Scene1-6 彼女はかつて何を想っていたのか
「俺への、対抗意識ですか?」
「そ。言い換えると、嫉妬? そんな感じ」
栖虎はしれっと言ってのけるが、璃玖には何故彼がそんな感情を自身に向けるのか、当然見当もつかない。
璃玖と彼との接点など、レミという共通の知り合いを除いて他に無いはずだ。
つまり嫉妬というのはレミに対する関わり方の話に違いない。
「レミ先輩のことですか」
「おう、わかってんじゃん。オレは君を恋のライバルだと勝手に思っていたってわけ。……って、この歳にもなって恋とか言ってんのなんか恥ずかしィなぁ」
栖虎は左耳の後ろを掻く。
彼はまだ二十代前半のはずだが、恋とか青春だとかは青臭く感じているようである。
「……なんつうか、レミはどれだけ近づいても心が遠くにある感じがしてさ。きっと本気で好きな相手がいるんだろうなってオレは考えてたんだよ」
「それは亡くなった四季島センパイのことで……」
璃玖とは関係ないのではないか。
それを指摘すると、栖虎は天井を見上げる仕草をした。
「オレも初めはそう思ってたんだよ。だけど、違うんだ。レミは確かに死んだ彼のことも好きだろうけど、恋愛対象としてはとっくに割り切ってるように見える。色々と拗らせる原因には違いねぇだろうけどさ」
「その拗らせが心の壁になっているのでは?」
レミの中で燻っているのは自分の行動が原因で想い人の生命が奪われたことへの贖罪意識のはずである。
少なくとも璃玖はそう理解したうえでキッパリとレミへの想いを断ち切った。
それに、璃玖をフッたのは他でもないレミ自身であり、栖虎が璃玖をライバル視するのは変な話だ。
しかし栖虎は確信を持ったように言い切る。
「いいや、レミは璃玖くんに気があったね。現に、あいつから何度か身体で迫られただろ?」
「それは……先輩の、自暴自棄の一環で」
「違う。だってよ、レミの方から誘ってきたパターンなんて、璃玖くん以外に一人もないんだぜ。オレの知る限りではな」
「……え?」
目を見開く璃玖。
そんなはずがない、レミは実際に数々の男性と関係を持っていたではないか、と彼は自分の記憶に問い掛けた。
が、それは逆に、栖虎の言葉の信憑性を高めることになる。
確かに彼女は誘われた相手を断りはしないけれど、自分から積極的に誘いをかけたという話は聞いた覚えがなかったのだ。
(ソラは……驚いてないな)
璃玖は、ソラの表情に驚きや戸惑い、迷いが見えないことにも気が付いた。
──おそらく、ソラは察していたのだ。
当時の、レミの真意を。
「あいつ、一度セフレ関係になった相手になら誘惑する素振りを見せることはあるけどさ、きっかけはだいたい男の方からなんだよ。……たぶんだけどレミは璃玖くんが好きだったんだ。だが同じくらい、亡くなった彼に対する想いも強かった。そんな気持ちで璃玖くんに手を出すのは、君を『彼の身代わり』にしているようで気が引けたんじゃねぇかな」
それではまるで、璃玖がかつて抱いていた『四季島拓人の代替品になりたくない』という想いと対の感情ではないか。
もしも栖虎の説が正しいとすれば、レミと璃玖との考え方は綺麗に噛み合っている。
噛み合いすぎて、上手くすり抜け、手ごたえを感じないほどに。
「でも、そしたらなんでレミ先輩は俺に手を出そうとしたんですか」
「んー、それはオレにはわからない。今話したのだって推察だしな。いっそ理性と煩悩の狭間で起きた謎ムーブってことで納得し解けば良いんじゃね? ……あるいは」
少し間を溜めて、栖虎は言う。
「大切な璃玖くんと距離を置くためにあえて取った、悪女的行動、とかな!」
「そんな」
狼狽える璃玖に、栖虎は耳の後ろを掻きながらややきまりの悪い顔をした。
「あー、でもあれだぜ? これはあくまでオレが『そうなんじゃねぇか』って思ってるだけの話。だから矛盾があっても当然だし、あんまり真に受けんな。──だがまあ、オレが璃玖くんに感じてたジェラシーの説明にはなってるだろ? なあ、ソラくん」
