Scene2-1 ネット晒し事件
その日、SNS上に投下された一枚の写真が物議を醸した。
仲睦まじく歩く制服姿の男女。男の方は後頭部しか写っていない。一方、女が男の腕を掴むようにして満面の笑顔を向けている、その横顔ははっきりと見て取れた。
いつどこで撮られたのか、それは背景を黒く塗りつぶされている為にわからない。一つ言えるのは、写真に添えられたキャプションが悪意に満ちているということだ。
『これ男の方は三股クソ野郎で、女に見えるのは性転換した元男。きめえ笑』
これに便乗するように【性転換現象】の被害者に対するヘイトが書き込まれた結果、瞬く間にネット上に拡散されて炎上状態となってしまったのだ。
性転換に対する同情意見や擁護する書き込みと、見ず知らずの人たちから罵詈雑言が戦っている状態。次第に璃玖の三股疑惑を放置して、世間を騒がせている超常に対する不満をぶつけるように、ソラが騒動の中心に移っているようだった。
「なんだよ、これ……なんでぼくたちが」
「──流石にこれはやりすぎだぞ、入間」
憤る璃玖たちは、その日眠れない夜を過ごす。
***
ネットでの誹謗中傷は学校でも大変な話題となっていた。
一学期に騒がれたソラの噂と昨日の璃玖の噂とが結びつけられて瞬く間に話が広まってしまったのだ。
これには学校側も黙っているわけにはいかず、登校早々に二人は教師に呼び出された。が、悪意ある投稿主に心当たりはあれど、確証が持てない為に何もすることができなかった。
生徒たちの反応は、意外にも優しかった。今回は璃玖たちの肩を持ってくれるものがほとんどだったのだ。
これには璃玖たちも多少救われるものがあったけれど、ネット上では相変わらず、『ゲスホモ』など酷い言われようだった。
「よーし、なんとかして俺らで投稿主を見つけ出すぞー!」
「なんで来舞が張り切ってんだよ」
昼休みに入ると、来舞がテンション高めに声を掛けてきた。おそらく、はらわたが煮え繰りかえるあまりにテンションが恐ろしく低くなっている璃玖への配慮だろう。
「んーと、まずは容疑者の取り調べからだな! 早速入間のとこ行くぞー! いえぁ!」
……単にこの状況を楽しんでいるだけかもしれない。が、今の璃玖にとって頼もしい味方であることは間違いないだろう。
ところが、いきなり本丸に攻め込もうとする来舞を、璃玖は止める。
「いや、来舞、少し待って欲しい」
「は? なんで?」
「この手の噂に関して、話を聞いておきたいやつが一人いる」
その人物と話をするには朝の時間では短すぎる。璃玖たちは四限目の終わりを待つことにした。
そうして迎えた昼休み。大急ぎで昼食を掻きこんだ璃玖たちが真っ先に向かったのは、三年と同じ教室棟の階下にある二年生の教室だった。
B組の前の方の席に、彼はいた。友人たちに囲まれるようにして焼きそばパンを頬張る長身の男子生徒。バスケットボール部のエースと目される人気のイケメンである。
「水主有慶くん、ちょっと良いか?」
名前を呼ばれた彼は条件反射なのかすぐさま立ち上がり、教室の入口へと顔を向けた。
「えっと、サッカー部の坂東先輩と、それから……」
「ども」
「……アウトドア部の、樫野先輩」
面子を見た瞬間に、彼は自分がどうして声を掛けられたのか察する。
彼はソラが性転換をしてしまった直後にソラに告白をし、玉砕した当人であった。彼がきっかけでソラの悪い噂というものが発生したのが一学期。今回のネット晒し事件の下地を作ってしまったともいえる人物だ。
「SNSの件ですよね。もし良ければ場所を移動しますけど」
「ん。秘密の話をするならあの場所だな」
三人が向かったのは体育館裏の外階段。彼がかつてソラに告白し、敗れ去った場所だ。
