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Scene3-9 懺悔

 璃玖は両頬を軽く叩き、気合いを入れ直す。先程までのぐちゃぐちゃな気分をなんとかしてリセットしなければ。

 真剣な眼差しをレミに向ければ、彼女はふっと微笑んだところだった。


「それじゃあ、長い話になりそうだしお風呂にでも入りながらゆっくり話そうか♡」

「いや、あかんでしょうそれは!」


 いきなりブッこんでくるレミに、璃玖(りく)は特大のツッコミをかます。

 やはりレミはレミなのか。性的快楽に()まれた彼女は元には戻らないのか。と、璃玖が軽く絶望しかけたところでレミは大笑いを始めた。


「あっはっは! わかってるよ、璃玖くんがこの手の誘いに乗らないことくらい。……ま、強引に迫るとあっさり陥落(かんらく)するのも知ってるけどねぇ?」

「か、からかわないでくださいよ」


 そっぽを向く璃玖の頭をレミはぽんと撫でる。ベッドから起き上がって備え付けの冷蔵庫の戸を開けた彼女は、二人分のミネラルウォーターを取り出すと片方を璃玖へ投げてよこした。足を使って冷蔵庫を閉め、ソファの背もたれと壁との境に寄りかかるようにして、水を一口飲み下す。


「他の男はね、私の誘い文句にすぐに飛びついてくるんだよ。下半身でしか物を考えてないんだろうね。って、私が言えた義理じゃないけど」


 レミは苦笑した。確かに彼女の言葉は自らを完全に棚に上げたものだが、璃玖にはレミの発言にはある種の願いが込められている気がしていた。

 『見た目で寄ってくる男はお断り』、昔、彼女が言っていたことだ。


「じゃあ、レミ先輩がそういう男性と関係を持ち始めたのって、やっぱり不本意だったんですか」

「ううん。私が望んだことだよ。自傷行為みたいなものかな」


 レミは自分の下腹部をそっと撫でた。鼠蹊部(そけいぶ)()うような妖艶(ようえん)な指使いに、璃玖は思わず生唾を飲む。しかしレミの表情は明るくなく、どちらかと言えば悲哀(ひあい)の色が濃かった。


「私のハジメテは、本当はある人にあげようと思ってたんだ。────ああ、拓人(たくと)じゃないよ。彼は私のことなんか友達としか見てなかったから。好きだけど、付き合うのは早々に諦めてた」


 じゃあ、と璃玖が口を開いた瞬間。レミは笑って首を横に振った。


「言ったでしょう? 全部は教えられないってさ。だからこれは秘密。多分、墓場まで持っていくレベルのね」


 彼女が秘密と言うからには、きっとその人は璃玖も知っている人物なのだろう。だから璃玖は何も聞かなかったことにして言及は避けた。


「……拓人が死んだ時ね、私は思ったんだ。私みたいな人間はマトモな恋愛はしちゃいけないんだって。だからこんな処女(モノ)なんてその辺の適当な男にくれてやる。私なんか、(なぐさ)み者にでも()ちてしまえばいい。そう思って生きることにしたんだよ」

「どうしてそこまで……」


 璃玖は言葉を失った。レミは笑いながら話すけれど、本当は苦しかったはずだ。辛かったはずだ。なのにどうしてあんな、形だけの笑みを顔に貼りつけたまま、耐え続ける道を選んだのか。


「これはね、自分自身に与えた罰なんだ。拓人の死に対する、私の贖罪(しょくざい)


 レミは再び水を飲むと、壁にもたれるのをやめてボトルをテーブルの上に置いた。そのまましばらく俯いたままの彼女の背中に、璃玖は声を掛ける。


「先輩が罰を受ける理由がないじゃないですか。だってあれは、気の狂ったサイコパスが起こしたもので────」


 レミは首だけを横に向け、璃玖を(さえぎ)りこう言った。


「あの事件で死んでいたのは、キミと私かもしれなかったんだよ」

「……は?」

「私はあの日のバスに、璃玖くんを誘うつもりだった」

「え、どう……いう……」


 レミの言葉に璃玖は当惑する。

 ちょうど二年前のあの日に殺されるのは自分たちだったかもしれない、そんなことを突然言われて状況を飲み込める人間などいまい。璃玖はなんとか冷静さを保とうとするが、うまく思考がまとまらなくなる。