ソラはやや目を伏せる。
何も言い返さないのは、栖虎の言い分に文句のつけようが無いからか。
あるいは別の考え事をしているのだろうか。
栖虎はそんなソラの返事を待たず、照れ隠しのように声を出して笑った。
「はっはっは。まあ結局何かっつーと、レミを落とすには璃玖くんにカノジョが出来た今がチャンスってことだ。それにレミと璃玖くんの間に作られる新しい思い出にオレも割り込んでやることができるしな。だから今回はオレの方から運転手役を願い出たわけよ! 最初は断られたけど何とか食い下がってさ。だからソラくん、お前の喧嘩の相手はレミじゃない。オレだ。おーけー?」
全てはレミが璃玖に気があるのではないかと邪推した栖虎の、ちょっとしたわがままが原因で起きた姉弟喧嘩。
それが今回のソラとレミの諍いであった。
レミが初め栖虎の同行を拒んでいたのが本当だとしたら、ソラの憤りの矛先は栖虎でなければいけない。
「で、でもっ、最終的に許可したのはレミで……」
この期に及んでまだレミのせいにしたがるソラ。
璃玖はソラの正面に身体を滑り込ませると、おもむろに彼女の柔らかそうな頬に触れて──。
……頬肉を摘み上げ、軽く引っ張った。
「は、はひをふるを!」
「いい加減矛を収めなさいってこと。ソラは俺のために怒ってくれてるみたいだけど、俺は何も気にしてないんだから」
「むい」
要らぬ節介、とは口にしなかったが、つまりそういうことだ。
「それに……」
「むい?」
璃玖はソラの頬を引っ張るのをやめて、代わりに栗色の髪を優しく撫でてやった。
最大級の優しい笑顔を向けながら。
「今は大好きなソラの笑顔が見たい気分なんだ。それが一番、幸せだと思えるからさ」
「……な、なッ」
「でも、俺のことを想ってくれてありがとうな、ソラ」
そう言って璃玖は膝立ちになり、ソラの頭をそっと抱き寄せた。
ちょうど鳩尾の辺りに彼女の体温を捉え、瞼を閉じて愛おしさを噛み締める。
一方、ソラは璃玖の胸の辺りで真っ赤になって目をぱちくりさせている。
まさかこの流れで、ましてや他人のいる空間で、堂々と抱きしめられるなど想像してもいなかったに違いない。
彼女は気恥ずかしさと心地良さとで半ば混乱状態になっていた。
(……ということなんで、安心してくださいよ栖虎さん)
璃玖は目を開けて、栖虎へと顔を向けた。
ソラとのいちゃらぶっぷりをわざわざ見せつけたのは栖虎へのメッセージでもあった。
『自分はソラに夢中なんだから、もうレミとの関係のことで余計な心配をしてくれるな』
……そう目で訴える。
栖虎は不敵に微笑み、やがて目を逸らした。
目の前でイチャつくバカップルを見ていられなかったらしい。
「……ったく、見せつけてくれちゃってよォ。無性にヤニでも吸いたい気分だぜ」
「あ、あの……ぼくも、じゃなくてわたしも頭冷やしてきます」
璃玖から離れたソラは、顔を赤く染めたまま、ポーチを手にそそくさとお手洗いへ入っていく。
そしてすぐに出てきたかと思えば、一言も発さずに部屋を出ていってしまった。
風呂の用意を持って行ったから、おそらくシャワーを浴びに行ったのだろう。
栖虎は『よっ』と声を出しながら立ち上がり、荷物を開けて小さな筒状の装置、すなわち電子タバコを取り出した。
窓も開けずに吸い始めるも、匂いは全くしない。
どうやら彼が吸っているのはただの水蒸気らしい。
「ヤニ入ってないじゃないですか」
「おん? ああ。レミがさ、タバコの臭いを嫌がるんだよ。で吸った気分にはなりたいから、これ」
「先輩のこと本気で好きなんですね」
「うっせー」
カラカラと部屋の窓を薄く開ける栖虎は、独り言のように、小さく呟いた。
「チッ、さっきの話レミに言うなって、ソラくんに口止めすんの忘れたぜ」