Scene1-9 迷惑系
「お兄さん、コラボしましょ、コラボ」
「なっ……なんなんだよ、あんたは!」
璃玖へと向けられたカメラのレンズがゆっくりと近づいてくる。
か細い声でぶつぶつと呟く小太り中年の舐めるような視線と共に。
こんな奴に迫られていたソラや茉莉はどれほどの恐怖だっただろうかと、璃玖は怒りと共に申し訳なさに苛まれた。
もう少し早くに見つけてあげられたなら、あるいは、別行動を取らなければと。
璃玖が子供の頃に騒ぎを起こしていた迷惑系と呼ばれる人達は、どちらかと言うと『図太い神経のハイテンション野郎』という印象の人物が多かった。
しかし目の前の中年男はそれとはまた違う、異質な存在に見える。
故にどう対処すれば良いかも見当がつかない。
「あの、迷惑なんでやめてもらって良いですか」
「ふひ、コーラにマントス入れてもらうだけでいいんで、おなしゃす」
相手は全く聞く耳を持たない。
本当に迷惑な奴だ。
(でも、今なら……!)
男は璃玖の方に寄ってきている。
同時に、ソラたちからは距離が開きつつある状況だった。
璃玖はソラたちへ目配せをし、そこから離れるように促した。
が。
「おおっとソラちゃんたち、ふひ、どこへいくのかなー?」
「うッ」
男はソラたちが逃げる気配を感じ取ると、その体形からは想像もつかない俊敏な動きで先回りして行く手を塞いだ。
唾を啜るような奇怪な音を立て、今度はソラに向かってカメラを向ける。
足元から胸元までを舐めまわすようなアングルで。
「ねえねえ、本当に男の子? 元から女の子だったんじゃないの? 自分の体にこうふんしたりする?」
「いや、ちょ、やめてくださいってば!」
ソラが叫ぶのと同時に、茉莉がカメラの前に出た。
ソラを庇うように間に割って入り、男からガードする。
「ちょっとアンタ、本当に気持ち悪いよ! 嫌がってる人をつけ回して撮影して、何様のつもり!」
男は何も言わず、茉莉の胸へとカメラを向けている。
これには璃玖の堪忍袋の緒も切れた。
「おいお前! いい加減に──」
「ぎゃあああああああッ!!」
璃玖が男の腕を掴もうとした瞬間、今日一番の大声で男は叫んだ。
カメラを激しく揺らし、何故か自分の頬を引っ叩き、暴れまわる中年男。
「いたいッ、やめろッ、この、ぎゃあああッ!!」
男は一人で勝手に痛がりながら、よろめくふりをしてソラの胸へを手を伸ばす。
ソラは咄嗟に相手の腕を弾き、触れられるのを防いだ。
すると男は更に大袈裟に痛がって暴れるのだ。
「二人とも、俺の後ろに」
璃玖はソラと茉莉の前へと移動し、男から二人を守るべく腕を広げた。
が、すぐに相手の真意に気が付く。
「あいつ、まさか……!」
男は首元のピンマイクに向かってはっきりとした口調で叫ぶ。
「きいてください、みなさん! 今、オレはあの男になぐられました! ぼうこうざいです! つうほうしてください! アッ、またッ、やめ!」
カメラを足元に向け、持っていたペットボトルを地面に打ち捨てる中年男。
炭酸飲料が道路へぶちまけられる様を何故かじっくりと撮影する。
「ひどい! アポなし凸とはいえ、なぐるなんて!」
「こっちからは手を出してないだろ、何を言ってる!!」
「うそだ、ふひ、さっきなぐりかかってきたじゃないか! 口の中切れた、ほらみなさん、血が出てきちゃいましたよ!」
「お前が自分でやったんだろ!」
つまりこれは、暴行のでっち上げ。
肝心の瞬間はカメラには映っていないはずだが、激しくブレた映像からは本当に殴られたように見えるのかもしれない。
通報がどうだと叫んでいたことから、彼は生配信の真っ最中に違いない。
(これは、マズいかもしれない)
彼の動画の視聴者が映像をそのまま信じるかは不明。
