Scene2-5 カナシミセックス
「お前は、それでいいのか」
璃玖の問いかけにソラは頷いた。
ソラの揺れる瞳から、璃玖は言外のメッセージを受け取る。『このまま男で居続けるのは、もう疲れました』と。
「……わかったよ。だけど俺も初めてだから、その、うまくできなかったらごめん」
そう言いながら璃玖は立ち上がった。
しかし一歩ソラに向けて歩みだしたところで、床に落ちていた携帯端末を指で蹴飛ばしてしまう。それは先程、ソラが感情の昂りから落としてしまったものだった。
「痛っ」
璃玖は咄嗟にしゃがんでつま先を押さえた。
「あはは、なんか、しまらないですね」
ソラが困り顔で顎の下を掻く。しまらないと言いつつもソラの覚悟は既に決まっているらしく、璃玖の横を通ってベッドへと腰掛け、両手を彼に向かって差し出した。彼を行為に誘うために。
「ほら、センパイ。来てください」
「あ、ああ」
璃玖はソラの腕の中に身を沈める。背中に回された白く細い腕に抱き留められた彼は、左腕でソラを支え、ゆっくりとその身体を横たえさせた。
ベッドの上のソラと、覆いかぶさっている璃玖。二人は額を突き合わせるような距離で互いを見つめ合った。吐息と吐息がぶつかり合い、二人の熱量が重なり合うにつれて、少しずつ、顔が近づいていく。
やがてソラの瞼が閉じられ、璃玖はそっと口付けた。唇の表面にそっと触れるような、少しだけ迷いの混じったキス。
ソラは薄く目を開いて、灰色の瞳を光に揺らしながら微笑んだ。
──もっと。
唇の動きだけでサインを送ったソラに、璃玖は頭の中の何かが弾け飛ぶのを感じた。彼もまた小さく微笑んで、今度こそ目の前の柔らかな唇に自らの口を押し付ける。
息継ぎのタイミングなんて全然分からなかった。
無我夢中で舌を絡め合った二人は、互いの口内を味わうように何度も何度もキスをした。
「ん……ッ、ちゅく……ハッ……へんはい」
ソラは璃玖の上半身に手を掛け、シャツのボタンを外しにかかる。が、ソラの体勢だとこれ以上璃玖を脱がせるのは難しかった。
「センパイ」
ソラの声かけに璃玖は身体を起こし、身に付けていた何もかもを脱ぎ捨てる。ソラもまた、自分のショーツをゆっくりと下におろした。
これで二人を遮るものは何も無い。二人は再び抱き合うと、愛しげに唇を重ね合わせた。
「ふふ。センパイの、ちゃんとぼくを女の子として反応してくれてる」
「そりゃあ、まあ、お前は可愛いし」
栗色の髪を撫でながら、璃玖は恥ずかしげもなく正直な気持ちを告げる。
「ふふ。じゃあぼくの──わたしの気が変わらないうちに、して、ください……センパイ」
すっと開いたソラの脚の間に、璃玖は身体を収めた。
「ソラ」
「いいよ……りく」
ソラは目を瞑り、その時を待つ。
しかし、いつまで経っても破瓜の痛みはやって来なかった。
それどころか、秘部に触れられる感触すらも、やって来ない。代わりに感じるのは、胸の上に落ちる数粒の滴の熱さだけ。
「璃玖……センパイ?」
薄目を開いたソラの目に飛び込んできたのは、
「泣いてるんですか、センパイ」
声を殺しつつも子供のように泣きじゃくる、璃玖の姿だった。
「う゛ぅ……う、ごめ、んッ、ソラ……ごめ゛ん……ッ」
彼は次から次へと溢れてくるものを腕で拭いながら、くしゃくしゃの顔で謝り続ける。それでは間に合わずに零れたものが、ソラの鎖骨の下を濡らしていく。
「ぅう゛う゛……こんな方法でしか、お前を救っ、て、あげられなぐでっ、うぐッ……ほんとうにごめん……」
