Scene2-9 後輩たちの情報力
昼休み、璃玖は古びたプレハブ作りのアウトドア部室にいた。
顧問の先生に許可をとって昼休憩時間にも部室棟の使用ができるようにしてもらったのだ。
璃玖の外には茉莉だけ。
ソラもこっちに来るという予定であったが、どうもクラスの女子から昼食に誘われたらしい。
二人は部室内に一つだけある書道机に横並びに座り、総菜パンを齧りながら各々が携帯端末を弄っていた。
璃玖は言う。
「そういや、鍵借りる時に先生からビラの文言は考え直せって言われたよ。『犯人を吊し上げるんじゃなくて、悪質な行為を諌めるよう呼びかける内容にしてみたらどうか』ってさ」
「あー、先生の立場だとそう言うしかないよね。学校側からも何か言われてるだろうし」
「学校組織の事なかれ主義ってやつだな」
学校に限らず組織というのは内部の揉め事や裁判沙汰を非常に嫌う。
単に対外的な印象が悪いというのもあるが、いざ法的な問題となれば煩雑な手続きと費用が必要となるから避けたいというのが本音だろう。
「あまり大きく騒ぎ立てると推薦入試の選考に影響があるかもしれないしね」
六鹿高校では指定校、公募問わず校内で一定の水準を満たす者にしか推薦を出さないことになっている。
高二の夏休み明けから推薦枠の選考は始まっていて、定期テストの点数や評定平均、そしてもちろん普段の素行や大会での実績も加味される。
璃玖は現在、極めて模範的な生徒とみなされているはずなのだが、しかしここ数日間で教師たちの璃玖を見る目が変わってきたのは事実だった。
「その時は普通に入試を受けるさ。どのみち勉強はしてるんだし」
「……なんか樫野のは根拠ある自信だからムカつくわ」
「そんな勝手にムカつかれても──ん?」
溜息をつく茉莉をスルーして、璃玖は今来たばかりの端末のメッセージを読み上げる。
「来舞から返事。『その日サッカー部で練習をサボった奴はいなかった』だそうだ」
「じゃあ、一、二年生のサッカー部員は全員シロってことね」
彼らは今、月曜日の夕方にワオンモールへ行っていた可能性のある人物を探っている。
絞り込んでいった中に璃玖やソラに個人的な恨みがある者がいれば、そいつが極めて犯人に近い人物ということになる。
「あと二年の水主くんからも連絡が来たんだが、バレー部やバスケ部も欠席者がいなかったって。友達に聞いて確認が取れたらしい。それから……なんだって!?」
璃玖が急に大声を上げるので、茉莉の肩がびくんと震えた。
「なになに、どうしたの」
「──それが、一学期の時の噂の出所がわかったかもしれないんだ。どうも水主くんがソラに告白したのを近くで隠れてたカップルが見てたんだってさ」
「ああ、体育館裏でいちゃついてる奴たまにいるよね。でもさ、それじゃあ今回の件と前回の話は別だったってこと?」
璃玖は首を横に振った。
否定したのではなく、わからないというジェスチャーだ。
「『水主くんが告白してフラれた』……たったこれだけのシンプルな噂に悪意を持って尾鰭をつけたやつがいる。その可能性はまだ否定できないよ」
フったフラれただけではソラが明確な悪として扱われるわけがない。
噂話のどこかしらで伝言が捻じ曲がってしまったのは間違いない。
そして歪みの元となった人物がネット晒し事件にも関わっているとすれば、そいつは璃玖にとっては絶対的な敵である。
「……顔が怖いよ、樫野」
「そりゃそうだよ、怒ってるからな」
心の奥底から湧き上がる怒りの感情によって、璃玖の眉間には峡谷のように深い皺が刻まれていた。
敵に対する怒り、そして大切な存在を守り切ってやれない自分に対する怒りだ。
「そんな樫野に朗報」
「なに?」
「たった今、連絡が来た」
茉莉は端末を操作しとある人物に電話を掛ける。
スピーカー通話に切り替えて相手の受話を待った。
十コールもしないうちに聞こえてきたのは威勢の良い女の子の声。
通話相手はアウトドア部の次期部長である後輩女子だった。
『茉莉ちゃん、やほーっ。さっきメッセージで送ったとおり、いたよっ、あたしの友達に月曜ワオン行ってた子っ!』
