第二十話 魔術
「ミスった……」
俺は頭を抱えた。
現在、非常に深刻な問題が発生中である。
家畜の餌がない。
何故このような事態になったのか。理由は単純明快である。
馬がこんなに食べるとは知らなかった。
明らかにこの馬は牛の四倍は餌を食べている。
何でだよ、体の大きさは同じじゃないか!!
偶々こいつの食事量が多いだけか?
「いえ、馬は元々牛の何倍も食べる生き物ですよ?」
遠慮するようにリアは言った。
要するに悪いのはちゃんと調べなかった俺だ。
さて、どうするか……
「屠殺する?」
テトラが護身用の鉄剣の柄を握りながら言った。
「屠殺か……勿体無いな……」
高かったのだから殺したくない。
どうにかして維持できないモノか。
「あの……フェルム王の国周辺は草原だったはずです。そこに連れていけばいいんじゃないですか? 馬は牛より足が速いから日帰りで行き来するのは簡単だと思うんですが……」
うーん、それなんだよね。それしか手がないんだけど……
家畜に食べさせられる草がある場所っていうのはその国のモノになってると思うんだよね。
つまり俺たちがそこで無許可で馬に飯を食わせるのはある種の領土侵犯のようなもの。
あんまり接触したくないんだよね。フェルム王とは。
あまりいい噂を聞かない。
反乱をして王になり、現在は自分に反抗する人間を徹底的に粛清しているだか、なんだか。
支配者として当然と言えば当然だけど……怖いんだよな。
でも今更か。ロサイス王とは直接交渉しちゃったし。
度々周囲の村とは交渉しているから、すでにこの村の存在はかなり知られているはずだ。
接触するのは時間の問題か……
見つからなければいいか。
「じゃあそうするか。リアは当然として……」
「兄さん! 俺が、俺が行く! 逃げ出すと困るし、狼に襲われたら大変だし!」
ロズワードが手を上げた。
やる気があるのは結構だけど、狼に襲われたらとっとと逃げろよ? 絶対勝てないから。
取り敢えず何とかなった。ということでいいかな?
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真夜中、俺は起きだした。
「相変わらず綺麗な満月だな」
空に大きな月が輝いている。
地球の月は衛星にしては巨大と言うが、この世界の月はその数倍の大きさに見える。
純粋に距離が近いのか、普通に星そのものが大きいのか。
そのおかげかこの世界の夜は結構明るい。
もちろん日本の都市部ほどではない。だが間違いなく日本のド田舎の夜よりは明るい。
満月の晩はユリアが来る。
みんなを起こさなければならない。
古参のメンバーのほとんどはすでに抗呪の技術を身に付ける程度のことはできているが、新しく来た子どもたちはその技術を持っていない。
また、ソヨン、テトラ、ルルといったメンバーは非常に優秀でまだまだ伸びしろがあるようなのでサボらせるわけには行かない。
「取り敢えず顔を洗うか」
子供たちの中で一番寝起きが悪いのはテトラだ。こいつを起こすのは物凄く労力が居る。
だが後回しにすると拗ねるので最初に起こしてやらなくてはならない。
かなり激しい戦いになるので、こちらの目も覚ましておかなければ勝てない。
俺は松明を手に持ち、村の中にある小川に向かう。
体を洗う用としては勿論、農業用水、煮炊き、飲み水にも使える。
もっとも、硬水なので美味しいとは口が裂けても言えないが。
「あ……」
小川には先客が居た。
真っ白い背中が俺の目に焼き付かれる。
人の気配に気付いたのか、先客はこちらを振り返った。
テトラだ。
お互い、目が合ってしまう。
数秒後、テトラは顔を真っ赤にして座りこんだ。
小川は浅いので、当然テトラの体は水に隠れない。
「……見た?」
「背中しか見てないよ」
「……それが問題。本当に見てない?」
背中を見られるのがそんなに嫌か? よく分からん。
「少なくとも変な物は見てないよ」
「そう」
テトラは納得したのか、安心した表情を浮かべる。
そして布きれを体に巻きつけながら立ち上がった。
「そこにある服を取って」
「え!? ああ、分かった」
俺は足元に落ちているテトラの服を拾って手渡す。
こうして見るとやはりテトラは美少女だ。
農作業というのは必然的に日に焼け、肌は荒れるものだがテトラの肌はとても綺麗だ。
胸はお世辞にも大きいとは言えないが、まだ数え年で十三歳であることを加味すれば十分以上の大きさ。
今後の成長に期待と言ったところか。
「実はね、私凄い物を作ったの。だから披露する時間を頂戴」
「別に構わないけど……一体何を作ったんだ?」
俺がそう聞くと、テトラは悪戯っぽく笑った。
「お楽しみ」
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「なあユリア。テトラが作ったのが何か知ってるか?」
「あはは。まあね。多分驚くよ」
ユリアは楽しそうに笑った。
俺はテトラに視線を移す。他のメンバーの視線もテトラに集中する。
「これが見せたい物」
テトラは俺たちの目の前に紙を広げた。
紙の上には真っ赤なインクのような物で幾何学模様が描かれている。
何なんだよ、これ。
「この赤いのは私の血」
「おい、大丈夫か?」
「うん。ちゃんとアルムスの言う通りに水で洗って、お酒を掛けたから」
テトラは布きれを巻いた親指を見せながら言った。
一応アルコール消毒の方法を教えたとはいえ、何が起こるか分からないから危険な真似はやめて欲しいな。
「今度から気を付ける」
そう言いながらテトラは紙をきれいに地面に広げ、その紙の中央に自分の手を乗せた。
「光れ」
テトラがぼそりと呟くと、幾何学模様が薄らと光り始めた。
これは一体……
「アルムス、やってみて」
「え! 俺が? 俺はこういう才能無いぞ」
生憎俺は呪術に関しては普通レベルの才能で、坑呪しか出来ない。
抗呪以外の呪術を使えるのは僅かな女子だけだ。
今のところ俺たちの村に居る抗呪以外使える呪術師は十人。非常に高度な呪術を使える呪術師はテトラ、ソヨン、ルルの三人だけだ。
「いいから」
テトラに背中を押される。
仕方がない。やってみるか。
俺は中央に手を置き、テトラと同じように呟く。
すると幾何学模様が薄らと光り始めた!
