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Scene2-2 ソラの本音

「大好きだよ、ソラ」


 ありったけの心を込めて。

 大きすぎる想いを言葉の裏側に乗せる。


「人間として好き、とか冗談を言うのはナシですよ」

「じゃあ言い方を変えるよ。俺はお前に、恋してる」


 今すぐにでも、抱き締めたいくらいに愛しい。

 だというのに、璃玖(りく)の目の前にある灰色の宝石は不安げに街灯りを映す。

 やや躊躇(ためら)いがちに、ソラは尋ねた。


「……レミのことは、本当に良いんですか」


 それは、璃玖の過去の恋。

 当人たちの中ではとっくにけじめのつけられた、()りし日の想い出。


「半年近くも前に終わった話だろ」

「まだ四ヶ月ですよ。何年も好きだった人なのに、たった数ヶ月で、その……」


 自分に乗り換えるのかと、ソラはそう聞きたいのか。


「レミ先輩との時間と、ソラと過ごした時間。比べるまでもなく、お前との時間のほうが濃密だよ。長さじゃないんだ。どれだけ心を突き合わせられたか、じゃないかな」


 レミと向き合う時間は、過去と向き合うのと同義だった。

 彼女の抱える闇、すなわちバスジャック事件に心の整理をつけるための時間だった。

 対してソラと向き合う時間は、今を見つめるのと同じ。

 【バグリー】となったソラと共に、周囲からの偏見や悪意に立ち向かい、絆を深め合うための時間だった。


 どちらが未来に近いというのだろう。

 答えは言わずもがな、である。


「お前はどうなんだ、ソラ。女になってから半年で、俺に対する気持ちに変化はなかったのか」

「そ、その聞き方はずるいです。ぼくは、センパイのこと──」


 ソラは視線を下に落とす。

 街の灯りも(わず)かにしか届かないこの場所では、それだけでソラの表情は闇に覆われ、読み取れなくなる。

 そのまま何秒経ったか、ソラは押し黙ったままだ。

 しかし璃玖から声を掛けるわけにもいかず、ただ、ソラの言葉を待つ。


「ぼくはね、センパイ」


 風の音かと聞き(まが)うくらいの小さなソプラノの声は、璃玖の耳にはどうしようもなくはっきりと届いた。


 ソラは持っていたペンライトの灯りをつけて川原を照らすと、いきなり璃玖に背を向け、適当な石を掴んで真っ暗な水面に向かってそれを投擲(とうてき)した。


「何を……?」


 ソラは振り返らず、その右手に次なる小石を乗せる。


「てぇぇええい!!」


 再び川に向かって小石を放ったソラ。

 大きな水音を立てて石は水中に没する。

 静かな大河を揺らす波紋が、遠くの街の灯をキラキラと映し出した。


「ぼくには、結局無理だったんです、センパイ!」


 ソラはもう一度、全力で石を投げる。


「女の子として生きようとしました! 男の人を好きになろうとしました!」


 次なる石を拾い上げたところで、ソラは動きを止める。


「……けど、やっぱり難しくて。女の子といるより男の子といたほうが気が楽だし、メイクだって全然上手くならないし。男性アイドルとか──いろはちゃんみたいなイケメンにだってときめかない。ぼくの心はずっと、男の子のままです」


 手の中の小石を落とし、ソラはようやく璃玖を見た。

 今度はその表情が璃玖にもはっきり見える。

 ソラは、満面の笑顔だった。


「センパイだけです。ぼくが好きなのは、性別なんて関係なく好きになれたのは、璃玖センパイだけ」

「ソラ」


 ソラはゆっくりとした足取りで璃玖に近づき、彼の襟元(えりもと)にそっと手を置いて、顔を寄せる。

 星の光を溶かしこんだような綺麗な瞳がすぐ近くに迫って来るのを、璃玖はじっと待っていた。


 やがて二人の白い呼気がぶつかり合い、交ざり合い、一つになった頃。

 ソラは璃玖の唇の数センチ手前で踏みとどまると、可愛らしく小首を(かし)げて微笑(ほほえ)んだ。

 悪戯(いたずら)で、小悪魔な笑みだった。


「ふふ、ドキドキしますか? センパイ♡」

「……なんだ、ここからの一歩は俺から踏み出して来いって?」


 璃玖から数歩詰めれば、容易に口付けも出来そうな距離だった。


 しかしソラはひょいと飛び退がる。

 川原の不安定な足場にふらついて二、三歩後ろへ。


「別にそこまで含みは持たせてませんけどー」


 ソラがニヤけながらそう述べた瞬間、背後にしていた銀河山から月が昇ってくる。

 上側が少しだけ欠けた、太陰の光。

 城のある頂上部とは全然違う山際からゆっくりと姿を見せたそれが、ソラの横顔にクッキリとした影を作った。


 山の頂付近を指差しソラは言う。


「やっぱり、一緒に登りませんか。せっかくのクリスマスイブなんです。ぼくは思い出の場所で……センパイと、新しい思い出を刻みたい」

「新しい思い出か」


 銀河山(ぎんがざん)には二人で何度も登りに来た。

 ソラが不登校になった時だって、あの山への登山がきっかけでもう一度学校に来ることができるようになった。

 そして今日。


 今日という日は特別だ。

 遠方に住んでいるソラの仲間と知り合い、かつては敵だったネットの力で悪意を撃退し、そして秘めていた想いに一歩踏み出そうとしている、かつてないほどの特別な一日。


「わかったよソラ。登ろうか、銀河山」


 ちょうど良い感じで月も昇ってきている。

 満月に近い光量が得られる今日は、絶好の夜登山日和(びより)でもあるわけだ。


「え、じゃあ今すぐ向こう岸に行って──」


 にわかにテンションを上げるソラだったが、すかさず璃玖が釘をさす。


「ストップ! 流石(さすが)に装備的にマズいから、一旦家に帰るぞ」

「えー」

「えーじゃない。靴だけしっかりしてたって、防寒具も甘いし照明も一つじゃ危なくてしょうがないだろ」


 璃玖の言うことは極めて正論である。


 気温に関していえば、いくら低山といえど、高度が上がれば上がるほど風も強くなり体温が奪われるわけで。

 山歩きで体を動かして得られる熱量にも限界があるから、お洒落着(しゃれぎ)では心許(こころもと)ないのだ。


 灯りに関してだって、たとえ電池を買い足したとしてもペンライト一つでは二人が安全に歩けるだけの光量は得られない。

 懐中電灯を買うか、自宅からそれなりの照明器具を持ってきた方が良いのは当然だった。

 できれば固定式のライトで両手を空けておくのが登山としてはベストである。


「それに銀河山、出るんだってよ」

「で、出るって、まさかお化……」

「イノシシだよ。だから熊鈴くらいはつけといた方が良いと思うぞ」

「そっちかぁ☆」


 舌を出して可愛らしくとぼけるソラに、璃玖はやれやれと肩を(すく)める。

 こんな時にまであざとさは健在なのだから、よほどキャラが板についてきたと言えるだろう。

 白い歯を見せて目を細めているソラに、璃玖は手を差し出した。


「ほら、そうと決まったら行くぞ。準備を整えて、二人で頂上まで行こう。それで」

「それで?」

「上に着いたら、さっきの話の続きをしよう。俺たちのこれからについて、じっくりと」


 一瞬きょとんとしたソラだったが、すぐに元の表情に戻ると、璃玖の手を取って川原を歩き始めた。

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