋帝国という国から来ました。皆さんの言う極東の絹の国です。陽青明と申します」
「へえ、絹の国から……」
門番は青明をしげしげと見つめる。
「まあいい。取り敢えずアドバイスをしておこう。いいか、クラリスには二種類の人間が居る。一つは一級市民。高い人頭税を払えるそれなりに裕福な市民。もう一つは二級市民。こいつらは税金がまともに払えない貧乏人だ。二級市民街には近づかない方が良い。まあ見ればヤバいところだって分かると思うけどな。ちなみに俺は一級市民だ」
「これはこれは……ご忠告、ありがとうございます。気を付けるようにしますね」
青明はニコリと笑い、門をくぐった。
「青銅貨五枚だ」
「ええと、ペルシス青銅貨じゃダメですか?」
青明が聞くと、屋台の店主は顔を顰める。
「……そこで両替して来い」
店主が親指で指した両替商で青明はペルシス青銅貨をキリシア青銅貨に両替する。
手数料を取られてしまうが、仕方がない。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
青明は屋台で売られていたドルフィッツという菓子を購入する。
小麦粉で出来た団子状の生地を油で揚げて、串で刺した菓子だ。
砂糖が使われているらしく、良い値段だ。
おそらく一級市民を相手に商売をしているのだろう。
青明はそう考えながらドルフィッツを食べる。
素朴な甘味だ。
だが少し油がキツイ。
呑気に青明が走っていると、人ごみから薄汚れた男が飛び出してきた。
手には革製のバックを持っている。
「誰か!! そいつを捕まえて!! スリよ!」
青明は男の足を思いっきり蹴り飛ばす。
男は見事にすっころんだ。
男の手から離れたバックを青明は拾い上げる。
「これが二級市民ですか……」
青明は男を見下ろす。
生活に困っての犯行だろう。
同情の余地はある……が、犯罪は犯罪。
許されることではない。
騒ぎを聞きつけた警吏が二級市民を連行していく。
「やめてくれ!! もうしない、だから奴隷にだけは!!」
「黙れ、鉱山に送りこまれたいか?」
男は引きずられるようにその場から消えた。
「ありがとう! そこの人!!」
「いえいえ」
青明は走ってきた黒髪の女にバックを手渡す。
女の肌の色はオリーブ色で、顔の彫が深い。
青明の脳裏にキリシア人の女は美女が多いという言葉が浮かぶ。
女は青明から受け取ったバックを胸に抱く。
「そんなに大切な物ですか?」
「ええ、私は建築家を目指しているの。この中には私がキリシアやペルシスで見た建物のスケッチや、私が考えた設計図が入ってて……」
その言葉に青明は少し驚く。
建築には数学や物理学の知識が必要不可欠だ。
女性はあまり学問を学ぼうとしない。
女性は家を守るのが仕事で、学問は必要ないし、そもそも学んだところで雇ってくれる場所もない。
青明の出身地である緋帝国ではそれが常識だ。
そもそも東方では貴族の娘でも文字の読み書きができるのは極一部。
だからいくら裕福な一級市民とはいえ、町娘に見える目の前の女性が『建築家を目指している』というのは非常に驚くべきことだ。
「何? あなたも女がそう言う職を目指すのは変だって思うの? 女は呪術か、家で夫を待ってろって?」
目の前の女は不快そうに眉を顰めた。
青明は慌てて首を横に振る。
「まさか、ただ少し驚いただけです。私の故郷では字の読み書きができる女性というのがそもそも少なかったので」
「ふーん」
女は少しだけ納得したような顔をする。
「もしかして皆さん。文字を書けるんですか?」
「そもそもだけど、一級市民は最低限の字の読み書きと計算が出来なきゃいけないの。だからクラリスの一級市民は赤子と呆け老人を除いて、全員それくらい出来るわ。まあ二級市民は知らないけどね」
青明は感心する。
さすがは世界有数の商業都市だ。
「ところで助けてくれたお礼に何かしたいんだけど……」
「じゃあ……案内して貰えません? この街を」
青明がそう提案すると、女は大きく頷いた。
「いいわ。私の名前はイスメネ。あなたは?」
「陽青明。陽が氏で青明が名前です」
……正確には字だが、キリシア人には名前と説明した方が良いだろう。
青明はそう思いながら名乗った。
