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Scene1-7 花嫁修業とナポリタン

 璃玖(りく)たちはワオンモールに併設された駅にて電車に乗り、隣の乗り換え駅で一旦ホームに降りた。


 どうもダイヤが乱れているようで、電光掲示板に表示されている行き先と時刻は全く意味を()さないものになっていた。どこかで人身事故が起きたらしい。

 割とすぐに目的の行き先の電車が来たが、どうやらその車両は本来、三十分ほど前に来る予定の車両だったようだ。


「なんか、すぐに乗れてラッキーでしたね」

「うーん、事故した人がいるのにラッキーて言い方はちょっとな」

「センパイは深く考えすぎです」


 乗り換え駅から璃玖の家方面へは大きな混乱は無いようだったが、学校の部活組の皆にはさぞかし大きな影響があるだろう。

 携帯端末を見れば、予想通りアウトドア部員たちから阿鼻叫喚(あびきょうかん)のグループメッセージが飛んできていた。ご武運を祈りたいものである。


 そんな中、璃玖たちは無事に自宅の最寄りまで辿り着く。


 既に日は落ちて、西の空だけが太陽の残像を雲間に映している。季節的にはまだ夏の名残(なごり)があるものの、昼の長さは随分(ずいぶん)と短くなっていた。薄暗がりに街灯が映える中を璃玖たちは二人連れ立って歩く。


 やがて橋戸(はしど)家の前に到着すると、ソラは自宅内へと璃玖を誘った。


「お邪魔します」


 挨拶(あいさつ)を口にしつつ敷居を(また)ぐ璃玖だったが、部屋の明かりはついておらず、中から返事も無い。普段ならこの時間、ソラの母親かレミが家にいることが多いのだが。


「とりあえずかけてください。お茶入れますね」

「ああ。ありがとう」


 リビングのソファに腰を下ろす璃玖。なんとなく、二人きりだと思うと落ち着かないものだ。


「そういえばレミ先輩は?」


 麦茶の入ったグラスを両手に持ってきたソラは、璃玖の一言にニヤリと笑った。


「なんですか? やっぱり未練あるんじゃないですか」


 グラスを受け取る璃玖は気まずそうに顔を背ける。


「一応、俺の中で踏ん切りはついてるつもりだ」

「はいはい、そういうことにしといてあげますねー。ちなみにレミは大学の飲み会だそうです。きっと男の家にお泊まりコースかと」

「なん……だと」


 レミは今朝方、今夜は飲み会で帰りが遅くなる旨を両親に伝えていたのだという。レミのことだから、その後どうするかは想像に(かた)くない。おそらくソラの言う通りの展開になるだろう。


「あの人、もう少し真面目に振る舞っていれば良い出会いもあるとは思うんだけどな」

「真面目に振る舞った結果、付き合うのが先輩みたいな人だったら、レミは性欲処理に困るでしょうねー」

「ぬ。どう言う意味だ」

「ふふ、別にぃ?」


 ソラは含み笑いをしながら璃玖の隣に腰を下ろし、手にしていたグラスに口をつけた。中途半端に飲み残したそれをソファの前のテーブルに置くと、ソラは大きく欠伸(あくび)をして、璃玖の肩に寄り掛かる。璃玖は左肩に掛かるソラの重みと髪の滑らかさに頭がくらくらする思いだった。


「ソラ、何してんだよ」

「んー? 良い枕を発見したんで、つい♡」

「──ッ」


 璃玖は不意に胸が苦しくなった。

 先程はテントの中で、今はソファの隣で。完全に璃玖を恋人とみなしているかのように寄り添ってくるソラの本心がわからない。


「ドキドキしました?」


 璃玖にもたれかかったまま、首の角度を大きくし、上目で彼の顔を覗き見るソラ。


「まあ、な」


 璃玖は顔を見られるのが嫌で、右を向き、頬を()く。ソラの言葉を否定しなかったのも、下手に誤魔化(ごまか)せば余計に(いじ)られることを理解しているからだった。もっとも、耳まで紅色を帯びている彼の心情などソラには筒抜けだろうが。


「センパイも駄目(だめ)な人ですね。レミだけじゃなく、ぼくにもときめいちゃったりして」

「それはお前が俺を挑発するからだろッ」

「んー? ぼくはいつでも自然体ですよーっと」


 嘘つけ、と璃玖は溜息を漏らした。

 とはいえ、どこか無理をしてキャラを演じているような雰囲気は以前と比べても減っている様子だった。だんだんと女としての自分の立ち位置が板についてきたのかもしれない。


「あ」


 ソラは急に体を起こして立ち上がると、ダイニングの椅子の上に置いてあったリュックに駆け寄った。ファスナーを開けて携帯端末を取り出し、パネルを指でスライドさせていく。リビングからの距離で、通知音に目ざとく気付いたらしい。


