Scene1-10 戦う勇気を確かに貰ったから
一里塚の公園に警察官がやってきたのは、男を拘束してまもなくだった。
はじめは男同士の喧嘩だとの勘違いから璃玖も警察に捕まり掛けるが、周囲の人の目が彼を味方してくれ、事なきを得た。
「違いますお巡りさん! その子、あちらの女の子たちを守ってたんです!」
「そう! おっさんの方からこの子に体当たりしてるように見えたし!」
「あ、あたし動画撮ってたよ! iROHAくんに言われた通りにして良かった」
もっとも、これら全てが璃玖の仕掛けである。
ソラたちがピンチに陥っていると察した時、璃玖が考えついたのがネットの力を利用することだった。
『ソラビンチ みなみの塚なある公園に人をあてめて けいさつも読んで』
男を呼び止める前にいろはに送ったメッセージ。
慌てて入力した誤字だらけの文字列だったが、意図は正しく伝わったらしい。
「さっきiROHAが言ってた、緊急生配信で! 友達を助けてって、それであーしら来たんだよ、ここに!」
「ウチは友達から拡散されてきた呟き見たから。たまたま近くだったし」
警察にそう証言してくれる若い女性たち。
いろはの呼びかけで集合してくれた名も知らぬ味方。
人通りのないこの場所で下手な立ち回りをすれば、迷惑配信者が何をしでかすかわからなかった。
だったらば、人目を集めてしまえば良い。
衆目に晒し、どちらが悪いのか第三者の目線という確たる証拠を作れば良いのだ。
かつて璃玖たちはネットという巨大な力に飲まれそうになった。
悪意に押し潰されそうになった。
それ故に理解したのだ、人の意識の集合体が持っている力の大きさを。
そして道具というのは使いよう。
ならば、存分に活用しようじゃないか。
「センパイ、大丈夫でしたか」
「ああ、問題ない。お前たちこそ怖かっただろ。ごめんな、駆けつけるのが遅くなって」
「ううん、センパイ。来てくれただけで嬉しかった……本当にどうしようもなくて、怖くて……」
「……そうだな。よく耐えたよ。お前も、茉莉も」
璃玖は目の前あった栗色の髪にぽんと一回手を置くと、すぐにその向こうにいた眼鏡の女子に微笑みかけた。
二人とも暗い表情だったが、これで少しだけ緊張が緩んだようだった。
しばらくすると若い警察官がやって来る。
璃玖たちに事情を聞くためだった。
「樫野さんは、直接的に危害を加えられたということですよね」
「腕を掴まれて、頭?を腕に何度かぶつけられたくらいですけどね」
警察官は渋い顔をした。
と、いうのも今回のように腕を掴まれただけの場合は暴行事件として相手を逮捕できない可能性が高いのだという。
腕に痛みがあるようであれば医者に診てもらって診断書を貰い、後日被害届を提出するのも一つの手だと言うが、起訴までは結びつかないのではないか、というのが警察官の見解だった。
「まあ彼の撮影行為自体が条例違反になる可能性がありますけどね。何かあれば後日、またお話を伺うかもしれません」
警察官にそう言われたところで、璃玖たちは解放された。
彼らは周りの人達にお礼を言いつつ、その場を退散することにした。
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──
「三人とも、ほんまに申し訳ないです。ボクが悪目立ちしたせいで、こないなことになってしまって」
美術館のロビーでいろはと再会すると、間髪入れずに本気の謝罪が飛んで来た。
いろははこれでもかと言うほどに深々と頭を下げる。
璃玖たち三人が逆に恐縮してしまうほどに。
「いろはちゃん、頭を上げてよ。ぼくも悪いんだ、ネットに顔を晒すというのがどういうことか、もっと考えるべきだった」
「ソラくん……」
ソラといろはは手を取り合って互いの視線を絡ませる。
やがて二人同時に璃玖と茉莉へ振り向くと、キラキラした目をしてこう言った。
「ほないしても、璃玖にぃと茉莉ねぇがいて良かった! ボクら二人で行動したままやったら、いったいどうなっていたことか」
「ぼくのこと守ってくれてありがとうございます、先輩方!」
ペコリと頭を下げるソラ。
しかし璃玖と茉莉の内心は複雑であった。
「樫野はともかく、私なんか、何もできなかったよ。自分が情けなくて仕方がないわ」
「そもそも俺らが尾行なんてしてなければ二人はもっと身軽に動けたんじゃないかな。お礼の気持ちはありがたく受け取るけど、個人的には反省が大きいかな」
璃玖は苦笑いで頭を掻いた。
茉莉など、完全に下を向いている。
そこそこ活躍出来た璃玖よりも、彼女のほうがよほど悔しい思いをしたのは間違いない。
すると、何を思いついたか、いろはが指を鳴らす。
絵に描いたようなイケメンの笑顔でいろはは言った。
「ほないしたら、リベンジマッチですね! 落ち着いたら今度は徳島に来てくださいよ! 田舎なんで、きっとゆっくり遊べます!」
「えと、ソラくんだけじゃくて、私たちも良いの?」
茉利が若干不安そうな声のトーンで尋ねた。
いろはは笑顔を崩さず、親指を立てて茉莉へと突き出してみせた。
「是非是非! ボクも……ううん、わたしもっと茉莉ねぇとお話したいですし、もっと仲良くなりたい。ほなけん、なんぼでも遊びましょう!」
「いろはちゃん、ありがとう」
いろはの言葉を聞いて、茉莉ははにかんだような表情になった。
同性の、趣味の合う同年代。
ある意味ではソラよりも茉莉のほうがかけがえのない友人を見つけられたと言えるのかもしれない。
……璃玖はなんとなくそう思った。
「ほな、早いですけどそろそろお開きですかね」
美術館のエントランスから外に出たところで、いろはが言った。
時刻は午後五時を回ったくらい。
まだ夕飯を一緒に食べるくらいの時間はありそうだが。
「もう四国に帰っちゃうの?」
茉莉が残念そうに言う。
「いえ、帰るんは明日やけん時間的にはいけるんですけどね」
いろはは何故かニヤリとして、わざとらしくソラに視線を送る。
瞬間。
ソラは顔を背け、公園のオブジェを眺めはじめた。
あからさますぎる、と璃玖が訝しむ様子を見せたところで再びいろはが口を開いた。
「今日は元々三時過ぎくらいで解散する予定やったんです。なんかソラくんは夜に会いたい人がおるみたいなんで」
クリスマスイブの夜に会いたい人。
そう聞いて、璃玖は嫌な想像をした。
今度こそソラの本命の人が現れるのではないかと。
「それに、さっきの出来事について、みなに説明せなあかんと思うんです。なけん今からもう一度緊急生配信ですね」
「ごめん。俺の独断でいろはのファンを巻き込んだから」
璃玖が謝ると、いろはは慌てて両手を細かく振った。
「謝らんといてください。どのみち今日か明日のどちらかでわたしが【バグリー】やって配信で打ち明けるつもりやったんで。ある意味スケジュール通りです」
自分の性別をカミングアウトすること。
それはイケメン配信者としてフォロワーを集めていたいろはにとって致命的なファン離れを引き起こすことになるかもしれない程の、目に見える地雷。
それを踏み抜くのは相当の覚悟が無いと無理な話だ。
「大丈夫なのか?」
声に出して聞いたのは璃玖だけだが、ソラや茉莉も同じことを思っているに違いない。
いろはは首を横に振った。
「いけるとは思いません。ほなけんど顔の見えない悪意と戦う勇気は確かに、お三方から貰いましたから」
明日にはネットニュースの記事になってるかも、といろはは笑って見せるのだった。