Scene1-9 見晴台にて
十里木高原展望台を過ぎてもしばらくは丸太階段が続いていた。
しかし道の周囲の手入れの度合いが展望台付近とは異なるためか、いつしか本格的な登山道の雰囲気へと切り替わっている。
とはいえ歩きやすい道であることに変わりなく、現時点での登山難易度はそれほど高くないと言える。
「人気の山だからかな、そこらじゅう踏み均されて雪も無いねぇ」
「ですね」
レミが言うように、登山道を外れた日陰部分には雪がちらほら見えるものの、道そのものは土の色。
日当たりも関係するだろうが、やはり人通りが多いという証拠だろう。
「この調子なら余裕じゃね?」
「お、慣れてきたかねカラオケくん」
「カラオケ言うな!」
はじめは少し歩いただけで疲れを訴えていた栖虎も、割と元気に足を動かし続けられるようになっていた。
むしろテンションが高くなっているようで、鼻唄まで口ずさみ始める始末である。
きっとランナーズハイってやつだろう。
しかし璃玖の目の前には栖虎よりもよほどテンションが上がりまくっている奴がいた。
「とっざん♪ とっざん♪ みんなでとっざん♪」
「元気だな、ソラ」
普段、『生理は二日目が重い』と弱音を吐きまくっている彼女だが、今日はむしろ昨日よりもずっと機嫌が良さそうだった。
流石は生粋のアウトドア好き、いつもの軽登山よりも少しだけランクの高い山登りにウキウキが止まらない様子である。
「えー、どうしたの璃玖ぅ? もうへばっちゃったのかな?」
「いくら受験の時に筋力落ちたからって、これくらいでへばるわけないだろ」
「だよねー。あ、見晴台着いたら暖かい飲み物入れてあげるね」
「うん、頼んだ」
どうやらキャンプ用のバーナーを持ってきているらしい。
機嫌が良いのはきっとそういったアウトドアグッズを活用できる絶好の機会だからというのもあるのだろう。
程なくして木々が途切れ、木製のテーブルやベンチが設置されているちょっとした広場に辿り着いた。
水平とまではいかないが、かなり傾斜の緩い場所で、今まで歩いてきた道を考えると十分すぎるくらいの平地である。
馬の背見晴台。
今日の登山の目的地だ。
「ついたー! って、案外あっさりだったね。駐車場から一時間ちょっとくらい?」
「距離的には上場までの中間だけど、高さは三分の一しか登ってないからな。ここから先がきついんだよ、たぶん」
心配していた積雪もほとんどなく、銀河山登山と同じくらいの疲労度合いで済んでいる。
璃玖やソラからすれば日常のトレーニングとさほど変わりない。
パーティメンバーの中ではただ一人、栖虎だけがややお疲れのご様子であった。
「うはぁ、やっべー、座ったら一気に疲れが出てきたぜ」
「お疲れ様です、栖虎さん。今ソラがお湯沸かしてるんで待っててください」
「りょーかい。サンキューな」
その後、 四人は暖かいコーヒーやスープを飲みながら、用意していた軽食を食べた。
昨日とは打って変わって終始和やかな雰囲気である。
この辺りはソラの機嫌によるところが大きい。
しばらくすると空は少し晴れ間を覗かせた。
富士山体は相変わらず姿を見せないが、日差しがあるとないとでは風景の見え方が全く違う。
美しい景色を前にして、璃玖と栖虎は双眼鏡片手に遠くを指差しながらあれやこれやと話し込んでいる。
ソラとレミはそんな男性陣の後ろ姿を眺めながら、飲み物を一口ずつ喉に流していた。
「紅茶もあるけど、飲む?」
「うん飲む飲むぅ♪ ソラは気がきくねぇ。きっと良いお嫁さんになるよぉ」
「ならないよ」
と、お茶を飲みながら、ソラ。
「昨日の晩も夢に魔女が出てきたんだ」
「で、なんて?」
「『もうすぐ、璃玖に甘えられなくなる』って」
「そう、じゃあ、いよいよなんだ」
ソラは暗い顔になる。
はじめはあれだけ元の性別に戻ることを望んでいたのに、いざそれが叶うとなるとどうしてこうも悲しくなるのか。
ソラの中で、それだけ璃玖という存在が大きなものになっていたからに他ならない。
彼との出会いは中学生時代。
妙にウマが合う璃玖に好意を抱いたのは、もしかすると性転換より前だったのかもしれない。
そんな錯覚すらソラは感じていた。
「結局どうするの? 私は、二人はずっと一緒にいるべきだと思うけど、決めるのはソラだもんね」
「別れるよ。まずは隠してたことを謝って、それで、また親友に戻れたら嬉しい。友達としてでも、隣に立つことはできるはずだから」
「即答、か」
レミに秘密を打ち明けたのは昨日が初めてだが、ソラはここ数ヶ月ずっと悩んできたのだ。
そうして出したソラなりの結論は、すぐに覆るものではない。
「そ。じゃあ、私はこれ以上何も言わない。その代わり、今日は目一杯イチャつくことを命じます! おけー?」
「め、命じられた……まあ、そのつもりだよ。ありがとう」
ソラは新たに沸かしたお湯をカップに注ぎ、ティーバッグを浮かべると、レミに手渡した。
レミが紅茶に口をつけるのを見届けたのち、ソラは言う。
「じゃ、ぼくも璃玖のところに行ってくるね」
「ん」
ソラはベンチから立ち上がり、「わたしにも双眼鏡貸してー!」と、男たちの方へと手を振りながら小走りで駆けていく。
彼女の姿を見送りつつ、レミは呟いた。
「まったく。苦労するねぇ、璃玖くんも」