Scene1-2 ノーアプローチ
ネット晒し事件から始まった激動の二学期だが、いざ過ぎ去ってしまえばあっという間であった。
文化祭、中間テスト、期末テスト、大学入試に関するあれこれ……。
気が付けば、世はクリスマスイブを翌日に控えた浮かれムードの真っ只中である。
「……で、クリスマスシーズンだってのに推薦組のお前は何でまだ勉強してんのかねー」
「ん? 何が」
「遊ぶだろ、ふつーは!」
璃玖と共にコタツに入っていた来舞は数学のノートをテーブルに放り出して叫んだ。
対する璃玖はしれっとした顔で入試の過去問に取り組んでいる。
「あのな、推薦入試だって共通テストの結果がいるんだよ。それに入学までに地学を独学で進めたいし。あとお前、それ底の変換ミスってる」
「はー。璃玖は真面目だねー。成績的には余裕のはずだろー? あとご指摘どーも」
頬杖をつきながら来舞は言う。
すると時を同じくしてお盆を手にした茉莉が居間に戻ってきた。
「どうせソラくんの件で悩んでるのを勉強にぶつけてんでしょ。……はい二人とも、お茶とコーヒーね」
「ん、ありがとう茉莉」
璃玖は茉莉から受け取ったコーヒーを小さく啜ると、再び過去問に向かう。
一心不乱に問題を解き続ける璃玖の姿を生温かな目で見つめつつ、茉莉もコタツに脚を潜らせた。
彼女は自分のホットミルクを口にしながら、璃玖の真剣な眼差しをぼぅっと眺めている。
「ねえ樫野」
「ん?」
「いつになったらソラくんと付き合うの?」
璃玖の手がピタリと止まる。
「それ、本気で聞いてるのか」
「うん。純粋に気になるし。ねえ、ぶっちゃけ来舞も気になるでしょ?」
「おうともさ! 俺も『早く付き合わねーかなー』ってずっと思ってるしなー」
「マジかよ」
璃玖はシャープペンシルを問題集の間に挟んで本を閉じ、背伸びをした後、長い長い溜息を吐いた。
コーヒーを二口ほど飲んだ彼は、同級生姉弟に向かって問いかける。
「……ちょっと、相談していい?」
「「よしきた」」
こうして璃玖の恋愛相談会が幕を開けた。
「なんかさ、最近ソラに避けられてる気がするんだよな。嫌われてるわけじゃないと思うんだけど、妙に別行動をとりたがるというか」
「今までがベッタリすぎただけじゃね?」
「それな」
「うーん」
腕組みをしながら唸る璃玖。
今までの距離感が異常だったというのは正直自覚があるものの、だからといって近頃のソラの独立志向には納得できない部分が多いのだ。
例えば服が買いたいとソラが言い出した時。
璃玖が買い物に付き合おうかと提案したのをソラは突っぱね、結局レミと一緒に買い物に行ってしまった。
例えば大阪のテーマパークへ遊びに行きたいと言い出した時。
ソラは璃玖の誘いを断り、クラスの女の子たちと一泊二日で旅行したようだ。
文化祭を一緒に回ろうと声をかけた時なんて、ソラはあろうことか茉莉と一緒にいることを選んだ。
自分に好意を寄せていると知っている相手を、だ。
そう、目の前の茉莉という女は……。
「ちょ、何っ! 樫野がめっちゃ睨んでくるんだけど」
「お前が『ライバル』だって再認識したとこだ」
「なんの話!」
璃玖と茉莉が無駄にいがみ合い始めたところで、来舞は一つ咳払いをする。
それで二人が我に帰ると、来舞は確信に迫ってきた。
「あのさー璃玖。この際だからハッキリ聞いときたいんだけど、お前ソラくんのこと好きなんだよなー? 人間としてじゃなくて、女の子として」
それは、皆が薄々感じていたものの触れるのを避けていた璃玖の本心。
かつては璃玖本人ですらはっきり自覚することから逃げていた節があるほどの秘めたる想い。
しかし今の璃玖はケロリと言ってのける。
「俺はソラのことを恋愛対象として好きだと思ってる」
しかし、璃玖はこうも付け加えた。
「けど、付き合いたいかどうかは別だよ。……問題は、ソラの中にあるから」
