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Scene1-4 トラウマ再び

 ハンバーガーを食べ終わった璃玖(りく)がぼうっと窓の外を眺めていると、茉莉(まつり)が小さく声を上げた。


「あっ」

「どうかしたのか?」

「思い出したかも。あのイケメンの正体!」


 そう言って彼女は携帯端末を取り出すと何やらを調べ始める。

 ソラのデート相手に見覚えがある、と彼女は先程も言っていた。

 茉莉はしばらくしてからSNSの画面を璃玖に示す。


「あの人、iROHA(イロハ)だよ。色んなSNSで活躍してるインフルエンサーの」

「イロハ?」


 璃玖は茉莉の端末を凝視する。

 そこに映されている男性は、染めている髪の色こそ違うが、確かに先程見た青年とよく似ていた。


 極め付けは、彼のアカウント。

 そこには今まさに撮影したばかりと思われるツーショット写真が上がっていたのだ。

 写真のキャプションには『バグリーのSoraくんとカラオケ 高音域(うらや)ましすぎ』とあり、現在進行形でのカラオケの内容だとわかる。

 既にいいね欄にはKの文字があり、これはつまり千単位で評価を得ているという意味だ。

 それもそのはず、彼は百万に迫るほどのフォロワー数を誇っているトップクラスの有名人だった。


「なるほど、これは本人で間違いなさそうだな。ところで【バグリー】ってなんだ?」


 璃玖が茉莉に尋ねる。

 茉莉はやや肩を(すく)めたようになって、半笑いで璃玖に言う。


「勉強ばかりで世情に(うと)すぎ。性転換とか若返りとか、今起きてる超常で体のどこかがバグっちゃった人のことをそう呼ぶんだよ。ソラくんも配信で使ってるフレーズだと思うんだけど、見てないの?」

「……どんどん人気になってくのを見るのがなんだか辛くて」

「あきれた」


 今度こそ本当に肩を竦めた茉莉は、既に溶け切っているミルクシェイクに口を付けながら、半目で外の景色へと視線を移す。


 ボブカットの髪の毛から覗く茉莉の顔はとても綺麗だった。

 璃玖としてはソラとの恋のライバルはこの横顔美人だけだと思っていたのに、まさかネット上から敵が出現するなんて。


「くそ、【イケメン化現象】とか無いのかな」


 本気で都合の良い超常を望む璃玖だった。


────

──


 ナゲットやコーヒーなどを追加で購入しながら二時間ほどを粘った璃玖と茉莉。いい加減精神が保てなくなりそうなギリギリのタイミングで、いよいよ目印にしていた金髪頭と栗色頭がカラオケ店から出ていくのを視認した。急いでハンバーガー店を出る。

 ソラとiROHA(イロハ)の二人は街のど真ん中にある噴水の近くで何やら踊ってみたり、唐揚げやらクレープやらを食べ歩きしたりと楽しげにデートを進めていた。一見するだけでは、まるで昔からのカップルのように仲睦まじく思える。


「でも……うーん、なんかSNS用の撮影? に見えなくもないような」

「……」


 物陰からソラたちの動向を探る限りでは、彼らに身体的接触はほとんどないように見える。

 打ち解けあってはいるが、距離感は(わきま)えているようだ。


「まあ、レミ先輩情報だと二人が会うのは今日が初めてだってことらしいし、そんなもんかなぁ。ねえ? 樫野(かしの)

「……」

「だめだこりゃ」


 璃玖は明らかに覇気を無くしていた。

 それはソラが知らない男と仲良くしているからだけではない。

 璃玖は気付いたのだ、自らの自惚(うぬぼ)れに。


 自分こそがソラの一番で、二人の間に壁は無く、いつか本当に恋人になれるんじゃないかと淡く期待してしまっていた。

 口では『ソラの気持ちを云々(うんぬん)』なんて言いながら、本心ではもう恋人候補筆頭のような気分だったのだ。


 そうでなくとも一番の親友。

 なんだって打ち明けられる兄弟分。

 ──その認識はソラにとっての璃玖も同じだと考えていた。


 しかし、そうではなかった。

 ソラにはソラの付き合いがあり、秘密があり、恋があるのだ。

 当たり前の事実に今更気付かされる。


 思い返せば、自分だって想い人とラブホテルへ赴いたことをソラに黙っていた過去がある。

 隠しごとの一つや二つ、璃玖には文句を言う権利はない。


「ねえ樫野。二人が移動するみたいだよ」


 茉莉の言葉に頷いて、璃玖は腰を上げた。



 ソラとiROHA(イロハ)は二人揃ってバスターミナルの方へと歩いていく。

 その先にあるのは市バスの乗り場と地下鉄への入り口。


 もしも彼らがバス移動するとなれば、璃玖たちの尾行もここで終わりだ。

 流石(さすが)に同じバスに乗り込むわけにもいくまい。

 その場合は素直に退くことにしよう。

 あまり度がすぎると、それはただのストーカーだ。


(ま、現時点でかなりヤバいことしてるけどな)


 璃玖は心の中で自嘲(じちょう)した。

 すると隣の茉莉が言う。


「樫野、あの二人、目的地はバス乗り場じゃないっぽいね」


 ソラたちはターミナルをスルーして、その先の通りを右に曲がっていった。

 どうやらバスターミナルをショートカットに利用しただけらしい。

 璃玖はこの辺りに詳しい訳ではないが、見たところ、ソラの向かった先は繁華街からは少し外れているようだった。


 璃玖たちは小走りで後を追う。

 ソラたちの消えた、曲がり角へ。


「──ッ!?」


 角を曲がった瞬間、璃玖の視界に飛び込んできたのは。


「ソラ……」

「ソラくん……嘘、本当に?」



 iROHA(イロハ)と共にホテルの中に入っていくソラの姿だった。



 その瞬間、璃玖の脳裏にある日の光景がフラッシュバックする。


 どこかの知らない男性と、ラブホテルの中へと姿を消した想い人。

 あの日と同じ胃を突き上げるような不快感が、食道から脳天までを貫いてくる。

 ぐるぐると回る視界に、璃玖は膝を折った。


 記憶が混ざる。

 (いや)なモノを幻視する。

 かつての想い人と今の想い人が、頭の中で同じ表情をした。


 ホテルのベッドの上に腰を下ろし、バスローブを解き放ち、しっとりと汗ばんだ白き柔肌(やわはだ)を晒す。

 しかし────それに触れて彼女を(よろこ)ばせているのは、自分ではない。

 どこの誰かもわからないような男が、欲望を突き立てて彼女の中身をぐちゃぐちゃにかき混ぜているのだ。


「う……ッ」


 目の前が真っ暗になる感覚と戦いながら、璃玖は口を手で(おお)った。


「落ち着こう樫野。ここはラブホテルじゃなくて、ただのビジネスホテルだよ。まだソラくんたちがそういうことをするとは限らない」

「……ああ。わかってる」


 そうは言っても璃玖の気分はすこぶる悪かった。

 かつてソラが(そば)にいてくれたことで乗り越えたはずのトラウマが、今度はソラによって(よみがえ)らされたのだから。

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