Scene2-2 嫌いだった味方
璃玖たちが体育館裏で後輩を囲っていた頃、ソラは一人で中庭のベンチにいた。学校内にいくつかあるぼっち飯ポイントの一つだ。
横に弁当箱を置き、膝の上にナプキンを広げて準備完了。手を合わせて孤独のランチタイムを開始した。
──朝からクラスの男子の様子がおかしかった。普段は仲良くしてくれているのに今日はみんなどこかよそよそしい。こちらの行動には何かしらのリアクションは返してくれるものの、積極的に関わろうとはしてくれなくなっていた。
タイミング的に、やはりネット晒し事件の影響だろう。口では同情してくれる人が多いものの、心のどこかでは『関わったら晒される』と考えてしまうのかもしれない。
特にショックだったのは、同学年では一番の友人だと思っていた加藤数多という男子生徒が、直接的に「話しかけるな」と言ってきたことだった。いつも昼食を共にしていたのも加藤だったから、彼に避けられた時点で独り飯が確定してしまったのである。
こんな時に頼れるのは璃玖しかいない。しかし彼は今、『事件の犯人を探す』と言って色々と動き回っている。ソラが同行しようとすると、断られてしまった。調査の過程で嫌な思いをさせるかもしれないという配慮らしい。
「一人の方がこたえるんだけどなぁ」
虚空に向かって呟いて、ソラは梅干しの乗った白米を口に運んだ。なんだかいつもよりしょっぱかった。
────
──
およそ十五分後、弁当箱を片付けていたソラの元に近づく足音が一つ。璃玖が様子を見にきてくれたんだ、と明るい表情で顔を上げたソラだったが、目の前に立っていたのはナチュラルメイクをキメたギャルっぽい雰囲気の女子だった。途端にソラの表情筋は凝り固まる。
「蓮華さん、どうしたの」
ソラは戸惑った。彼女──蓮華愛兎はクラスの女子のリーダー格ともいえる存在で、いわゆるスクールカーストの最上位。いつも取り巻きに囲まれてキラキラしている印象の、陽の集団の象徴みたいな女の子だった。
性転換前のソラとはたまに話す程度の付き合いがあったが、性転換後はほとんど絡みが無くなってしまっている。
というのも、五月の頃、蓮華はバスケ部エースの水主有慶のことが気になっていたらしいのだ。そんな折に『ソラが水主を誑かした』という噂を耳にしたものだから、当時の蓮華は怒り狂い、ソラに喧嘩腰で迫ってきた。
以降、彼女とソラの間には見えない溝のようなものが出来上がってしまっているという訳である。
「なに、ウチが話しかけたら嫌なん?」
「ううん。話しかけられたのが五月以来だから、少し戸惑っただけ」
そうだっけ、ととぼける蓮華。彼女は長い髪をさっと掻き上げると、ソラの隣に腰を下ろした。
「まあいいや、ねえ橋戸。昨日のネットの話って、どこまでが本当なん? マジであの先輩と付き合ってるの?」
正直うんざりな話だった。例の書き込みのせいで、あまり関わりたくない人が興味本位で首を突っ込んでくる状況にソラは嫌気が差していた。
あまり気乗りのしないソラはそれとなくお茶を濁す。
「うーん、まあ仲が良いってだけかな」
「ほんとに? マジで付き合ってるんだったら応援するつもりだったんだけど、ちがうの?」
「違うよ。ああやってからかって遊んでいるだけ」
「ふぅん」
納得しかねるといった心の内を表情の裏側に抱きながら、蓮華はソラの顔を覗き込んだ。
たまらずソラは蓮華とは反対の方向に首を向ける。蓮華の顔は今のソラには毒なのだ。好みのタイプではないものの、綺麗すぎて目のやり場に困ってしまうから。
顔を背けたちょうどその時、体育館方面から璃玖たちが歩いてくるのが見えた。そこにはかつてソラが告白を断った相手である水主の姿もある。
「……チッ」
不意に、蓮華の舌が鳴った。彼女は璃玖たちの方を眺めながら苦々しい表情を浮かべる。おそらく以前好きだったという水主の姿を目撃したことで感情が揺さぶられたのだろう。
「ぶっちゃけさー、ウチ、一学期の時は橋戸が嫌いだったよ」
「えっ」
指を揉み、地面へ視線を落としつつ、蓮華は言った。どことなく、何かを思い詰めているような感じ。
やがて彼女は、少しだけ顔を上げて自嘲的に口角を上げた。
「ウチさぁ、水主先輩の次くらいには橋戸のこといいなーって思ってたのにさぁ、いきなり女になっちゃって、しかも水主先輩に告られて。ハァー? ってなったよね、マジ」
「ご、ごめん」
「いや謝る事じゃないっしょ。あん時はウチが変に騒いじゃったせいで噂がもっと拡散されちゃったって感じだしねー。でも正直いい気味だって思ってた。ははっ、ウチ暴露ーマジヤバー」
はぁ、とソラは気の抜けたように相槌を打つ。
一学期にソラが学校を休むようになったのは蓮華のその態度も大きな原因の一つだったから、暴露も何も今更だ。蓮華が自身を嫌っている事なんて、ソラはとうの昔に気が付いていた。
だからこそ分からない。蓮華は何故、今その話を口にするのか。
ソラが疑問に思った次の瞬間、蓮華の表情がキュッと締まる。もう一段改顔を上げて、中庭を挟んだ反対側の校舎、一年生の教室棟を見つめるようにしながら、彼女は言う。
「……でもさ、昨日のアレは、流石に違うじゃん。恋愛のゴタゴタなんてウチらだけの話でさぁ、他人に言いふらすことないじゃん。だからウチ、許せないんだよね、犯人」
そこまで言うと、蓮華は向かいの建物の三階を指さした。ソラがつられて目を向けると、そこにはクラスメイトの女子たちが心配そうにこちらを眺めていた。
蓮華がベンチから立ち上がり、彼女たちに向かって手を振ると、何人かの生徒が笑顔で手を振り返してくる。蓮華は再びソラに向き直ると、照れたように髪の毛をいじくりながら、小さく呟いた。
「なーんか男子たちの様子が変だけどさー。ウチら女子は橋戸の味方だから。……まあ、ウチとしてはすこぉし不本意だけどー。でもちょっとは、クラスの連中も頼って欲しい」
「蓮華、さん」
「って、やばッ、これ恥ずかしー!」
蓮華はくるりと背を向けて、教室の方へと歩き出す。腕を上げて背伸びをし、ソラの方は振り返らずにひらひらと手を振った。
「んじゃ、ウチは先に教室に戻んねー。橋戸も早くしなよ。あっ! あと、それからねぇ」
蓮華はそこでソラに向き直ると、後ろ手を組んで後退しながら白い歯を見せる。惚れ惚れするような良い笑顔で彼女は言った。
「──明日の昼は、ウチらとランチだから。一緒に作戦会議、するっしょ?」
ソラの表情も明るくなる。ソラは大きく頷いて、蓮華の後に続くのだった。