「どういうことだ?」
「呪術には知っての通り才能の差がある。理由は二つ。一つは魂の力……呪力に個人差があるから。一般的に男性よりも女性のほうが呪力は強いけど、その女性の中にも大きな差がある。呪術はごく一握りの女性しかできない。ここまで良い?」
「ああ」
俺が頷くと、テトラは再び説明を始める。
「呪力の問題は簡単に解決できる。外から力を持って来ればいい。生贄や呪術師の血液、そして呪石などで補える」
呪石とは呪力が込められた石だ。
地面から出てくる。
人の怨念が凝固したモノだとか、堕天した神や天使や精霊の体の一部とか妖精の死骸という説がある。
真相は謎だ。
「二つ目の理由は術の構築には非常に高度な技術が必要なこと。そして経験則が占める割合が大きいこと」
優れた呪術師は皆教えてもらえなくても生まれながらにして簡易的な呪術を使うことができる。
故に人へ教えることが非常に難しい。
息をする方法を教えろと言われて、教えられる人間は少ない。
それと同じようなものだ。
ではどうやって教えてもらうのか。
魂に語り掛けるという手法がある。
優れた呪術師は魂に干渉できる。
自分の魂を使って、術を行使して貰うことで感覚を掴む。
大体十回以内で身につかなかったら才能が無いらしく、諦めた方がいいとのこと。
「術の構築は踊る、唄うなどの動作である程度補うことが出来る」
呪術はやろうと思えばただ念じるだけでできる。。
とはいえ、念じるだけで呪術を成功させるには鋼のような集中力が必要になる。
だから負担を軽減する手法として呪文などが考案されてきたのだ。
だが結局のところ踊りや唄もそれはそれで才能が必要になる。だから解決にはなりえない。
ユリアのように呪力が通常の人間の数十倍あり、鋼鉄の集中力を持ち、絶対音感と高い運動神経を持った人間はほんの一握りというわけだ。
「これは発光の呪術の術を模様で表したもの。呪力は私の血液で補っている。大体、十秒は持つ」
「……つまりあれか。お前は呪術の術を
「そう。図形なら紙に書いて持ち運べる。それに術は完成しているから発動は念じるだけ」
多くの呪術師が唄や踊り、呪文という手法でしか術を作れなかった。それは呪術を理論化できなかったからだ。
経験的に唄いながら、踊りながらの方が呪術が成功しやすい。所詮その程度のモノなのだ。
術の成否を握るのは結局のところ呪術師の力量。
こいつはそれをすべて覆したのだ。
「どうやってこの図形を割りだしたんだ?」
「少しづつ試した。あとはこれ。これに従って幾何学模様を書けばいい」
テトラは俺に紙を五枚渡した。
そこにはびっしりと数式が書かれている。
「万物の根源は数」
お前はどこのギリシャ人だ。
「私はこれを術式と名付けることにした」
術を表す式だから術式ね。そのままか。
「なあ、これが実用化されたら呪術師は御役御免にならないか?」
もしそうなるとユリアのキャラが薄くなってしまう。個性が美少女王族だけ……いやそれだけでも十分に濃いか。
「それは無いかな。数式で表せないものはあるからね」
「その通り。この世の中には円周率や平方根みたいに数で表せないものがあるから。自然の力―火を起こしたり、風を起こしたりするのは再現できそうだけど、感情が占める割合が大きい呪いや結界を表すのは無理そう」
良かった。
平方根なんて存在しないと言われて溺死させられやしないかとちょっと心配だったぞ。
「つまり今まで通りの呪術とこの術式を組み合わせれば最強ということです!!」
ルルがテンションを上げながら言った。
「ところでさっきから黙ってるけどみんなは理解できた?」
テトラはさっきから無言のロン達に向き直って尋ねた。
「なんか凄いってことだけは」
「まあそれだけ分かれば十分だろ」
俺も書かれている数式はほとんど理解できない。
だって俺呪術使えないし。
「でもさ、その図形にして表せるのも表せないのも全部ひっくるめて呪術っていうのは何か違和感あるな。もう別物じゃん」
なるほど。一理ある。
区別があった方が便利だろう。
「じゃあ名前をアルムスが決めて」
「俺でいいのか? じゃあ……魔術ってのはどうだ」
火を起こしたり、風を吹かせたりするのはRPGの魔法を連想させる。
魔法と名付けたいところだが、呪
「『魔』ていうのが気になるなあ」
「呪術だって『呪』だろ」
どっちも名称が物騒なのは変わらない。
「それもそうだね」
「じゃあ今日から魔術。私は世界最古の魔術師か……うん、カッコイイ。二つ名は『始祖』かな」
テトラがニヤニヤしながら呟く。
こいつも年頃か……
心配だ。
テトラはこの時、後に魔道具と言われるモノの原型を作りだしました。
世界史の古代の教科書ではアルムスの次に必須の名前です。
ちなみに『世界最古の魔術師』と『始祖』は数千年に渡って語り継がれます。世界中で。
やったね、テトラ!
そしてそろそろこの章の折り返し地点
次回で『転』