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Scene3-12 その手を、繋いで。

 九月になった。今年は八月末日に二学期始業式があったのだが、直後に土日が挟まり、九月を迎えてもほんの少し夏休みが続いている感覚だった。


 そんな夏のアディショナルタイムみたいな時間に、璃玖(りく)はソラを連れて隣県にある大型の水族館に来ている。

 ソラの怪我から三週間。まだまだ運動は難しく、歩くにはサポーターが必須であるものの、とりあえず松葉杖からは解放されたと言う具合だ。璃玖から『リハビリがてら少し公園で散歩するか』と誘いをかけたところ、ソラが『折角(せっかく)だからデートっぽいことがしてみたい』とせがんできたのだった。


 思えばそれは、デートを意識させることで璃玖をからかうソラの策略だったのかもしれない。が、この夏に男として一皮剥けた璃玖にはノーダメージである。拍子抜けするほど簡単に、彼はデートの申し入れを承諾した。


 ──そして現在に至る。


「うわ広ッ。ここの水族館、大きすぎません?」

「確かに。いや、これは結構歩くかもな。本調子じゃ無いけど足は大丈夫か?」

「モーヘンタイのモーマンタイ!」

「……なあそれ流行(はや)ってんの?」


 どこかで耳にしたことがあったような無かったようなフレーズに、璃玖は肩を(すく)めた。


 ソラは入り口で辺りをキョロキョロと見回す。

 早速目についたのはシャチの親子が(たわむ)れている大水槽。シャチの子供が人間の群れに興味津々でじっと観衆を見つめている姿が可愛らしく、人々がいっそう水槽の周りに集まってきていた。


「ねぇセンパイ? 転ぶと大変なので、手を繋いでも良いですか?♡」


 璃玖はふっと微笑んで言い返す。


「恋人繋ぎで良いか?」

「チッ……あざとさに反応しないどころか、こんなどストレート球を……ッ」


 いつも純情を(もてあそ)ぶ側のソラは、弄ばれることには慣れていないのか、()でダコのように蒸気を立ち上らせて(ふく)れっ(つら)になった。

 してやったり、と璃玖はご満悦である。


「おい、どうしたソラくん? 繋ぐのか、繋がないのか?」

「……つなぐ」

「素直でよろしい」


 指と指が噛み合うように、二人の手は結ばれる。璃玖はなんとなく、心と心の歯車もかちりとはまったような気分になった。

 手のひら全体にソラの体温を感じる。指の先までソラの柔らかさを感じる。なるほど、これは確かに恋人繋ぎと言われるわけだ、と彼は一人で納得した。


「行こうか、ソラ」

「──はい、センパイ!」


────

──


 シャチの親子に癒され、ハンドウイルカのショーに興奮し、真っ白なベルーガの美しさに感動した。二人で過ごす時間はあっという間で、気が付けば昼時。海獣エリアを抜けた二人は階段で別階層に移動し、フードコートでご飯を食べた。

 その後、ウミガメエリアや魚エリアを回ったのだが、どうもフードコートを利用した時に順路をショートカットしていたようで、気が付いた時には人々の流れに逆走していた。


「あ、はは。なんか順番がめちゃくちゃですね」

「ふふ、そうだな。この辺は通路も狭いし、流れに逆らわずに一旦戻るか」

「はい、そうしましょう!」


 順序がおかしいのは璃玖たち自身も同じ。彼らはここまで色々と遠回りや道惑(みちまど)いを繰り返してきた。

 ソラに至っては性別まで変わってしまっているわけで、『生まれてくる性を間違えていました』と言わんばかりにめちゃくちゃな運命に翻弄(ほんろう)されている。

 それはきっとこれからも続く、人生という名の迷宮。一人で乗り越えるにはあまりに心細く恐ろしい、大海のど真ん中。だけど、二人でなら。


「わ……っとと」


 人波を抜ける際になにかに(つまず)きかけたソラは、怪我のない方の足でなんとか踏みとどまった。


「大丈夫か? 足、なんともないか?」

「えへへ。平気ですよ。センパイがしっかり手を握ってくれるから」


 ソラははにかんでみせると、続いて何かを思いついたように瞼を下げ、頬の筋肉を持ち上げた。絵に描いたように悪い顔である。


「センパぁイ、腕を組むのはなしですか?」

「……さ、流石(さすが)にそれは恋人以外がしたらだめなやつだろ」

「恋人繋ぎは良いのに?」

「う」


 その時、璃玖は自分の中の天使と悪魔が激しい論争を始める様を見た。


 悪魔は言う。『元は男とはいえ、今は超絶美少女なソラが腕組みをおねだりしているんだぜ。あわよくば胸の感触なんかも味わえたりするんじゃねぇか』と。

 天使は言う。『そんな下品な考えは良くないよ。ソラが怪我をしないようにエスコートするのが年長者の務め。だから、これ以上転ばないように腕を組むんだよ!』と。


 璃玖は黙って腕を差し出した。


「おや、割とあっさり許可してくれるんですね」

「葛藤がな、葛藤じゃなかったんだよ」

「……?」


 (いぶか)しむ様子を見せるソラだったが、やや戸惑(とまど)いつつも璃玖の腕をそっと抱いた。途端にスッと力が抜けたように柔らかな表情を見せる。

 そんなソラを横目に見つつ、璃玖もまた、どこか安心感のようなものを覚えていた。


「まさかセンパイとこんなふうにデートするなんて、この春まで思ってもみませんでした」

「本当、それな」


 璃玖の腕を掴むソラの指に力が入る。


「でも、センパイは気持ち悪くないんですか?」

「何が」

「だってぼくは……男の子だし」

「ソラ……」


 女になってからのソラはレミに似ていると、少し前まで璃玖はそう思っていた。レミの仕草の真似をしてあざとく振舞うなど、ソラ本人もレミを意識している感があったから余計にだ。


 だけど今、自分の隣にいるソラは、どうだ。

 レミのような自暴自棄には陥っていないが、レミよりよほどあっさり折れてしまいそうな儚さを内包している。女になり、周りからとやかく言われて、心は傷だらけのはずなのだ。

 璃玖にとってのソラは今や、守ってあげたい、支えてあげたい、心からそう思える存在だった。璃玖中の『一番』を塗り替えてしまうほどに。


 ────ソラをソラとして。


 そう言ったのはほかでもない自分自身だったのに、レミへの想いに縛られて『一番』を見失っていた。

 もう間違えない。

 璃玖は右腕でソラの頭をひと撫ですると、にっと口角を持ち上げた。


「ばか。言っただろ、お前をちゃんと受け入れるって。男の子のお前も、女の子のお前も、お前がどちらを選んでも俺は全部受け止めるから。だから、安心して俺の隣で迷ってろ」


 璃玖を見つめる灰色の瞳がキラリと光った。大きく見開かれた眼に、水槽からの青い灯りが映る。

 薄く開いた唇がキュッと閉じられ、数秒。再び開いたソラの口元からは、白い歯が顔を覗かせていた。


「まったくセンパイは。いつも通り、キザですね♡」


 すると璃玖もソラ同じ顔をして言う。


「お前を笑わせるのが俺の役目だからな。いくらでもクサい台詞(せりふ)を用意してあるぞ」

「────じゃあ、ぼくが道に迷ったときは、また聞かせてくださいね!」

「おう」


 璃玖は思った。


 女になった後輩が、いつまでも笑っていられますように。

次回より第三章に移ります。

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