9. 愛情とは
「愛情だ」
「は?」
彼女は唐突に言った。
視線の先にはホルマリン漬けにされた胎児があった。その肌は異様に黒かった。
浮かぶ胎児の肌色は黒人や特定の人種のそれではなく、焼死体のように黒ずんでいる。
「愛情がこうさせるのだ」
コーヒーの匂い。
実験器具や薬品がところ狭しく並べられ、乱雑な部屋に夕日が滲む。
光に照らされて影をなくした少女の顔を見ながら、振る舞われたコーヒーに角砂糖を二つ投げ込んだ。
「……何を言いたい?」
「部屋に戻ると憂鬱になる。この部屋は課題の倉庫だ」
「………」
「何のために君をここに連れてきたか。その話をしたい」
先程まで車椅子を足にしていた少女は直立二足歩行で佇んでいる。独特の装束はどこかに消えて、少しオーバーサイズの白衣を身に纏っている。
放置された車椅子が長い影を作っていた。
「アンタ、話しにくいな」
「――すまない。御仁。もう少し言葉を選ぼう」
職務はすでに終わっていた。街に設置された五つの観測器を行脚し、指定の場所の異質の情報もすでに得ている。ここに来たのは彼女、クトウの頼みだ。命の恩人の頼みを断る理由もなかった。
無論、この女が神秘的な能力と技術を持つことは承知であり、異常者である可能性も否定できない。
どんな目に合わせられるか。
――しかしながら、惹かれるものがあった。おれはそれに抗えなかった。こんなところに来るなんて酔狂なものだと自分でも思う。
「愛情を伴った異質はしばしば黒い形態をとる」
「はあ」
物語の導入のように話す癖があるらしい。
「何故、『黒い』のか。熱によるものか、異質的な作用によるものかはわからない。あれの母親は難産で死んだが、あれも同様に死亡した。あの赤子の死因はなんだと思う?」
「話の筋だと、『愛情』ってやつが答えになるのか」
「少し違う。この場合は母性だ。強すぎる母性が赤子を焦がし、殺してしまった。おそらく、炭焼きのようにな」
「炭焼き……?」
アーティスティックな表現を好むらしい。
「この現象は非常に稀だ。この検体を手に入れるために長い時間がかかった」
彼女は続けて言う。
「説明が遅れたな。私は異質の研究をしている。特に自然異質について造詣が深いつもりだ」
コーヒーを一杯。
啜ると、少し苦かった。
もう一つ、角砂糖を。
「そこで、フィールドワークをお願いしたい。実は、この『愛情』で街が一つ燃えている」
「……まさか火事場泥棒でも働けってんじゃないだろうな」
異質は資産でもある。こういった話は枚挙に暇がない。
「あくまでフィールドワークさ。行って情報を持ってくるだけでいい。今の仕事とおんなじだ。報酬は用意しよう」
「今の仕事はどうする?」
「代わりにやっておこう。ここは私の庭のようなものだからな」
この狂った街が、彼女には庭らしい。
やはり、マズイ女に引っかかってしまったかもしれない。