「ところであなたはクラリスについて、キリシアについてどれくらい知っているのかしら?」
「そうですね……二度のペルシス―キリシア戦争、オリーブと葡萄が特産。あとキリシア半島には何十も
「なるほどね……」
二人は街を歩き終わり、食堂で夕飯を食べていた。
青明の奢りだ。
その対価にイスメアはキリシアについて青明に語る。
「いい、キリシアの都市国家は互いに同盟を結んで不戦協定を結んでいるの。そしてその同盟同士の間にも協定がある。例えば四年に一度の祭りには戦争をやめて、祭りを楽しむとか外敵……ペルシスが攻めてきた時には共同で迎撃に当たるとかね」
「なるほど……疑問に思っていたんですよ。キリシアはバラバラの国同士なのにどうして二度も戦争に勝てたのか。そういう理由があるんですね」
青明は羊皮紙で出来た手帳に書きこんでいく。
彼は旅の途中で見聞きしたことをすべて手帳に書き留めている。
「確かクラリスは東部同盟の盟主なんですよね?」
「そうそう。他にも南部同盟のアルト。西部同盟のテルバイ。北部同盟のレイムなんかがあるわ」
「なるほど、なるほど。勉強になります」
青明は手帳に次から次へと書き込んでいく。
「アルトは成人男性からなる民会、テルバイは特権貴族による元老院、レイムは王と貴族、そしてクラリスは特権商人が政治を司っているの。政治思想がバラバラだから仲が悪いってわけ」
「でもペルシス帝国と戦うときは歩調を合わせる。興味深いですね」
青明は右手で食事をしながら、左手のペンを動かすのをやめない。
非常に行儀が悪い。
「一ついいでしょうか?」
「何?」
「イスメアは一級市民なんですよね。これはいわゆる貴族というやつなのでしょうか。となると氏があるものだと思いますが……」
青明の質問にイスメアはニヤリと笑う。
「良い質問よ。まず、一級市民と貴族は違うわ。私たちはいわゆる平民ね。で、クラリスでは平民同士は基本的に平等だから氏なんて無いの。確かアルトもないわ。テルバイとレイムはあるようだけど」
「へえ……世界は広いですね」
青明はペンを走らせる。
それをイスメアが掴む。
「やめなさい。食事中でしょ」
「あはは、すみません」
青明は照れ笑いをしながら手帳をポケットにしまう。
「ところであなたはどうして旅をしているの?」
イスメアがさり気なく聞くと、青明は目を輝かせて言う。
「最果ての海を……キリシア風に言う
「それがあなたの夢?」
「いえ、違いますよ」
青明は首を横に振った。
「それは私の両親の夢。私の夢は別にあります」
「何? もったいぶらないでよ」
イスメアが身を乗り出した。
「私が旅の途中で見聞きしたことを本にまとめることです。出来るだけ多くの人に世界を知ってもらいたい」
「へえ、嫌いじゃないわ。そう言うの」
イスメアは微笑んだ。
「でも良かったわね。もうすぐ夢は叶うわ。クラリスから明後日、アデルニ半島のレザドっていう都市に行く船が出るの。アデルニア半島から最西の海まではすぐよ」
「本当ですか! 長かった旅も終わるんですね……」
青明は思わず天井を仰ぐ。見たことが無い最西の海への期待が高まる。
「ところであなたが良ければ私も一緒に行っていいかしら?」
「ん? 構いませんが……何か用事があるんですか?」
青明が聞くと、イスメアは大きく頷いた。
「キリシアには優秀な建築家が腐るほどいるわ。ここじゃあ女の私は建築の仕事に関わることさえできない。でも後進地域のアデルニ半島は違う。あそこの国々なら優秀な建築家は喉から手が出るほど欲しいはずよ」
「なるほど……」
キリシア半島は実力を磨くという点では良い場所だ。ライバルもたくさんいる。
だが名を上げる場所としては不適切だろう。
その点、未開の土地なら就職先はより取り見取りだ。
「分かりました。一緒に行きましょう!」
「決まりね!」
二人は握手を交わした。
次の日……
「うぐぐぐぐっ……」
「大丈夫? 青明?」
トイレのドアの向こうで唸る青明に声を掛ける。
青明に答える余裕はない。
「ごめんね。キリシアの料理は油がたくさん使われてて……食べ慣れてない人が食べると高確率でお腹を下しちゃうこと言い忘れてた。てへぺろ、許してね?」
タヴェルナでは食べるなという話
取り敢えず青明とイスメアだけ覚えてれば問題ないです
一応予定では二章登場