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Scene2-4 星空のキス

 緩やかな階段を一時間ほど掛けて登り切る。

 選んだコース内に登山道らしい箇所はほとんど無く、最初から最後まで整備された遊歩道であったが、真っ暗闇の緊張感もあって頂上に着く頃にはそれなりに疲労を感じるものだった。


「山頂に着きましたけど、誰もいませんね。施設の人くらい残ってると思ったんですけど」

「お店は五時前には大体閉まるし、ロープウェイの終電までには帰るんだろ」

「えっと、今は……うわ、もう夜八時ですね」


 銀河山(ぎんがざん)山頂部の(みね)沿いの広場を二人は横並びで歩いた。

 山頂の広場の中のさらに高台を目指して。

 普段は観光客や地元の中高年が散策に訪れる場所に人の気配が全く無いのはなんとも不気味であった。


「センパイ、なんか怖いです。山道なんかよりよっぽど何か出そうで」

「……イノシシか?」

「お化けですよ!」


 そう言ってソラは璃玖(りく)のジャケットの裾を掴む。

 そんなに怖いのかと璃玖が横目で隣を見れば、そこには満足げな表情のソラがいた。

 どうやらお化けに(かこつ)けて璃玖とくっつきたいだけだったようだ。

 本当に心霊現象に怯えるなら、そもそも夜に城跡がある山になど登ろうとするはずがない。


「えへへ、センパイ」

「なんだよ」

「センパイ、センパイ♪ ふふ、いっぱい呼んでおこうと思って」

「……?」


 上機嫌で璃玖のことを何度も呼ぶソラ。

 歩きづらくなるのもお構いなしに璃玖の腕にくっついてくる。

 既に恋人気分なのだろう。


 二人はもう、お互いの気持ちを知っている。

 (ゆえ)に、これから行われるのは言うなれば、儀式なのだ。


「なんか自販機の(あか)りが凄くほっとしますね」

「だな。文明に帰ってきた気がする」


 自販機があるのは今は営業時間外の展望レストラン。

 その外階段を登れば銀河山の展望台である。

 本当の山頂は城や木々が邪魔となって展望は楽しめないが、ここならば夜景を一望できる。


「うわぁあ! センパイ、凄く綺麗ですね!」

「絶景だな、これは」


 眼下に広がる街の灯りは、例えるならば真っ黒な宇宙空間に散りばめられた星々。

 遠くに見える隣県の大都市群が煌々と帯を成し、さながら天の川のようであった。

 頭上にも星屑(ほしくず)、視界いっぱいに広がる光の粒。

 銀河の中心にでもいるような気分だ。


「ここが銀河山って呼ばれる理由がなんとなくわかる気がするよ」

「ですね」


 山肌に吹き付ける風が冷たくて、二人は身を寄せ合った。

 幻想的な風景に目を奪われたまま、少しでも温もりを逃さないように互いの隙間(すきま)を埋める。

 その様はまさに、世間という風に抗いながら心の隙間を埋めてきた璃玖とソラの関係性そのものである。


 静かに夜景を見つめたまま何分経ったか、璃玖がしばらくぶりに口を開く。

 体の角度を変えて、目の前の綺麗な横顔を見つめながら。


「なあ、ソラ」


 すると彼の言葉を遮るようにソラは言った。


「付き合ってください」


 言い終わってから、ソラは夜空を映し込んだ瞳を璃玖の顔へと向ける。


「え……っ」


 今まさに自分が言おうとした言葉を相手に先に奪われて、璃玖は少しばかり言葉に詰まる。

 それを躊躇(ちゅうちょ)と捉えたのか、ソラは言い回しを変えてもう一度願いを口にした。


「ぼくをセンパイのカノジョにしてください」


 揺らめく瞳は、ソラの気持ちの(たか)ぶりの表れ。

 そこからこぼれ落ちた粒は、果たしてどのような感情を溶かし込んでいたのだろう。

 璃玖はソラの顔をそっと掌で抱き込んで、手袋の親指で頬を伝う(しずく)(ぬぐ)った。


「俺から言わせろよ、ばか」

「ばかってなんですか。センパイのカノジョになる前に、最後に男らしく決めさせてくださいよ」

「……そういう」


 カノジョになる、とソラは言う。

 恋人ではなく、カノジョと。

 それはつまり、今後男としては扱わないで欲しいという意味なのではないのか。

 故に、最後の最後で『男らしく』交際を申し込み、男としての自分と決別しようと言うのだろう。


「わかった」


 璃玖は受け入れた。

 ソラの想いを、彼女の覚悟を。


「これからは俺のカノジョとして、よろしくな。ソラ」


 少し目を細めながら、璃玖は言った。

 栗色の髪の彼女はもう一粒だけ涙を流しながら、にこやかに(うなず)いてみせる。


「うん、これからはわたしのカレシとしてよろしくね。璃玖」


 ソラは満面の笑みで少しだけ首を傾けて、風の中に涙を預けた。


 璃玖は彼女のことがたまらなく愛おしくなって。

 そのやわらかな唇にそっと口付けをした。


 唇同士が触れるだけの、どこかぎこちないキス。

 以前の口付けの方がもっと激しかった。

 以前の口付けの方がより情熱的だった。

 だけども今の口付けの方が、よほど幸せだった。

 やっと手が届いた、そんな気がしたから。


「……ふ」

「なに、なんで笑うの?」

「いや。なんかソラが『わたし』って言うの、すごく違和感があるなって」


 璃玖が苦笑いを浮かべると同時にソラはぷくりと(ふく)れた。


「良いじゃん、今くらい。そのうちポロッと『ぼく』って言っちゃいそうだけど……」


 次の瞬間、ソラは小悪魔な笑みを作り、しかし本物の感情を乗せて自身の恋人に(ささや)く。


「今はまだ、わたしでいさせて欲しいな。璃玖のカノジョとして」


 きゅっと唇を結び、強い目をして彼女は言った。

 璃玖は彼女の肩を抱き寄せて、もう一度だけ触れるようなキスをした。

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