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Scene1-4 男二人、風呂の中

 風呂の利用時間は残り一時間半ほどあったが、さっさと済ませてしまうに越したことはない。

 ということで、璃玖(りく)栖虎(すとら)の男性陣は中浴場に二人で入り、ソラは小浴場でシャワーだけ浴びて、すぐにレミに交代する流れになった。


「おっ、璃玖くん結構鍛えてんねー。筋トレとかしてんの?」

「はい。と言っても受験の時に少しサボりましたけどね」


 璃玖は横目で栖虎の様子を(うかが)った。

 脱衣場でシャツを脱ぐ栖虎の体格もかなり良い方なのだが、璃玖の方がやや筋肉質で引き締まった見た目であるようだ。

 十代と二十代の年齢差も関係しているのかもしれない。


「さ、入るとするか」


 二人は引き戸をカラカラと開け、浴室へと向かった。



 ──カポーン。

 


 数分後、湯船にどっぷりと浸かりながら、大きく息を吐き、リラックスする璃玖と栖虎。

 彼らがいるのは民宿の中浴場だが、サイズ的には四、五人で入ってもギリギリ足が伸ばせそうなくらいには広かった。

 黒いタイルにオレンジの照明、という落ち着いた雰囲気の風呂だ。


「デカい風呂入ると泳ぎたくならね?」

「そこまで広くはないですって」

「チッ、つまんね。もっとデカい風呂の旅館にすりゃ良かったぜ」

「どうしても泳ぎたいんですね」


 璃玖が苦笑いする(かたわ)らで、既に栖虎は後ろ手を突いて仰向けにぷかぷかと浮いて遊び始めている。

 公衆浴場なら迷惑客以外の何者でもないが、内心璃玖も『楽しそうだな』と身体が(うず)いていた。


 璃玖は両頬をピシャリと叩く。


「で、栖虎さん。レミ先輩とはどういう関係なんですか?」


 ──次の瞬間、栖虎の大きな体が湯の中に沈んだ。

 体を支えていた手を滑らせたらしい。

 彼は()せながら上体を起こすと、璃玖へ振り向いて言った。


「なになに、急にどうしたぁ? ビックリするじゃん」

「そんなに驚くことですか? やっぱり栖虎さんの片思い、とか」


 栖虎はバツの悪そうな顔で左耳の後ろを()く。


「──やっぱ、そう見える?」

「っていうか、そうとしか見えませんが。レミ先輩からは軽くあしらわれてるふうでしたけど」

「くっそ、璃玖くんは目ざといな。まあ、おおよそそんな感じだよ」


 栖虎は湯船から立ち上がると、その縁に腰掛け足湯状態になった。

 タオルで股間部を覆い隠し、ふう、と溜息を吐く。


「あいつほどの美人はそうそういねぇからよ。狙わない男は男じゃねぇって」

「はは。ちょっとわかります」


 今はソラという彼女がいる璃玖だが、夏頃までは二年半もレミへの片思いを続けていたわけで。

 栖虎の言葉には同意せざるを得ないのだ。


「でもあいつ、大学でも男をとっかえひっかえしてるからさ、オレとしちゃあぶっちゃけちょっと複雑な訳よ」

「栖虎さんはアタックしないんですか? 割とすぐ付き合ってくれそう……と言ったらレミ先輩に失礼ですけど」


 レミの『付き合う』は『好き』とイコールにならないことは璃玖にも察しがついている。

 しかし交際だけが目的であれば、それを達成するのは難しくないはずだ。

 想い人を亡くして以降に発生したレミの自暴自棄は、今もなお完全に終息したわけではないだろうから。


「あいつに彼氏がいない時期を狙おうと思ったんだがな、ようやくフリーなったのが去年だろ? その時にはもう、なんつーか、都合の良いポジションに落ち付いちまってさ」

「……なるほど」


 レミにとっての都合の良い男というのは、即ち。

