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Scene2-6 いつか、その日が訪れるまで

「二人がいつまでも幸せに、ねぇ。ふふ……果たしてそう簡単にいくのかな☆」


 底知れぬ暗闇。

 上下左右すら判別のつかない漆黒(しっこく)虚無(きょむ)の中にぼんやりと浮かび上がるように女がいた。


 白い肌には黒い紋様。

 黒い装束(しょうぞく)に黒い長髪。

 長い耳に高い鼻、黒い眼はなんと、三つもある。

 額に第三の目を持つ異形(いぎょう)の麗人、それが彼女だった。


 真っ暗で何も見えない空間の中で、彼女は確かに何かを(のぞ)き込んでいる素振(そぶ)りをしている。

 しかし第三者には彼女が何をしているのか、全く見て取ることは出来ないのだ。


「ねえ、黒の魔女は一体何を見ているの?」


 空間にもう一人の声が響く。

 声変わりからさほど時間も経っていないような、若い少年の声。


 黒の魔女と呼ばれた女が振り向くと、少年の姿がおぼろげに浮かび上がった。


 栗色の髪に、灰色の瞳、そして、白い裸体。

 細身で引き締まった体格の、中高生といった風貌(ふうぼう)

 何も身に(まと)っていない彼の身体にはブロックノイズのようなものがそこかしこに走っている。

 電波状況の悪い環境で投影された立体映像のようだった。


「やあ久しぶりだね橋戸(はしど)ソラくん♪ 今は板東(ばんどう)茉莉(まつり)の部屋を、ちょっとね★」

「……いくら他人の生活を覗き見れるからって、悪趣味だよ」


 栗色の髪の少年、ソラは顔を(しか)めつつ言った。


 一方の魔女はニヤリといった笑顔の形を浮かべている。

 が、表情に反して何故か感情を感じさせない。

 得体(えたい)の知れぬ不気味さだけが彼女を包んでいた。


「ボクは全てを覗けるわけじゃない。今はキミに波長を合わせているから、見えるのはキミに関する事柄だけだ。逆に言うとキミの私生活は筒抜けなんだけどね♡」


 そう言うと、魔女は急に拍手を始める。

 さも嬉しそうな表情で、しかし無感情に。


「おめでとう☆ 大好きな樫野(かしの)璃玖(りく)くんと無事に恋人になれたね♪」

「ど、どうも」


 恋人の名前を聞いた瞬間、ソラの表情が綻んだ。

 大好きな人の話だから、ついつい警戒が緩んでしまうのだ。


「しかしよく付き合う気になったねぇ。ボクがキミに接触してからしばらくは、彼のことをどこか()ていたじゃないか」

「……ぼくのこの身体の状態を考えたら、近すぎる距離が、つらくて」

「だというのによくも恋人になれたものだよ★」

「茉莉先輩が背中を押してくれたからね」


 九月終わりの学校祭の日、ソラは茉莉に相談を持ち掛けた。

 そして打ち明ける。

 自身の性転換の原因と、黒の魔女の存在、そしてソラを待ち受けている未来について。


 茉莉は半信半疑ながらも、ソラを応援し続けると告げた。

 その上で、『もしもソラが璃玖と付き合うことを望むのなら、自分はその気持ちを尊重したい。むしろ歓迎したい』と、そう言ってくれた。

 元々はソラが男の身体に戻ることを願っていた立場なのに。

 ソラが幸せになる選択肢があるのならば、自身の願いなど二の次なのだと。


「それから何か月か必死に考えたよ。それで、思ったんだ。センパイの……璃玖のことがやっぱり好きだ、諦めたくないって。少しでも良い。特別な関係でいたい。そう思ったから」

「だから、()()()()()()()()()でも良いって?」

「──ッ!」


 ソラが顔を伏せるのと同時に、彼の身体を走るブロックノイズが酷くなる。

 輪郭(りんかく)が乱れるほどに、暗闇の中に浮かぶ彼の姿は激しくブレた。


「わかってるよ! ぼくのこの状態はとても不安定で、いつ男に戻ってもおかしくないんだろ?」

「そうかい。理解しているなら良いんだけどさ」


 魔女は何もない暗闇にそっと手を伸ばす。

 瞬間、突如(とつじょ)としてそこに無数の糸が出現した。

 色とりどりの、細い釣り糸のようなものが、ソラや魔女を中心に(いく)つも幾つも張り巡らされている。

 縦横無尽に糸が絡み合う(さま)は、さながら蜘蛛(くも)の巣であった。


 魔女はソラの胸を貫くようにぼ見ている糸の一つに触れようとし、しかしその指は空を切る。

 どうやらこれらはホログラムのようなものらしい。


「これは、【因果(いんが)の糸】?」


 ソラが尋ねると、途端(とたん)に魔女の(まぶた)が細く閉じられる。

 やがて耳まで避けるんじゃないかという怪しげな笑みを、魔女はその顔に貼り付けた。


「そ。人間の中に無数に広がる可能性を示す、魂と魂の繋がりだよ♡」


 魔女は細い右腕をスッと伸ばし、暗黒空間の一点を指で示す。


 ソラの視界には何も映らない。

 が、得体の知れない圧力ようなものを、魔女の差した方向から確かに感じるのだった。


「【時の大河】はキミには見えていないのだったね。良いかい? キミの性別を決定づけている因果の糸は大河の中の岩みたいなところに引っ掛かっていて、今にも外れてしまいそうな状態だよ。ボクが前に見た時よりも、ずっと不安定なんだ」