 璃玖は両頬を叩いた。まずは、レミの話を聞かなければ。これまで閉ざされていた彼女の心の淵に、ようやく手が届くところなのだから。


 レミは続きを語りだす。


「私ね、当時は拓人への恋心を忘れたかった。彼は琴音(ことね)ちゃんが好き、私には敵うはずもない、そう思ってた。そんな時にキミに出会ったんだよ。キミはどことなく拓人に似てた。妙に理屈っぽいところ、時々物凄く子供っぽいところ、それから人の内面を見ようとしてくれるところ。他にもハッと思わせるところがいくつもあった。……そういった意味では、璃玖くんの言っていることは正解だね。私は、キミを拓人の代わりにしようとしてた」


 バスジャックに関係なく、レミにとって、璃玖個人だけが彼の代替品(だいたいひん)だったのだ。


「家族バーベキューに誘ったのも、ううん、部活に誘ったのだってそう。璃玖くんを私の手元に置いておきたかった。それでいっそのこと彼氏にしちゃおうと思って、璃玖くんに色々と予定を聞いて、山梨の遊園地のフリーパスまで手に入れて、バス会社に予約まで入れてサプライズのプレゼントにしようって動いてた」

「それが、例の高速バス」


 確かに当時の璃玖ならば、レミのサプライズに尻尾を振って喜び、バスに飛び乗っただろう。

 そして、バスジャックに遭遇する。乗客の中で拓人たちが殺された理由は、外部に連絡を取ろうと試みたのを犯人グループに見つかったからだという。もしもそこに璃玖がいれば、正義感に駆られて同じ行動を取っていた可能性は高い。ならばきっと、結末は同じだったに違いない。


「だけど、だけ、どね……ッ」


 その先を言おうとしたレミだったが、急な吐き気に襲われて、その場でしゃがみこんでしまう。慌てて立ち上がった璃玖は、彼女の元に駆け寄り背中を(さす)ってやった。しかしレミはこみ上げるものがこらえきれず、トイレに向かって歩き出すも、途中で吐いてしまった。


「ご、ごめん……りぐぐん、わたッ、わたし……ウぅ……」

「大丈夫、大丈夫ですから」


 璃玖はうずくまるレミを前から抱きしめるようにして、背中を擦り続ける。

 レミは璃玖の胸に顔を埋めながら、嗚咽(おえつ)と共に涙した。当然、璃玖の服にも吐瀉物(としゃぶつ)がかかる。だが彼にはそんなものは些細(ささい)な問題だった。


「ゆっくりで、良いんです。これからゆっくり話してもらえば」

「うん……でも、今日が良いの。今日は彼の命日だから」

「わかりました」


 璃玖はひとまずレミをソファに座らせて、ボトルの水を手渡した。ティッシュを使ってレミが吐いた物の処理を済ませると、彼女の隣へ腰を下ろす。


「ごめん、ありがとうね璃玖くん」

「いいえ。俺にできる事なんて、このくらいですから」


 璃玖がそう言うと、二人の間に短い沈黙の時間が訪れた。璃玖は何も催促(さいそく)しない。レミが話したいタイミングで話してもらうのが一番良いからだ。


「それでね。拓人なんだけど」

「はい」


 突然、レミは飲み干したペットボトルを乱暴にテーブルへと叩き置いた。


「あいつね、あれだけ琴音ちゃんといちゃついておきながら、自分からは何にもアクションしないんだよ。周りも『早く付き合えー』ってオーラをめっちゃ放ってるのに、『いやぁ、俺なんかと琴音がつり合うわけないし』って、ふざけてんのか!」

「あ、あはは……」


 レミの突然のキレ散らかしに、璃玖は笑うしかない。


「何を笑ってんの。言っとくけど、()()()()()だからね。(はた)から見ればもう仕上がってるのに、ずっとうじうじ迷ってるんだ。……そういうところも無駄にそっくりなんだから」

「えっと……?」

「まあとにかく。私はあの二人が早くくっつけばいいと思った。そうすれば拓人への未練も早いこと断ち切れると思ったしね。だけど」


 それが間違いだった。レミはせっかく自分で用意した小旅行プランを、拓人に押し付けたのだ。それが死への片道切符になるとも知らずに。


「夏休み前のある日にね、あいつを中庭に呼び出したんだ。それで、琴音ちゃんとどうなりたいかって聞いたら、そういう時に限って拓人は真っすぐに『好きだし、付き合いたい』って言うんだよ。──私以外の女への告白を、目の前でされた気分だったよ。でもせっかくだからって、私はお膳立てしてあげることにした。私の立てたプランを、拓人に譲ったんだ」


 璃玖の中で、自分の(いにしえ)の記憶とダブる。璃玖もまた、茉莉(まつり)の目の前でレミへの想いを打ち明けたことがあった。なるほど、自分は確かに彼に似ているらしい。


「わかるかな。私がチケットを譲ったせいで拓人たちは死んじゃったんだよ。二人を殺したのは────私なんだ」

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