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Scene2-10 アリバイの証明

 昼休み以降、ソラのクラスはずっと張り詰めた空気の中にあった。

 誰かがうっかり刺激しようものなら途端(とたん)に弾け跳んでしまいそうなくらいの危うい雰囲気。

 特に女子の蓮華(れんげ)グループと、男子の加藤グループは険悪なムードだった。


 ソラにはどうする事もできないまま、放課後を迎える。

 部活動がある生徒が続々と教室を離れていく中、ソラもまた璃玖(りく)たちの元に合流しようと小走り気味に部屋を出た。

 自分が原因でクラスに揉め事が発生してしまいそうなことを、早く相談したかったのだろう。


「あ……璃玖、センパイ……」

「ソラ」


 渡り廊下と階段とが交わるあたりで璃玖とソラは鉢合わせた。

 パッと表情を明るくするソラに対し、璃玖の表情はやや強張(こわば)っている。


「どうしてここに。メッセージ、見て無いのか?」

「すみませんセンパイ。気が滅入(めい)っちゃってて、端末を見る余裕がなかったというか」


 ソラが端末を確認しようと鞄を探り始めると、璃玖は首を横に振って言った。


「良いんだ。教室で待ってて欲しかったってだけだからさ。実は昼休みにわかったんだよ、例の写真を投稿した奴の正体が」

「え……わかったんですか、犯人が?」


 目を丸くするソラ。自分の預かり知らぬところで事態が動いていたことに驚いたのだ。


「ああ。だから、今から問い詰めに行くんだ。一緒に来てくれるか」


 そう話す璃玖の目はかつてないほどに真剣そのものである。

 しかしその表情の裏側には怒りは見えない。

 彼の顔に浮かぶのは、悲しみと戸惑(とまど)いであった。


「お前にはすごく言いづらいんだけど、実は……」


 そうして璃玖が犯人について話そうとした、次の瞬間だった。




 ──いい加減にしろよお前!!

 ──キャアアアア!!


 廊下中に響き渡るような絶叫、怒号(どごう)

 一人の男子が叫ぶと同時に、複数人の女子生徒たちが大騒ぎを始めたようだった。


 その声を聴くや否や、ソラは総毛立(そうけだ)つ。

 声の主に心当たりしかなかったからだ。


「くそっ……遅かったか!」


 言いながら、璃玖は既に駆け出していた。

 ソラは事態を把握できず、ワンテンポ遅れて璃玖を追う。


「ま、まって!」


 二人は廊下を走り、三つ目の扉に飛び込む。

 その場所──一年B組の教室内は、物々しい雰囲気となっていた。


 頬を押さえ、床にへたり込む蓮華(れんげ)愛兎(あと)と、彼女を(かば)うようにして周りを取り囲む女子たち。

 彼女らと(にら)み合うソラの友人、加藤数多(あまた)

 蓮華の席の周りの机の配列が乱れていることから、乱暴沙汰(ざた)が起きたのだと想像できる。


「女の子に手をあげるなんてサイテー! 何考えてんの!?」

「お前らこそなんだよ、そいつが何したかわかってて言ってんのかよ!」


 蓮華の取り巻き女子と、加藤が言い争っている。

 その騒ぎに、他所(よそ)のクラスの連中も野次馬的に集まってきた。


(まずいな……こんな状態では話ができないぞ)


