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Scene2-5 どっちつかずのソラ

 ソラの新生活は、順調とはいかなかった。


 初日。性転換の噂を聞きつけた学校中の生徒たちがこぞってソラの教室を訪れた。まるで見せ物のような扱いにソラの心労は凄まじく、その日は部活にも顔を出さずに家に帰って泥のように眠ったらしい。

 二日目、三日目と徐々に落ち着きを見せ始めるが、それとは逆比例するかのように、徐々に周りの生徒たちとの間に壁が生じ始めた。誰もがソラとどう接するべきかわからなかったのだろう。


 四日目。


 ソラはその日の放課後、二年生の男子に呼び出された。相手というのがこれまでにあまり接点もないような人だったらしい。そこでソラは璃玖(りく)に声を掛けた。


「センパイ、怖いのでこっそりついてきて欲しいんですけど」

「わかった。何かあったら飛び出すからな」


 ソラが呼び出された場所というのが体育館の外階段の下。秘密の話をするならココ、と学校内では有名な場所である。璃玖があえて外階段の上から現場入りをすると、そこにいたのは背の高い男子。イケメンと名高いバスケ部のエースであった。


 嫌な予感がした。嫌な予感、というのはいじめだとか暴力沙汰だとかそういうベクトルではない。もっとナイーブな部分に(さわ)る感じの勘だった。


 果たして予感は的中する。ソラはその男子に告白をされたのである。


橋戸(はしど)ソラさん。僕と付き合ってください!」


 当然ソラは困惑した様子を見せた。体は変異してしまってもソラの心は男のままだ。だからいくらイケメンだからといって恋愛対象にはなり得ないのである。


「すいません。ぼくが女になったからって、そういうのは困ります」


 やんわりと断ったのだが、相手は食い下がる。


「君が女になったから好きになったんじゃないんだよ。ずっと前から、好きだったんだ」

「……!」

「君が男のままでも、いつかは告白しようと思ってた。だけど、女の子になっちゃったのを知って、もしかしたら他の人に取られるんじゃないかって思って……」


 どうやら彼は両性愛者(バイセクシュアル)だったらしい。美少女になったから()れたのではなく、ちゃんとソラ個人を好きになっていたのだ。

 (ゆえ)にこれは一時の気の迷いでも、ましてや冗談での告白でもない。彼なりに勇気を振り絞った結果だった。


「ごめんなさい。ぼくは、男の人とお付き合いするとかは考えられないです。たとえ女になったからといって、そこは変わりません」

「……でもさ、女の人とも付き合えないでしょ」


 彼の一言に、ソラの表情は曇る。図星を突かれた、そんな顔。ソラは軽く首を横に振ってから相手の目を真っ直ぐに見つめ、真剣な調子で宣言した。


「例えそうだとしても、ぼくはあなたとは付き合えません」


 はっきりと拒絶された男子は、険しい表情になると、ソラに尋ねた。


「……いつも一緒にいる、アウトドア部の先輩が好きなのかい」

「どうしてそうなるんですか。ぼくは男、彼も男ですよ」


 男子は「そうか」と悔しげに一言だけ(つぶや)いて、しばらくの沈黙の後、(きびす)を返した。


 ソラはしばらく彼の後ろ姿を見送った後、階段を上がり、上階から隠れて見ていた璃玖に声をかける。


「センパイ。あの人、センパイのことを疑ってましたね」

「いちばん仲が良いからな。勝手にライバル視してたんだろう」


 璃玖とソラはそのまま連れ立って部室に顔を出し、部員たちとしばらく語らったのちに、二人一緒に帰路へとついた。


 しかし、事態は急変する。


 ***


 翌日。璃玖が男友達と一緒に教室移動のために中庭を突っ切ろうとしていると、ベンチに座っていた女子生徒がひそひそ話をしているのが耳に入ってきた。


「────ねえ、橋戸が先輩をフった話、聞いた?」

「もしかしてバスケ部のエースの話? ウチが聞いたのは逆で、橋戸が先輩を誘惑したらしいよ」

「それマジ? あいつ女になったからってチョーシノリすぎじゃね?」


 彼女たちの会話内容は、中庭の壁じゅうに反響して本人たちの思う以上に漏れ聞こえている。璃玖は握りこぶしを作り、彼女らの方へと大股で歩いて行く。


「おい、璃玖!」


 男友達の制止も虚しく、璃玖は女児生徒の前に立ちはだかった。校章の学年カラーを見る。相手は一年生のようだった。


「お前らさ、噓を広めるのはやめろよ。ソラは告白されたのを断っただけだ。広めるなら事実だけにしてくれ」

「す、すみませんでした……」


 女子生徒たちは逃げるようにその場を去っていく。そんな彼女らの後ろ姿を見送りながら、璃玖は大きく息を吐いた。


 昨日の告白の件は、なまじ双方が有名人だったこともあり、おそらく昨日のうちには噂が出回っていたらしい。

 朝にはもう尾鰭(おひれ)がつきまくり、ソラが女体化を利用して男を誘惑しただの、二股をかけていただのの根拠もない話にすり替わっていた。性転換現象の奇怪さも相まって、よりセンセーショナルな方向へと話がシフトしていったのだろう。