先客でカップルがいちゃついていたが、男三人に出くわした瞬間に逃げ去っていった。意図せず人払いに成功した三人は、階段の下の方へと腰を下ろす。真ん中に二年の水主、その両側をブロックするように三年組。二人による水主への尋問開始だ。
とはいえ彼は容疑者ではない。どちらかと言えば重要参考人という位置づけである。
「五月の時は、すみませんでした。橋戸くんにもかなりの迷惑をかけてしまって、一応謝罪はしたんですけど、今でも罪悪感が消えないんです。あの時、樫野先輩が彼を説得してくれたって聞きました。先輩にもちゃんと謝らなきゃ、ですよね」
水主は腰を下ろしたまま、膝に手をついて璃玖に頭を下げた。
それを掌で制し、璃玖は尋ねる。
「昔のことは良いよ。それよりも昨日の話だ。率直に言って、SNSでの炎上事件をどう思う?」
断定的な質問を避け、ざっくりと聞く。
「僕は思うんです。昨日の樫野先輩に対する悪口と、ネットの件は別物なんじゃないかって」
「え、なんでッ?」
予想していなかった回答に、来舞は驚きの声を上げた。
「あくまで僕個人の見解ですけど、五月の一件とネットの炎上は地続きなんじゃないでしょうか。だって、あの写真のチョイスって、明らかに橋戸くんを狙い撃ちにしてますよね」
「た、確かに。ソラくんだけはっきりと顔が写ってるもんなー」
「……」
入間が犯人だとすると、ヘイトは璃玖に向くはずだ。しかし実際にはソラと璃玖がターゲットになり、むしろソラを攻撃するような書き込みがきっかけで炎上した。
「先輩たちもそう疑っているから僕のところに来たんじゃないですか?」
「え、と、それは」
水主の言葉に戸惑う来舞に対し、璃玖は冷静に答えた。
「水主くん、俺ははじめ、昨日の噂を流したやつが暴走したのかと思ったんだ。それで一晩寝ずに考えたんだけど、俺も君と同意見だ。……今回、主に狙われたのはソラだと思う」
璃玖は昨晩、思考を巡らせた結果『入間が撒き散らした(であろう)璃玖の風説に便乗して、五月の噂の犯人がネットに書き込んだのではないか』という見解に至った。ネットの書き込みなど、入間がやったにしては手段が陰湿すぎる気がするからだ。
と、なれば。探るべきは五月の噂を撒き散らし、ソラを不登校に追い込んだ人物なのである。
「気を悪くするかもしれないけど、五月の件も、今回も、君が関わっていると言うことはないよな?」
「まさか。僕だってあの時は苦渋を味わった側の人間なんですよ」
水主は五月の一件について話し始める。
水主はソラに対する噂の存在を知るや否や、事実を説明して火消しに奔走したそうだ。『ソラが自分を誑かした事実は無く、自分がソラを一方的に好きになっただけ』だということ。そして『自分は両性愛者である』こと。これらを暴露することで事態の沈静化を図ったのだという。
性的指向のカミングアウトなど、確かに水主にとっては痛手でしかない。彼もまたあの噂の被害者と言えるのだ。
「当時の噂の出所について、心当たりはないのか? 例えばソラに告白したという事実を誰かに話したとか」
「告白を知っていたのは僕の親友の三人ですかね。でも、あの時だって三人に聞いたんですよ。他の誰かに話したりしていないかって」
水主曰く、その時の親友三人は誰にも他言していないと関与を否定したため、結局、噂の出所まではつかめなかったらしい。自分の親友を疑いたくはなかったため深追いはしなかったそうだが、それが今になってネット世界にまで波及する事態になろうとは。
「お願いです、樫野先輩、坂東先輩。僕にも何かできることがあれば協力させてください」
水主は今回の件にも憤りを感じている様子だった。バスケ部のエースとして名高いだけあって、責任感は強いようである。
璃玖たちは彼の要望を了承すると、早速、彼の友人たちをこの場に呼んでもらうことにした。