 風呂場の天井を見つめ、一呼吸置いて、栖虎は言った。


「まあ、大体察しはついてるだろうけど、今のオレとレミはセフレみたいなもんだよ」


 セックスフレンド。

 性行為を通じて欲求を満たし合うだけの関係。

 レミの言う男友達というのが何を意味しているか、璃玖には今朝方に栖虎に会った時からなんとなくわかっていたことだった。


「ソラも、気付いてますよね、それ」


 璃玖が下を向いて呟いた。


「おん? ソラちゃんか……。たぶん気付いてるな。朝から機嫌が悪かったのは、それもあるからじゃねぇかとオレは思ってる」


 生理のイライラだけでなく、今回の同行者が璃玖のかつての想い人とそのセフレという事実は、彼女が不満を抱くのに相応の理由となるだろう。

 実際、ソラは車内であまり会話に参加してこなかった。

 『レミと栖虎のことをどう思うか』と耳打ちしてきたのも恐らくは二人の関係性に気付いていたからに違いない。


「ま、しゃーねーって。オレも無理に好かれようとも思ってねぇし」


 ストラは両手で濡れた髪を掻き上げ、オールバックにする。

 ふう、と一息ついて、彼は続けて言った。


「つーか璃玖くんはよく平然としてられるな。そーゆーのは『不誠実だー』とか言って苦手なタイプかと思ったが」

「俺自身が中途半端な関係に付き合わされるのでなければ許容範囲内、ですかね。レミ先輩の場合は男の人と関係を持つことがある種の精神安定剤になってる面があるので、特に」

「ふーん。流石(さすが)、あいつのこと、よくわかってるじゃん」


 栖虎は湯船から立ち上がり、浴槽外へ出ると、タオルを絞り始めた。

 二カッと白い歯を見せ、璃玖の方へ振り返って言う。


「……んで、今の発言で俺らが穴兄弟じゃねぇって確信して安心したぜ☆」

「──言い方が下品ですよ、栖虎さん」


 湯に浸かりながらジト目で栖虎を見つめる璃玖。

 栖虎はそのまま背中を向け、タオルで体の水気を拭き取りながら、脱衣場の扉に向かっていった。

 そして扉の前で歩みを止め、正面を見据えたまま呟いた。


「ちなみに、オレは嫌だぜ。こんな中途半端な関係は。……だけどあいつが望むなら、答えてやりたくなっちまうんだよな、これが」


 彼は片手を挙げて、引き戸を開けた。


「んじゃ、お先ぃ」


 扉を後ろ手に締める栖虎を見送りつつ、璃玖もまた風呂から上がろうと腰を上げた。


 そして思う。

 栖虎と自分とは似た者同士なのではないかと。

 同じ価値基準を持ちながら、拒絶したのが璃玖で、受け入れてしまったのが彼なのではないだろうか、と。


「当のレミ先輩は栖虎さんのことどう思ってるんだろうな」


 洗い場のシャワーで体を流しつつ、考え込んでしまう璃玖なのだった。


────

──


 こうして入浴を終えた璃玖。

 自販機で炭酸飲料を買っていた栖虎と合流して部屋に戻ろうとするが、部屋の前まで来た時、中から何やら言い争うような声が聞こえてくるのに足を止めた。


「……なんか、ヤバくないですか?」

「うーん、めんどくせぇなぁ」


 二人は恐る恐る扉を開け、中の様子を伺う。

 すると、そこにあったのはソラとレミが口喧嘩を繰り広げている光景であった。


「なんでそこまで気を遣わなきゃいけないわけ? あんたら付き合い始めたんでしょ、じゃあ、私のことはもうどうでも良いじゃん!」

「だからって、もうちょっと配慮してくれたらよかったじゃないのさ! なんであの人を連れて来るんだよ!」



 男二人は顔を見合わせる。

 喧嘩の原因は、どうやら自分達らしい。

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