前へ次へ
54/126

Scene1-6 ねじれの位置

「どうしてですか、センパイ。あんなにレミのこと好きだったじゃないですか」


 納得しかねるといった具合でソラは言った。

 これに対し、璃玖(りく)はどう説明したものかと頭を悩ませる。


「好きだって気持ちは変わってないよ。ただ、なんていうのかな。今は恋というより尊敬に近い気持ちかもしれない」

「尊敬って、あのフラフラした生き方のレミをですか」


 ソラの言葉が辛辣(しんらつ)なのは身内だからだろう。誰よりも近くで姉の姿を見てきたが(ゆえ)に、その生き方に思うところがあるのだ。


「俺は昔のレミ先輩を近くで見てきたし、今の生き方だって強すぎる罪悪感から来たものだしな」


 レミが色々な男と寝るのは、過去の罪を自ら罰するという自傷行為。二人分の命に対して自らに課した重責だ。

 事情を知った璃玖は彼女の罪の意識の半分を背負う覚悟だったが、結局二人の結論は別々の道。だけどもその選択を璃玖は納得して受け入れている。

 

「とにかく全部終わったんだよ。俺とレミ先輩の未来はもう交わらない。あの日起きたのは、そういう出来事だったんだ」


 ざっくりとしか説明できないことがもどかしい。詳細に触れればレミがこの二年間心に秘めてきたモノについて明かさなければならない。いくらソラがレミの身内だからといって、勝手に秘密をバラすようなことを璃玖はしたくなかった。


 案の定というか、見るからにソラは納得しない表情だ。口を(とが)らせ、薄く開いた(まぶた)の奥から璃玖を(にら)む。


「うう……なんか大事な部分をぼかされている気がする」

「ごめん、うまくは言えないんだ。だけど本当にやましいことは何も無かった。それだけは信じてくれ」


 璃玖がそう言うと、ソラは急にクスリと笑った。


「なんかセンパイ、彼女に必死で浮気の言い訳をする彼氏みたいですね」

「……」


 ソラに言われて自分の発言を思い返し、璃玖は押し黙ってしまう。別にソラは恋人ではないのだが、気分的にはまさしく『勘違いしてほしくない相手への必死の弁明』だったのは確かなのだ。

 そして何故ソラに勘違いしてほしくないのかを考えた時、璃玖は胸の真ん中のところが締め付けられる思いがした。


「なんか、反応してくださいよ」

「なんかって」

「ちょっとは反応してくれないと……本当っぽいじゃないですか」

「そうだな、ごめん」

「……ばか」


 そこから数秒、会話が途切れた。お互いがお互いを意識してむず(がゆ)さを感じている状態である。璃玖が横目でソラの様子を(うかが)うと、そこには顔を真っ赤にして俯いている美少女の姿があった。

 それはちょうど、ホテルのベッドでで横に腰掛けたレミと似たような位置、似たような角度。


 一瞬だけ、憧れの先輩の横顔を空見した。が、記憶の中のその顔は、間も無く目の前の乙女に塗り替えられる。

 光に揺れる灰色の瞳、その双眸(そうぼう)を伏せがちに覆う長いまつ毛、透き通るように白い柔肌、何かを言いたげに少しだけ開かれた桃色の唇。


 ──なあソラ、俺が好きなのは。


 璃玖はその想いを心の中だけに(とど)める。決して表に出さないようそっと(ふた)をして、自身の奥底に隠した。


「なあ、そろそろ」


 璃玖がソラに声を掛けようとしたその時。ソラの方が(わず)かに持ち上がり、直後に大きな溜息の音が聞こえてきた。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~……」

「なにそのクソでか溜息」


 吐息と共に背を丸くしたソラだったが、すぐに状態を起こし、璃玖の方へと仏頂面を突きつけてくる。


「センパイ! なんか、ずるいです! 結局なんもかんも話してくれないじゃないですか!」

「お、落ち着けって」

「だいたい本当に何も無かったなら『俺たちの恋は、終わったんだ……』になるわけがないんですよ! 絶対何か隠してる!」


 落ち着けと言われて余計にヒートアップするソラ。それをなんとか(なだ)めようと、璃玖は肩に手を置いた。しかしそれが悪手。ソラは璃玖の腕を逆に掴み返すと彼の身体を激しく揺さぶった。


「やめろってソラ! 隠してるというか、例のバスジャックのことについて踏み込んだ話をしただけだよ。あの時先輩が何を思っただとか、今はどうして自暴自棄なのかとか、その辺の事情を俺の口から勝手に漏らすわけにはいかないだろ」


 璃玖を揺する手がぴたりと止まる。


「……うう。じゃあ、本当に……センパイはレミを諦めちゃうんですか」


 ソラはとても悲しそうな声をあげた。どうしてか、璃玖がレミとの未来を諦めたことがとても悔しいみたいだ。もしかすると、いや、確実に、璃玖本人よりもこの結末を残念に思っているに違いない。とはいえこればかりは本人たちの問題である。いくらソラが二人と深い縁があろうと、文句は言えないのだ。


 璃玖は何も言わず、ただ深く頷くことで問いへの答えとした。


「そう、ですか。……残念です」


 ソラは何を思ったか上半身をゆっくりと傾け、璃玖の肩に体重を預けた。ぴたりと寄り添い合う二人。ソラは続けて言った。


「ぼくは、いつかセンパイが本当のお兄ちゃんになってくれたらいいなって思ってました。そうすれば、ずっと一緒にいられるって。友達よりも深い絆で繋がっていられるって、そう考えてました」

「ばか。そんなのを望まなくたって、俺たちは親友だろ。これからだってずっと一緒だ」

「……へへっ」


 ソラは小さく笑うと、頭を璃玖へと差し向けてきた。仕方ないな、と璃玖は柔らかな栗色の髪の感触を右手の指でで味わう。毛並みに沿ってゆっくり手を動かすと、ソラは満足げに鼻を膨らませていた。

 この甘えん坊な小動物みたいな生き物は、例え璃玖とレミが結ばれなくとも、きっと永遠の弟分、いや妹分なのだろう──璃玖はそう考えている。もっとも、いつまでもこの距離間でいるには少々厳しいだろうが。


「……あっ!」


 ソラが急に跳ね起き、テント内を這って一メートルほどの距離を取った。やがて立ち膝の姿勢で振り返ると、脇を絞って腕を出し、ファイティングポーズ風に構える。

 呆気(あっけ)に取られている璃玖に、ジト目のソラが鼻を鳴らして笑う。


「センパイがレミを諦めたのだとしたら、もしかすると次のターゲットはぼくかもしれないじゃないですかぁ。いけないいけない、危うくセンパイに襲われちゃうところでした♡」


 ソラはそう言って小さく舌を出す。


 その悪戯(いたずら)な表情にいつも通りの空気感を感じ取り、安心から笑みがこぼれる璃玖なのであった。


***


 璃玖たちが展示用テントから外に出ると、そこには低学年くらいの小さな男の子がいて、何故だかこちらの様子をじっと見つめていた。

 ソラが小首を傾げて「どうしたの」と呼びかけると、その男の子はぱたぱたと足音を立てながら、近くにいた母親らしき女性の元へ駆けていく。

 少年は店内に響き渡るくらいの声量で、母親に向かって言った。




「ねーねーママ! さっきね、テントでね、おにーちゃんとおねーちゃんがね、()()()()してたんだよー!」

「(しっ、あまり大きな声でそういうこと言わないのッ!)」



 ……顔を見られないように床を見つめながら、足早にその場を立ち去る璃玖とソラなのであった。

前へ次へ目次