「ソラくんが男性を好きになるのか、だよね」
璃玖は頷く。
ソラの性嗜好はおそらく女性が対象のままだ。
身体が女の子になったからと言って、恋愛対象まで男になるとは考えにくい。
「もしもソラくんが璃玖と付き合いたいって言ったら万事オーケーってことだろ?」
「まあ、そうなるな」
「じゃー何もしないのは違うって! 少しでも振り向いてもらう努力をしなきゃ。ソラくん、動画でも言ってたじゃん? 璃玖のこと、『男性で付き合う可能性がある唯一の人』だってさー」
性転換に過剰に反応する者たちへの宣戦布告動画。
映像の中で、ソラは確かに璃玖のことをそう評価していた。
当時の璃玖はソラが自分のことをそれなりに想っていてくれることに嬉しさを感じていたが、今となってみれば、その瞬間からソラの中で『璃玖に本気で向き合う』意識が芽生えたのかもしれない。
その結果『璃玖と距離を置く』という結論に至った可能性もあるのだ。
璃玖は改めて言う。
「俺はソラの意志を尊重したい。俺のわがままであいつの気持ちを捻じ曲げるような真似はしたくないんだ」
「だからって、ノーアプローチはまずいでしょ。だって、その間にソラくんは……」
茉莉は自身の携帯端末を取り出し、璃玖に向かって突き付けた。
「チャンネル開設して一か月ちょっとなのに、既に登録者が一万人に迫ってるんだよ? あっという間に手の届かない人になっちゃうかもしれないんだよ?」
ソラの顔出し配信をきっかけに、ファンを名乗る人物がちらほらとネット界隈に現れたのが九月末頃。
ルックスの良さや性転換現象の被害者という立場、何より勇気をもって悪意に立ち向かった姿勢が多くの人に評価された結果だった。
ファンたちに背中を押されて、ソラが動画共有サイトに公式チャンネルを作ったのが先月の中頃の話。
今ではメイク配信などで目に見えて人が集まるようになっていた。
璃玖は言う。
「お前だって人のこと言えるのかよ。ソラのこと、好きなんだろ?」
「は?」
「うかうかしてると誰かにソラを取られる状況は変わらないぞって話だ」
瞬間、茉莉がテーブルを叩きつけるように立ち上がる。
彼女は飲み物がこぼれそうになるのも厭わず、璃玖の胸ぐらに掴みかからんとする勢いで身を乗り出した。
「ああ、好きだよ。私はソラくんが好きだ。だからこそ、あの子には幸せになって欲しいんじゃんか。私はお前にだったらそれが出来ると思ってるんだ」
氷のように張り詰めた表情で睨み合う璃玖と茉莉。
恋のライバル同士の心の探り合い。
「まー、その辺にしとけって姉ちゃん」
やれやれと肩を竦めて、来舞。
「ごめん。でもさ、樫野が足踏みしてるの見てるとどうもやきもきするっていうか」
茉莉はズボンの裾を払い、ティッシュで少しだけ零れてしまったミルクを拭き取ってから、大人しく座り直す。
対する璃玖は表情を変えず、真っすぐに前だけを見て告げた。
「……俺だって全くアプローチをしてなかったわけじゃないんだ」
「ふぅん、例えば?」
璃玖は若干照れながら、頬を掻く。
「『イブにデートしないか』って誘った」
「おお!?」
クリスマスイブは、翌日。
もう目前の話だった。
「じゃあ明日は気合入れなきゃな!」
「い、いやそれが」
来舞が嬉しそうに笑うのとは対照的に、璃玖の目はにわかに泳ぎ始める。
それを横で見ていた茉莉は異変に気が付いた。
「おい樫野。まさか今更になって怖気づいたとかじゃないよね」
璃玖は首を横に振る。
「デートプランを考えてないとか?」
またしても、璃玖は首の動きで否定した。
それどころか、テーブルの上に突っ伏して、頭を抱えてしまう。
坂東姉弟は顔を見合わせた。
「おーい璃玖。何があった」
来舞が恐る恐る尋ねると、璃玖は伏せった状態のまま涙声で言った。
「……断られたんだよ。明日は、別の男とデートするんだって」
「「 く わ し く」」