「何年何組のどいつだ?」
璃玖が低いトーンで問い掛ける。
いかにも怒ってます、という調子の声だ。
『え、これスピーカー通話っすかっ! 璃玖先輩違いますよ、友達っていっても他校の子ですっ。なので九十九パーセントくらいで犯人じゃありませんっ!』
「なんだ、そうだったのか」
璃玖は落胆した。
茉莉が朗報なんて言うものだから、てっきり敵の正体、悪意の元凶が掴めたのかと期待してしまった。
実際にはワオンモールに知り合いの知り合いがいたというだけの話だ。
そこから事実を手繰るにはあまりにも脆弱で細い糸……。
『なんだとはなんですか先輩っ! っていうか茉莉ちゃん、さっきのメッセージ璃玖先輩に伝えてないのっ?』
璃玖の隣で、不敵に笑う気配がした。
「だってさ、生の声を直接伝えてあげたほうが樫野も喜ぶと思って」
「なんだよ、生の声って」
璃玖が横目で茉莉の表情を伺うと、彼女は口角をつり上げたまま通話中の端末にむかって指差した。
黙って話を聞けということらしい。
『正確にはあたしの友達の代弁っすけどね! 璃玖先輩、友達が言ってたんです、ワオンモールで六鹿高校の制服を着た人を何人か見たってっ』
「でもそれを見たのが他校の子じゃ、六鹿高校の誰なのかは分かんないだろ?」
今度は電話の向こう側で自慢げに鼻を鳴らす音が漏れ聞こえてきた。
この自信はどこから生まれてくるのかと首を傾げたくなる璃玖であったが、その疑問は後輩女子の一言ですぐに氷解し、逆に得心のいく物へと変わる。
『それが一人だけわかったんですよっ。なんたってその人、あたし達と同じ中学の先輩だったんですからっ』
「先輩、ってことは三年か」
現在通話中の後輩は、璃玖の一つ下の二年生。
その彼女が先輩と言うからには学年は一つに絞られる。
『ただ、すいません。あたしはその人と面識が薄くて名前がちょっと思い出せないっす。……なんだっけ、たかぎ、たかみ……たかなんとかだった気がするっ』
璃玖はハッとした。
彼の脳内に、『たか』から始まる名前の重要参考人の顔が鮮明に浮かび上がったからだ。
その人物が璃玖やソラに攻撃を加える理由は思い当たらないが、確かに『月曜に何をしていたのか』を尋ねた時の反応はおかしかった。
反応のおかしさの理由が、ワオンにいた事実を追及されたくないからだとしたら。
バラバラだった線が一本に繋がる気がする。
「なあ、その先輩って男? 女?」
『女の人ですねっ。顔見たらあたしでもわかるんですけど』
「もしかして、タカラか? 高良翠」
瞬間、スピーカー越しにも後輩が息を呑むのがわかった。
『それだ、高良翠先輩だっ! よくわかりましたねっ!』
高良翠。
璃玖のクラスメイトであり、今回の件の発端となった入間美都の恋人である。
その彼女が、写真の撮られた当日に現場にいたとなれば。
「……茉莉。俺、教室に戻らなきゃ」
璃玖は総菜パンの残りを無理やり口の中に押し込むと、パイプ椅子から勢いよく立ち上がった。
勢い余ってそのまま飛び出していきそうになる彼を、茉莉は不安げに見つめている。
「ちょっと、何するつもり?」
「高良に話をしに行く」
茉莉はチラリと部室の壁掛け時計を確認すると、小さく頷いてから徐に椅子から立ち上がった。
「私も行くよ。あんた一人だけだとなんだか暴走しそうだし」
「暴走って──」
茉莉は通話先の後輩にお礼を言ってから電話を切る。
端末を片付け、璃玖に続くように部室の扉の方へ歩いてきた。
「あんたはさ、ソラくんもだけど、本当に皆に好かれてると思うよ。でなきゃネットの誹謗中傷に一緒に腹を立てて、調べてくれたりしないはずだもん。そんな後輩たちが頑張って集めてくれた情報なんだから無駄にしたくないよね。……大切にしよう、またとないチャンスなんだから」
「ああ、そう、だな」
璃玖は頷いた。
時刻は午後一時になろうとしている。昼休みが終わるまで残りニ十分強。
それまでに高良翠を捕まえて話を聞かなければ。
璃玖たちは早足で部室を後にした。