 魔女は軽く握った拳を口の前に置き、くっく、と喉を鳴らした。

 彼女曰く、【因果の糸】なるものがこれほど不安定になっているのは、他の【バグリー】には見られない特異な状態らしい。

 おそらく魔女にとって、ソラは観察しがいのある異常な存在なのだろう。


「ぼくはいつ元に戻るの」


 ソラが不安を(はら)んだ眼差しのまま魔女に尋ねる。

 しかし魔女は首を横に振った。


「ボクはネタバレが嫌いでね。これと決めた観察対象の未来を見るのは嫌なんだ☆」

「どうしても……だめ?」


 ソラは食い下がる。

 渾身(こんしん)の上目(づか)いで、甘えた表情を作ってみせた。


 ところが魔女は(あき)れかえったような表情を作ると、黒衣に覆われた小さな肩を(すく)めた。

 人を小馬鹿にしたような声色で、至極(しごく)冷静なツッコミを入れる。


「あのねぇ。キミの魂は男の姿だから上目遣いをしても何も可愛くないよ」

「あ、そっか」


 作戦失敗のソラだった。

 しかし魔女は少しだけ口角を上げてこう告げる。


「でも、まあ、少しだけなら見てあげなくはないかな♪」

「え」

「『え』ってなんだい。ボクだってたまには人の役に立ちたいんだよ? ネタバレは大嫌いだけど、人助けのために少しだけ未来を覗いてあげようじゃないか★」


 ソラは驚いた顔をして、そして小さく『ありがとう』と呟いた。


 こくりと頷いてソラに応答した魔女は、すぐさま何も無いはずの空間でしゃがみ込むと、闇の深淵(しんえん)を覗き込むように目に力を入れた。

 それはきっと、遠くを見つめる目だ。

 それはきっと、遥か未来を見通す眼差(まなざ)しだ。

 ソラの視界には何も映っていないが、おそらく魔女の視線の先に【時の大河】とやらがあるのだろう。




「ふっ……くく♡ 凄い、これは面白いことになっているぞ☆」


 やがて魔女は心の底から可笑しさが込み上げてきたかのように喉をすぼめて笑う。

 そして立ち上がり、脚も動かさずにソラの前まで移動すると、告げた。


「橋戸ソラくん、キミはね──」


────

──


 ソラは目を覚ます。

 見慣れたベッドの上、大好きな人の匂いのする布団の中。


 目を擦り、体を起こすと、目の前には勉強に(いそ)しむ恋人の背中がある。

 璃玖はモゾモゾと動くソラの気配に気がついたのか、手を止めて振り返った。


「あれ、もう起きるのか? 五分くらい前に眠ったばかりだろ」

「あれ、そうだっけ。……なんだろう、お昼からのデートが楽しみすぎて一瞬で覚醒しちゃったのかな」


 ソラは伸びと共に大欠伸(あくび)をしてから脚を床に下ろした。

 なんだか一時間くらいは眠っていたような感覚がする。

 だというのに一日中遊び回った後のように疲れが溜まっていた。


 あの暗黒の夢を見ると、いつもこうなのだ。

 ただの夢では絶対にあり得ないほどの、『情報圧』とでも形容すべき何かが知識と引き換えに体力を奪っていく。


「ふああ」


 ソラがもう一度欠伸をすると、それにつられたのか、今度は璃玖も大口を開けて空気を飲み込んだ。


「あれー? 璃玖も眠たいの? わたしと添い寝しちゃう?♡」

「……勉強しよ」

「もうっ、つれないなー」


 再び机に向かう璃玖の背中を見つめながら、ソラは唇を尖らせる。

 そしてしばらく彼が頑張る姿を眺めてから──ソラはふっと微笑(ほほえ)んだ。

 ベッドに大の字で寝転がり、真っ白な天井を見上げる。

 朝の日差しの照り返しで、少し(まぶ)しい。


 ──もう少し、このままでいたい。

 女の子として、璃玖の隣でカノジョしていたい。


(春になったら、ぼくはもう……)


 嫌なことを考えてしまい、ソラはブンブンと首を横に振る。

 脚を持ち上げ、シーソーの要領でベッドから跳ね起きると、璃玖の背中へとしがみつきに行った。


「おわっ! 急にどうした!」

「えへへー、璃玖ー、好きぃ♡」


 ソラは璃玖の頬にキスをした。

 精一杯の愛情表現。


 時限爆弾が弾けるその日まで、目一杯に璃玖との恋愛を楽しんで、思い出に変えていくのだ。

次回より第五章に移ります。

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