「ソラ……」


 大切な友人のことが気にかかる。性転換に追い打ちをかけるような悪意にソラが耐えきれるのだろうか。


 この時の璃玖の不安は、またしても的中してしまう。

 結局、この日の午前中にソラは体調を崩して早退。土日に璃玖が家を訪れても顔を見せてすら貰えず、月曜日には初めて学校をサボった。


 そこから数日。

 (あい)も変わらずの曇り空。五月三十日の水曜日、ソラは今日も学校には来ていない。




「……なあ、ソラ」

『なんですか、センパイ』


 その日の夜。璃玖は電話越しにソラの声を聞いた。久々だった。昨日まで、電話をかけても取ってくれなかったのだ。


「何があったんだ」

『何って、センパイは知っているでしょう?』

「噂のことは当然知ってる。でも、それだけか? お前が学校に来れなくなったのは、何か他に原因があるんじゃないのか」

『…………』


 例の噂はソラの心を(えぐ)るのに十分すぎるくらいの威力があっただろう。だが、所詮(しょせん)は根も葉もない話。誤解を解く(すべ)はいくらでもあった。

 だから、何かあると思ったのだ。ソラが璃玖にすら打ち明けられない、学校へ行くのが怖くなってしまうような、ダメ押しとなった決定的な何かが。


「クラスの連中に何かされたのか? それとも、誰が嫌がらせを────」


 璃玖がそこまで言うと、ソラは言葉を(さえぎ)るように声を上げた。


『違います。直接的にどうこう、ってことは無いです。クラスの皆もむしろ(かば)ってくれる人が多くて』

「じゃあ、間接的には何かがあったんだな」

『……はい。そうです』


 ソラは話した。同級生たちとの会話中、言葉の端々(はしばし)に『ソラをどう扱って良いのか分からない』という空気を感じ取っていたのだと。それは告白事件以前からずっと感じていて、事件以降はよりはっきりとした形になって見えたのだという。


『ぼく、学校側の配慮で男子生徒の扱いのままで居れるじゃないですか。でも、特に体育の授業では男子に混ざるわけにもいかないし、かといって女子に加わるのも良くないってことでずっと見学させられているんです。それで、噂の件もあって『どっちつかずでいるのが良くない』って言いだす子が現れて……』


 男なのか女なのかはっきりしないからこうなるんだという下手(へた)すればジェンダー差別に抵触しそうな意見は、今のソラの心には深く突き刺さった。


『ぼく、中途半端なんですって。……自分ではずっと男のつもりなんですけど、こんな体だから……ううッ、こんなだから、ダメなんだって……!』


 ソラは嗚咽(おえつ)混じりに打ち明ける。嗚咽はやがて慟哭(どうこく)に変わり、端末のスピーカーがビリビリと音を立てた。


『ぼくは……ッ、ずっとぼくのままでいたいのに! どうして、どうしてですか、なんで女なんかに……くそぉおお!』


 ぼくのままでいたい。それがソラの本心。……否、そうではない。自分が自分のままであることを、【認めてほしい】。それこそがソラの本音だった。


「ソラ」


 璃玖は声をかけた。あまり感情のこもらない声で。(いきどお)りに震える指をぐっと抑え、ソラに動揺が伝わらないようにゆっくりと呼吸をしながら、冷静であろうと努めた。

 自分は先輩なんだ。いつか泣いていた自分に肩を貸してくれた優しい後輩に恩返しをするために、今度は自分がソラを導いてあげなければ。覚悟を決めた璃玖は、ソラに告げる。


「ソラ、明日の朝に迎えに行くから、ジャージを着て待ってろ」

『え、ジャージ? それは、どういう────』


 璃玖はソラの返事を待たずに電話を切った。電源ごと切った。通話を長引かせれば、断られてしまうと思ったから。明日は無理矢理にでも、ソラを外へ連れ出すのだ。

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