 璃玖は悪い状況へと事態が転がっていくのをひしひしと感じていた。

 何かしなければ。

 今動かないと、自分たちの炎上が落ち着いたとしても後味の悪い結果にしかならない。


「黙ってないでなんとか言えよ、愛兎!」


 加藤が蓮華に向かって一歩踏み出した、その時。


「やめろ!」


 何も考えずとも体が動いた。

 璃玖は蓮華を庇うようにして加藤の前に立ち塞がり、腕を突き出して彼の動きを制す。

 同時に蓮華の取り巻き連中にもひと睨みを加えて行動を取らせないように威圧した。


「お前ら、いっかい落ち着こう。ネットの件でただでさえ先生たちがピリピリしてるんだし」

「でも、先輩!」

「……事情はなんとなくわかってるよ。だからと言って女の子に力で訴えるのは良くない」


 璃玖がそう言うと、加藤は大人しくなって下を向いた。

 続いて璃玖はその場にいた全員に大きな声で呼び掛ける。


「えーっと、これカップルの痴話喧嘩(ちわげんか)だからさ! 事情がわかんないやつはとりあえず解散!」


 その呼び掛けに何人かの生徒(野次馬)が顔を見合わせて、一人、また一人と教室を出ていった。

 璃玖が再度『喧嘩の原因まで本当に理解している者以外は全員出ていくように』と言うと、ようやく教室内は数人だけになる。


 出ていかなかった者の中には、蓮華の取り巻きの一部も含まれていた。

 璃玖は知らなかったが、彼女たちは月曜日に蓮華と共にデネィズでデザートを食べていたと主張する者達である。


 璃玖はここに残っている者達こそが事件の当事者だと確信し、目線を教室の出入り口に向ける。

 そこには坂東(ばんどう)姉弟が立っていて、璃玖の目配せに小さく頷いた。

 彼らは教室内へは踏み込まず、廊下側から扉を閉めた。

 これ以上部外者が入ってこないよう、見張りに回ってくれているのだ。


「一体何が起こってるの。ねえ加藤。璃玖センパイ!」


 困惑するソラに、加藤が吐き捨てるように言った。




「お前をハメてたの、多分愛兎だぞ」

「──は?」

「例の写真を投稿して炎上を煽ったのは、あいつなんだ」



 ソラが蓮華の方へ振り向くと、彼女はちょうど机を支えに身体を起こしているところだった。

 その表情は憔悴(しょうすい)しきっていて、赤く腫れた(まぶた)の奥からぽろぽろと涙を流し続け、(うつ)ろな目で加藤を見つめていた。

 過呼吸でも起こすんじゃないかと思える程に息が荒い。

 蓮華は頬をヒクつかせながら、必死に訴える。


「酷いよ数多。ウチには、アリバイだってちゃんとあるのに。……夕方には友達とデザート食べてたし、それに、おしゃべりをした後はまっすぐ家に帰ったの。六時くらいには家にいたんだよ? それだって、ウチの弟が証明してくれるんだから!」


 蓮華は徐々にヒートアップしてきたようで、(そで)で涙を(ぬぐ)うと顔を真っ赤にしながら大きな声で叫んだ。


「なによ、そんな目でウチを見んな!! どうせ三年のなんとかって人が犯人でしょ!? なんでウチを疑うの!」


 全力の訴え。

 普段の彼女からは考えられないほどに怒りや悲しみ、そして狂気に満ちた表情だ。


 そんな蓮華の姿にあてられたのか、取り巻きの女子たちも涙を流し始める。

 何人かは完全にしゃがみこんでしまい、震えながら嗚咽(おえつ)を続けている。


「友達も泣いちゃったじゃん! どうして私を犯人呼ばわりするん!? なんで悪者にするん!? ウチら……数多は、私のカレシでしょ!?」


 加藤は辛そうに目を(つむ)り、顔を(そむ)ける。


 ──否、加藤だけではない。

 この場にいたほとんどの者が、気まずそうに顔を伏せている。

 泣いている女子生徒達も、涙の理由の大半は蓮華の発言にあった。


 彼らは気付いてしまったのだ、蓮華愛兎が嘘を言っていることに。

 そして発言が嘘であることを、彼女自らが暴いてしまったことに。


 璃玖は、ここで静かに口を開いた。


「蓮華さん、弟さんが、君のアリバイを証明してくれるんだって?」

「そ、そうだよ! 私、嘘なんて()いて──」

「──じゃあ、やっぱり君が犯人だよ。でなきゃ、このタイミングでそんな発言はできないはずだ」


 璃玖は蓮華の取り巻きたちの方へと目を向けた。

 (すく)み上がる彼女たちを、無言の視線で威圧する。

 璃玖の見立てでは、彼女らもまた蓮華に加担している者たちだからだ。


「どうして……」


 唇を震わせながら呟く蓮華に、璃玖はゆっくりと語り始めた。


「夕方にデネィズにいた人間が、六時に自宅に帰ることは出来ないからだよ。蓮華さんの家って銀河山の最寄(もよ)りなんだってね」

「だから、何なん。ウチは普段からあの路線使ってるし、学校から家まで一時間もかからないんだよ!?」


 なおも大声を上げ続ける蓮華。


 するとここでソラが前に出た。

 ソラもまた、真相を理解したらしい。

 中腰で膝を震わせている蓮華に近づき、彼女を見下ろしながらソラは言う。


「いいや、蓮華さん。無理なんだよ。……ぼくにも覚えがある。あの日、あの路線で何があったのか。──()()()()だよ。夕方近くまで学校付近にいたのなら、確実に巻き込まれて、夜遅くまで帰れなかったはずなんだ。……ねえ、嘘だよね、蓮華さん……本当はどこにいたの? どうして嘘を吐くの!」

「じんしん、じこ……? いや、だって……」


 教室内の全員が、顔面蒼白となった蓮華を見つめていた。

 蓮華は自分の味方を探して辺りを見回すが、最早(もはや)、誰も救いの手を差し伸べてはくれないのだった。

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