しかし、迷惑系の配信を嬉々として見ている連中だ。
きっと事実だろうとそうでなかろうと面白がって騒ぎ立てるのは想像に難くない。
現に、男はカメラと連動させているであろう携帯端末を取り出し、その画面を見てニヤニヤと笑っている。
思い通りの反応が返ってきているのを確認したのだろう。
「酷い……なんでこんなことを」
「ああやって炎上を煽って再生数を稼いでいるんだろ。ソラ、お前はダシに使われたんだよ」
「どうすんのよ樫野!」
茉莉からも悲鳴めいた声が上がる。
不安で仕方ない、その気持ちは璃玖にも痛いほどわかる。
だけど、こんな時こそ自分が落ち着かなくては。
璃玖は再度自分の両頬を叩いて気持ちを切り替えると、堂々と胸を張って男に向かって歩き始めた。
「樫野!?」
「センパイ!」
璃玖は男まであと数歩という所にまで接近し、見下ろすように男の顔を睨みつける。
こうして見れば、男は横に大きいだけで身長は璃玖に及ばない。
おそらく百六十を少し超えるソラと同等くらいの背丈でしかなく、極端に低いわけではないが、やや迫力に欠ける印象だった。
男は璃玖に少しばかり怯んだのか、一歩だけ後ずさる。
璃玖はそれに合わせて一歩前進し、冷静な口調で、しかし大きめの声量で言った。
「この男の配信を見ている人がいたら、どうぞ警察を呼んでください。今の警察は馬鹿じゃないんで、俺の拳にこいつの皮膚組織が付いてるかどうかくらい確かめるはずだ。そうすれば、どちらの言うことが真実かなんてすぐにわか──」
話している途中で、いきなり男は璃玖の腕を掴んできた。
奴は体重をかけて璃玖の腕を引っ張ろうとするが、ボルダリングや懸垂で鍛えられている璃玖の腕はびくともしない。
そうと分かると、男は自らの顔の方を璃玖の拳に向かって突き出してきた。
何度も何度も頬を璃玖の腕に擦り付けるその姿は滑稽そのものだ。
「何をしてるんですか?」
璃玖が低いトーンで尋ねると、男は不敵に笑って見せた。
マイクのスイッチに触れる動作をした後、彼は璃玖に向かって小声で言った。
「これでしょうこはかくほしたぜ、ばーーーーか」
したり顔の中年小太りに、璃玖は肩を竦めて溜息を吐いた。
まさかここまで愚かな人間だとは、璃玖も想定の範囲外だったからだ。
「無駄だよ、おっさん」
「は?」
「……だから、無駄だっての。周り、目に入ってないのか?」
「──!?」
男がハッとして周囲を見回す。
するとそこには……。
「な、なんじゃこりゃああ!?」
男が驚くのも無理はない。
いつの間にか、その場所の空気は一変していた。
一里塚の公園をぐるりと取り囲むように、大勢のギャラリーが集まっていたのだ。
若い女性を中心とした野次馬たちは、携帯端末を璃玖たちの方に向けてその様子を撮影していた。
「思いの外早く集まってくれて良かったよ。いやあ、流石はインフルエンサー!」
「……な、な、な、なんでっ、こんなにたくさん」
男はじりじりと後退し、やがて公園の敷地の縁にあったブロックに躓いて尻もちをついた。
瞬間、手からカメラを取りこぼし、彼は慌てて拾い上げようと璃玖に背を向ける。
すかさず璃玖は男の背後から飛び掛かり、彼の腕を背中側に回して取り押さえた。
暴れる男に馬乗りになってこれを押さえつけると、振り向きもせずに璃玖は叫ぶ。
「ソラ! いろはがやってくれてるとは思うけど、念のため警察!」
「もう呼んでる!」
ソラの返答に、ほっと胸をなでおろす。
男は相変わらず璃玖の尻の下でもがき続けていて、何やらを大声で叫び散らかしていた。
「ぼ、ぼうこうだ! げんこうはんだ! お前だってみんなの前でぼう力をはたらいた! ばーーか! はなせ、このヤロウ!」
璃玖は溜息交じりに言った。
「私人逮捕って、知ってるかよ。おっさん」