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Scene1-1 魔女とオカルト

「ふあぁ、つっかれたあ」

「あら璃玖(りく)、ちょうど晩御飯出来たよ」


 勉強のひと段落した璃玖がお茶でも飲もうかと一階の居間に降りて行ったところ、タイミングよく母親に夕飯の時間だと告げられる。


「あれ、二人分? 父さんは?」

「今日は夜勤だって言ってたじゃない」

「ふぅん」


 軽く配膳の手伝いをした彼は、椅子に腰掛け、おもむろにモニターの電源を入れた。

 特に見たいものが無かったので、適当なニュースでも流そうかとリモコン操作で配信サイト内のページを(いじ)る。

 すると、璃玖の興味を()くサムネイルがにわかに目に飛び込んできた。


「『世間を騒がせる超常現象について徹底討論』、ね」


 璃玖の身近で起きた超常現象といえば、年下の親友ソラの性転換を置いて他には無い。

 が、世間では性別だけでなく身長や血液型、知能指数や運動能力までもが一夜のうちに変化したという事例も多くなっているらしい。

 果ては人体発火だの、空間転移だのとオカルトチックな現象の噂も聞くほどだ。


 どれどれ、と璃玖は動画を再生し始める。

 話題の中心は、【性転換現象】と【血液型変異現象】だった。

 ジェンダー問題との絡みや、輸血用血液にまで影響が及ぶ点が社会的な課題となっているかららしい。


「あら、あんたそんなの見てるの」


 母親が煮魚とおひたしをテーブルに並べながら尋ねた。

 璃玖は立ち上がって急須(きゅうす)の茶を二人分の湯呑(ゆの)みに注ぐ。

 そうして再び椅子に座り直し、自分の湯呑みを手前に引き寄せた。


「身近に超常の被害者がいるからな」

「ソラくんも最近は知名度が上がって来てるしねぇ」

「みたいだな」


 璃玖は音を立てて茶を(すす)る。


「なにをそんな他人事(ひとごと)みたいに。将来のお嫁さんでしょお?」

「ブッ!! げほッ、ケホっ! 急に何を言い出すんだよ!」


 盛大に()せる璃玖。

 そんな彼にティッシュを数枚差し出しながら母は言う。


橋戸(はしど)さんとも最近話してるんだけどねぇ、なんかあったらうちのソラを嫁に貰ってくれって言ってたよ?」

「また親同士で勝手に……」


 テーブルと口元を拭きつつ、璃玖は盛大な溜息を洩らした。


「念のため聞くけど、冗談だよな?」

「ん? お母さん割と本気だけど」

「まじすか」


 絶句する璃玖。

 確かに、ソラとは一生の付き合いでいたいと璃玖も考えている。

 しかし『お嫁さん』とはまた話が大きくなりすぎである。


「璃玖は結婚式は和洋どっちが良いの?」

「知らないよ。考えたこともない」

「じゃあ聞き方変えるわ。ソラくんのウエディングドレスと白無垢(しろむく)、どっちが見たい?」

「……」


 璃玖は母親の質問を無視した。

 どうあっても二人を結び付けたいという魂胆(こんたん)が見え見えだからだ。



 ──そんなの、どっちも見たいに決まっているじゃないか。



 璃玖は内心を悟られないようにポーカーフェイスを決め込みながら、無言で手を合わせ、白米を()き込むのだった。



────

──


『いやぁ、わしはこの耳で聞いたんですよ! 人間には見えない因果(いんが)の糸みたいなんがあって、それが掛け違うか何かで別の因果に置き換わってしまうと、それが超常になるんですって!』


『でもそれって、何でしたっけ? あなたの見た夢の話でしょう?』


『夢じゃないです! 魔女が、黒の魔女がそう言うてたんです!』


『落ち着きましょう、一旦、落ち着いて。一度VTRの方をですね……』


────

──


 璃玖はがっくりと肩を落としながら、動画の再生を止めた。

 適当なニュース番組に切り替え、彼は食後の茶に口を付ける。


 結局科学的には何も真に迫れない、そんな番組ばかりで嫌気がさす。

 自分たちに降りかかった災難は、オカルトではなく、現実の問題だというのに。

 超常現象をネタに再生数や視聴率を稼ぎたいだけのクソ番組。


 しかしどこか耳の中に残っていたフレーズを、璃玖は呟いた。


「魔女、ねえ」


 馬鹿なことを考えるな、と自分に言い聞かせ、璃玖は両頬を手で叩く。

 気持ちを切り替えねば。

 彼はゆっくりと腰を上げ、テーブルの上を手早く片付けると、自分の食器をキッチンに持っていき、流しにあった母親の食器と共に洗い始めた。


 そこに母親がトイレから戻ってきて、残念そうに言う。


「あら、チャンネル変えちゃったの」

「だんだん非科学的な方向に行ってたから」

「そうなの。あ、洗い物なら私がやっとくから璃玖は勉強してきたら?」


 璃玖は首を横に振る。

 先程の荒唐無稽(こうとうむけい)な話にイラついていて、勉強をするという気分ではなかったからだ。

 皿洗いでもして嫌な気分を(まぎ)らせたかった。


「でも、そっかぁ。璃玖にも家事を教え込まないと、ダメかもね」


 腕を組んだ母親は独り言を口にした。

 流水の音で何も聞き取れなかった璃玖が振り向いて聞き返すと、彼女は言う。


「いやね、考えてみればうちの璃玖だって急に女の子になっちゃうかもしれないんだなぁって」

「……嫌な想像はやめてくれ。大体こんなに近い所で数十万人に一人の超常現象が立て続けに起こるなんて、どういう確率だよ」


 璃玖は再び水を流し、洗い物の続きを始める。

 作業に没頭(ぼっとう)することで雑念ごと水に流すのだ。

 が、雑念は次から次に湧いてくるもので。


(ソラが男の子に戻る方が、よほど確率が高いっつーの)


 璃玖は内心で毒を吐いた。

 本当は、一度性転換した人間が元に戻る事例など一度も報告されていない。

 それでも璃玖は、来るべき日がそのうちやって来るのではないかと……──密かに、恐れていた。

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