「センパイ。今、親から連絡来たんですけど、帰るのが遅くなるらしいです。駅が混雑しているみたいで、落ち着くまでしばらく時間潰すって」

「ああ、人身事故の影響かな。親御さん二人とも?」


 ソラは頷く。

 璃玖はソファからダイニングへと振り返るように身を乗り出し、こう提案した。


「じゃあ、どうせならどっか飯でも行くか。それとも、うちに来て一緒に食べるとか」


 しかしソラはかぶりを振って否定し、代わりにどんと胸を叩く。


「良ければぼくが何か作るので、ここで一緒に食べませんか!」

「お前料理できんの?」

「は……花嫁修行中の身なのでっ」

「……!?」


 ソラの爆弾発言にまたいつものジョークかと考える璃玖だったが、ソラの真剣に照れている表情からは本気としか思えず、ただ狼狽(うろた)えるばかり。しかし断る理由は無いので、璃玖はソラの厚意に甘え、ご馳走(ちそう)になることにした。


「で、何を作るんだ」

「ナポリタン、とか?」

「……俺がキャンプ飯として教えた簡単料理じゃんか」


 璃玖がジト目でツッコミを入れると、ソラは(ふく)れっ面をしてみせた。


手際(てぎわ)を見てくださいよ、手際を」

「ほう。お手並み拝見、ってところか」


 こうしてソラによる調理が始まる。


 ソラはまず鍋に水と塩を入れて火にかけ、沸騰(ふっとう)を待つ間にまな板と包丁を用意。

 サニーレタスを手でちぎって小皿に盛り、そこに薄切りトマトと玉ねぎを乗せて簡単なサラダを作った。

 指を輪っかにして乾麺(かんめん)を測り取り、沸騰してきた鍋の中に入れると、すぐさまフライパンを準備。

 今度はピーマンやソーセージ、しめじの石づきを包丁で切っていき、予熱したフライパンにバターを乗せて溶かし、具材を炒め始めた。

 まもなくパスタが茹で上がると手つきザルに麺を開け、水を切ってフライパンに投入。左手でフライパンを軽々と回し、炒めていく。


 流れるような作業風景に、璃玖は口を開けたまましばし見惚(みと)れていた。どうやら料理の練習をしていたのは本当らしい。

 最終的に出来上がったナポリタンにはトロトロのスクランブルエッグがかけられ、パセリでデコレーションまで施されていた。一つ一つの料理は確かに初心者向きだが、無駄なく並行して進む調理は玄人(くろうと)の動きに近かった。


「普通にうまそうなんだが」

「今は簡単な炒め物ばかりですが、ちょっとずつ覚えていってる感じですね」


 聞けば、ソラの母親が、今後何があっても生きていけるようにと色々なことに挑戦させているらしい。故に花嫁修行という言い回しもあながち間違ってはいないのだ。女として生きる上で、持てる武器は持っておこうという考えである。


「本当は調理しながら器具の片付けもできると最強らしいんですけど」

「安心しろ。うちの親でもそこまではできない」


 二人はダイニングテーブルを挟んで向かい合って座り、手を合わせる。匂いと見た目の時点で分かり切っていたが、ソラの作ったオムナポリタンは絶品であった。


 璃玖が夢中でパスタを頬張っていると、向かいのソラと目があった。ソラは天使のスマイルを浮かべながら璃玖に言う。


「こうしてると、新婚さんみたいですね♡」

「……ッ!?」


 再び襲いかかるソラの爆弾発言に、思わず()せてしまう璃玖。狙い通りの反応に、ソラの微笑みは天使から小悪魔へと変化していくのだった。



 ***



 およそ一時間後。夕食を食べ終わり、一緒に後片付けをしてから、二人はソファに腰掛けて洋画を見ることに。


 まったりしたムードにいい加減ソラがウトウトしだした時、突然、璃玖の携帯端末がバイブレーション通知を連発し始めた。

 はじめは映画が終わるまで無視しようと思っていた璃玖だったが、続けてソラの端末も通知音を鳴らし始めたものだから、これは何事かと慌てて確認する。


 親にはソラの家でご飯を食べてから帰ると連絡してあったはずなのに。

 ──璃玖はそう考えながら端末の画面ロックを外す。が、その連絡の全てが来舞(らいぶ)やクラスメイトたちからのメッセージだった。


「せ、センパイ……」


 震える声に気がついた璃玖は、その視界に顔面蒼白(そうはく)となったソラの姿を捉えた。

 ソラは端末のスクリーンを示しながら、泣きそうな顔でこう言った。



「どうしよう、ぼくたち……ネットで(さら)されてるっぽい」

次回よりScene2に移ります。

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