Scene1-5 ふたりはバグリー
璃玖と茉莉は来た道を引き返し、バスターミナルの端にあったベンチへと腰を下ろした。
「はあ、キツイね。私も心がヤバいかも」
「だろ? 少し、茶でも飲んで落ち着こうか」
璃玖は近くの自販機でペットボトルのお茶を購入すると、ベンチでぐったりしている茉莉に一つを手渡した。
璃玖が多少落ち着いてきた一方で、なんだか今は茉莉の方が具合が悪そうだ。
「……こんなことなら、来ない方が良かったね。二人でソラくんをストーキングしてた罰が当たったのかな」
「ごめん。俺が相談したばかりに、お前にまで余計なモノを背負わせた」
「ううん、いいよ」
茉莉は受け取ったボトルをただ握りしめ、ボトルの凸部に映り込む景色を見つめている。
自分の好きな人が別の誰かと逢瀬を楽しんでいるという事実は、彼女の胸を酷く苦しめているようだ。
「ソラくんと付き合うのが樫野だったら、私も納得できるんだけどな」
「どうして俺は良いんだよ」
「そんなの」
茉莉は璃玖の顔を見つめると、少しだけ間を溜めて、笑顔で言った。
「──秘密に決まってるじゃん、ばーか」
璃玖には一瞬だけ彼女の黒曜石の瞳が光に揺れた気がした。
が、その光はまもなく彼女の眼鏡の反射に隠される。
やや斜めを向いた彼女の視線からは何も読み取れなくなって、目の行き場をなくした璃玖はやがて空の彼方を睨んだ。
つられて、茉莉も空を仰ぎ見る。
「ねえ樫野。さっきの提案ってまだ有効?」
「さっきの提案?」
「そ。うちらで付き合うってやつ」
もしかして冗談ではなかったのか、と璃玖の表情はやや強張った。
しかし、悪くはない提案だというのは本心である。
少なくとも以前からの女友達としては断トツで親しいのは間違いない。
付き合ってから好きになる、そんな恋もあるだろう。
「まあ、ソラがあいつと付き合ってるとしたらだけどな」
茉莉はふふん、と鼻を鳴らして笑うと、流れゆく雲を見つめたままで璃玖にこう告げる。
「もし付き合ったら、その時には死ぬほど聴かせてあげるよ。なんで樫野だけ特別視してるのかをさ」
「……そうか。じゃあ、なるべくそうならないように願っとくよ」
これは璃玖の強がりだ。
別に茉莉と付き合うのが嫌なわけじゃない。
むしろ、こんな自分と付き合っても良いと言ってくれる彼女の言葉は非常に嬉しいものがあった。
しかし一方で、『茉莉との交際を望む』とは口が裂けても言うことはできない。
何故なら、それ即ちソラへの想いを断ち切ることであるからだ。
ソラに恋人ができることを願うのと同義だからだ。
だから、強がり。
ソラのことを諦められない彼の、精一杯だった。
(それに、まだあいつらが付き合っているというのは確定じゃないしな)
心の中で自分に言い聞かせる。
ソラがiROHAとどんなやり取りをし、どういう経緯で会うことになって、どんな会話をしているのかは知らない。
が、今日初めて会うような男に身体を許すなど、ソラに限ってそんなことは無いはずだと願いたかった。
「──何をやってるんですか、センパイたち」
現に、ホテルに入って行ってから二十分も経過していないのに、こうやって璃玖たちの前に姿を現しているのだから、間違いなんて起きているはずが──。
「「!?」」
間近で聞こえた透き通るようなソプラノの声に、璃玖と茉莉は身体をびくんと反応させる。
二人同時に首を左へ回転させれば、そこには焼きつくほどに眩しい栗色の髪と白い肌、灰色の瞳の少女が腕を組んで立っていた。
その後ろに控えるように、金髪に青色メッシュの美青年が苦笑いの表情で立っている。
彼は璃玖に向かって会釈をするが、当の璃玖はそれどころではなかった。
「ソラ!? い、いつの間に」
「その反応、やっぱりぼくを追ってきてたんですね璃玖センパイ、茉莉先輩」
「え、いや、その」
「ソラくん。こ、これには深い理由があってね……」
ソラはしどろもどろになる璃玖と茉莉をジト目で威圧する。
途端、璃玖たちの肩がピクリと跳ねた。
人の尾行などというやましいことをした自覚があるが故に、ソラの放つ感情の圧に過敏になってしまうのだ。
すると今度は一転し、ソラは呆れた様子を覗かせる。
「わかってますよ。どうせレミの差し金というか、うまいこと乗せられたんでしょう? ……あ、それともぉ」
ソラは人差し指を唇に、目を細めて小悪魔スマイルを浮かべた。
「尾行という名目で、二人でクリスマスデートしてたとか? いやー、お熱いですね♡」
「う、なんか怒ってるのか……?」
「怒ってないですよ、センパイ♡」
「本当にお 「怒って無いです♡」
璃玖の言葉に被せるように話すソラは、やはり少し怒っているようだった。
その氷の笑顔に璃玖もいよいよ黙り込んでしまう。
「だいたい、いくらレミに唆されたからって、人が遊びに行くのをつけ回すなんて非常識です!」
「「おっしゃる通りです」」
後輩から正論で叩きのめされる上級生という情けない状況が完成したところで、ソラはようやく肩の力を抜いた。
とはいえ呆れた様子なのは相変わらずだが。
「ていうか……これは想像ですけど、いろはちゃんがどんな存在かなんて聞かされてないんですよね? レミには教えたはずなんですけど」
璃玖は首を横に振った。
「俺は何も聞かされてないよ。レミ先輩からはソラが謎のイケメンとデートをするとしか──いや、待て。イロハ……『ちゃん』?」
ソラの言葉の中に違和感を覚え、もしやという思いで目の前にいる金髪イケメンへと目をやった。
そいつは申し訳なさそうに眉尻を下げつつ、はにかんだ優しい笑顔で璃玖を見る。
そして軽く頭を下げた後、少し関西方面のイントネーションが混じったような話し方で自己紹介を始めた。
標準語と単語は変わらないのに、アクセントが違うイメージ。
「こんにちは、なんかご心配おかけしてすみません。ボクは徳島で活動してる羽生いろはと言います。実はこう見えて、ソラくんと同じ性別変異型の【バグリー】です」
しれっと正体を明かしたイケメンの真実に、茉莉が大きく目を見開く。
「え、っていうことは……iROHAくんはもしかして」
「はい。ネットでは特に明かしてませんでしたが、身体が男になってしまっただけで、ほんまは女なんです」