Scene2-3 ナイトハイク
夜登山を決意した二人は一駅分だけ電車に乗り、大急ぎで家に戻ると支度を済ませた。
今度は自転車を引っ張り出して、山の麓まで走っていく。
自宅からであれば公共交通よりも自転車の方が早いのだ。
「銀河山公園、とうちゃーく! ほらセンパイ、早く登りましょ!」
「元気だな、お前」
夕方には警察沙汰になるくらい酷い目にあったというのに、ソラは上機嫌そのものであった。
それもそのはず、ソラにとってこれは……。
「だってだって、久しぶりの登山ですもん!」
生粋のアウトドア好きがかなりのブランクを開けてしまったことへの反動。
久々に趣味に興じることが出来るとあってはテンションを抑えろと言う方が難しいというものだ。
「それで浮かれて装備を疎かにするんじゃ駄目だろ。つーか動画でアウトドア取り上げればいいじゃん?」
璃玖がそう言うと、ソラはチッチと指を振る。
「そこは聖域というか、簡単には立ち入って欲しくない所って感じですよ。プライベートな部分は残したいというか」
「なるほどね」
世界中に顔を曝け出して見せている以上、だんだんと私生活は制限されても仕方がない。
現に今日の昼間に起きた事件は知名度が上がってきたからこそ起きた事象なわけだ。
絶対にオンライン上には公開しない情報として、一番の趣味を設定しておくのはひとつの線引きとして効果的なのかもしれない。
「さ、さ。センパイ。行きましょ行きましょ」
「その前に、装備チェックな」
「はーい!」
ソラの身に付けている防寒具は有名アウトドアブランドのレディースの新作。
ピンクと黒のツートンカラーのジャケットがやたら目立つが、女となったソラにはこれでもかというくらいに似合っている。
イエローのニット帽とザックを合わせると相当ド派手だ。
一方の璃玖はカーキ色のライトジャケットの下にこれでもかと防寒下着やトレーナーを着こんでいる。
ダウン素材のパンツやニット帽は黒系統なので、蛍光ブルーのザックとオレンジの登山靴が目を引く他は全体的にとても地味な見た目だ。
ソラは胸のところにLEDライトを装備し、先ほどまで持っていたペンライトも同時携帯している。
璃玖はヘッドライトと胸のライトのダブル装備。
替えの電池も用意されていることを確認した。
「夜道だし、『七曲り』で行こう」
璃玖はそう言って公園の奥へと歩き始めた。
『七曲り登山道』は銀河山の頂に続く道の中では最も歩きやすい、遊歩道のようなコースだ。
つづら折りになっている道の形状がその名の由来である。
「うー、寒い。着込んできてよかったぁ」
「お前はさっきすっげー軽装で登ろうとしてたけどな」
「反省してますので許してセンパイ♡」
上目遣いでかわいこぶるソラ。
璃玖の想いを知っている今それをやるのは、はっきり言って反則である。
璃玖は咳払いをし、両頬を軽く叩いてから璃玖は前を向いて登山を再開した。
暗がりは予想以上に深く、期待していた月明かりは全く頼りにならなかった。
月が高度を上げて南中に近づかないと、山の稜線や木々に光を遮られてしまい、状況は新月となんら変わらないのだ。
やはりペンライト一本で山に入るなど無謀だったと肌で感じる二人である。
装備を見直して本当に良かった。
「ソラって夜の登山は初か?」
「初めてです。センパイは?」
「ここまで暗い時間帯は初めてだな」
二人の考えることは同じであった。
すなわち。
「「怖ァ!!」」
キャンプの時に夕暮れの中、ちょっとした散策をしたことなら二人にも経験がある。
が、とっぷりと暮れた夜の山を登るなんてのはどちらも初体験だった。
「昔、レミ先輩と銀河山から夜に下山をしたことはあったけど、言ってもあの時は日暮れギリギリって感じだったからなぁ」
璃玖がそう言うと、途端にソラは口を尖らせジト目になった。
「センパイ……『昔の女』の名前を出さないでください」
やきもちから出た恐ろしく低い声のトーン。
璃玖がようやくソラの不満げな視線に気付く。
「別に付き合ってないんだが?」
「ホテルまで行ったくせに」
「行っただけで、最後までやってないから」
「途中まではしてるじゃん」
「そんなこと言ったらお前とだって……」
「!!」
ソラは手にしていたペンライトを顎の下から顔に照射し、にこやかな顔で璃玖を見る。
下からの光はソラの顔に恐ろしげな影を作った。
「センパーイ? 恥ずかしいことを思い出させないでくださいねー?」
「怖ええよ、顔が!」
ほとんど何も見えないような闇の中に浮かび上がった人間の顔というのはもうそれだけでホラーなのだった。
「それよりホラ、前見て歩け、前を」
「うわっと」
璃玖が指摘した瞬間、ソラは階段の段差に躓く。
言わんこっちゃ無い、と璃玖は肩を竦めた。
「……センパイがえっちなせいです」
「なんでだよ」
以降しばらく無言になる二人なのだった。