「せん、ぱい……」
ソラは、自身の肩の上に額を預けてきた璃玖の頭を両腕で抱いた。
彼のくぐもった嗚咽がやがて決壊した悲しみによって慟哭へ変わる頃、ソラもまた、言葉にならない叫び声を上げた。
怒りなのか、悲しみなのかさえ判らない感情の渦が、後から後から胸を突いて飛び出してくる。
それはきっと、二人がこれまでに溜め込んできた感情の発露。受け続けた悪意に押し潰され、限界を迎えたストレスの暴発だった。
「ああああ……うああ゛ア゛ぁああッ!!」
ソラは璃玖の頭から背中へと腕を回し、その引き締まった肉体を自分の元へと引き寄せる。璃玖もまたソラの両脇から手を差し入れてその身を強く抱きしめた。
そうしてしばらく二人は泣き続ける。今更続きを始めるわけにもいかず、二人の感情はただただひたすらに袋小路の中を彷徨い続けた。どれだけ泣いても満たされることなどないのに。
「──ごめん、やっぱ見てらんないわ。泣くのはそこまでにしなよ、お二人さん」
そっと開いた扉の奥から耳馴染みのある声がした。
璃玖たちの泣き声がフェードアウトし、一瞬の静寂が訪れると、扉の向こうの声の主がぬるりとソラの部屋に滑り込んだ。
声の主は栗色のセミロングヘアをさっとかきあげて、真顔でベッドの上の二人を見やる。
「レミ、先輩……?」
侵入者、橋戸レミは自身の名前を呼ぶ璃玖に笑顔で手を振ってみせた。そしてゆっくりとした動作で彼に近寄って、重なり合う璃玖とソラとを覗き込む。
「なんだ、合体しながら泣いてるのかと思っら、そっちはまだだったか」
「なッ、なあッ!?」
徐々に状況が飲み込めてきた璃玖とソラは目を白黒させながらレミを見つめていた。
璃玖は慌てて布団とタオルケットを手繰り寄せて、自分とソラの身体を覆い隠す。バッチリ裸を目撃されてしまっている今となっては遅すぎる判断だ。
ソラは布団に包まりながら、のそのそと起き上がりレミを睨みつける。
「い、いいいつからいたのさ!」
「家に? あんたらが帰ってくる少し前だけど」
「ぬ、盗み聞きしてたんですか先輩」
「盗み聞きとは失敬な。最初からずっと盗み見してたよ私は!」
盗み、見だと──。璃玖とソラは顔を見合わせた。
「いやぁついに二人が結ばれるのかってワクワクしながら見てたのにさぁ。結局湿っぽくなっちゃうんだもん。璃玖くんも相変わらずだねぇ」
「……ぅっ」
身に覚えがあり過ぎて、レミの顔がまともに見れない璃玖であった。
「で、れ、レミは何しに来たの。まさかぼくたちを笑いに来ただけじゃないよねっ!?」
レミは猫のように目を細めた。ソラの質問には一切反応を見せず、彼女はただ黙ってタブレットパネルを操作する。液晶画面にネット晒し事件の写真を映し出すと、彼女はベッドの上の二人に向かってそれを示した。
「ぉえ……」
写真が視界に入った瞬間、ソラは急に吐き気を催し、嘔吐いた。
仲睦まじく腕を取り合う二人の写真。本来ならば幸せな二人を切り取った一枚が、今はソラを蝕む呪いに化けている。
「目を背けないでソラ。……ねぇ、あんたたちさ、この写真、変だと思わなかったの?」
「何がですか」
璃玖は訝しげな表情を浮かべて、その視線を液晶とレミの顔とで往復させている。珍しく察しの悪い二人の様子にレミは思わず苦笑した。
「とりあえず、服を着よっか。話はそれからだ。あ、生殺し状態で欲求不満ならおねーさんが相手してあげるけど♡」
Tシャツの裾を捲り上げて黒い下着をチラ見せするレミに、璃玖は間髪入れずに答えた。
「すいませんすぐに服を着ます」