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Scene3-6 レミはかすがい

 結局、その年の家族バーベキューイベントは行われなかった。想い人であり親友を亡くしたレミのことを思えば当然の判断である。

 が、中止の理由について、レミは『気分が落ち込んでいる』としか言ってくれなかった。今はそっとしておいて欲しいに違いない。璃玖(りく)はそう考えることにした。


 三日ほど経って事件の詳細が報道されると、状況がようやく飲み込めるようになってきた。


 バスジャック犯が人質を取って立てこもり、乗客二名を包丁で殺害。そして犯人とグルであったバスの運転手は、何を思ったのかわざと事故を起こしたのだという。


 殺された二人というのが、四季島(しきしま)拓人(たくと)。そして、彼の恋人の佐倉(さくら)琴音(ことね)だった。

 璃玖はその時初めてレミの想い人には別に彼女がいたのだと知った。さらに不安になる。レミは彼の恋人のことを知っていたのだろうか、事件を通じて二重、三重にショックを受けているのではないか、と。


「センパイ……」

「ソラ、くん。どうしたの」

「すいません、家に居づらくって。……来ちゃいました」


 ソラが家出をしてきたのはそんな時だった。

 どうやらレミが精神的に病んでしまい、皿を壊すわ、椅子は投げるわ、止めようとした父を暴れた拍子に怪我させるわで大惨事らしい。今は少し落ち着いてきたようだが、家の中の空気は最悪なんだとか。


「……ソラくんがうちにいることはご両親に伝えておくから。今日は泊まっていきなさい」

「はい、ありがとうございます」


 璃玖の母親の勧めにより、ソラはその日────否、結局は一週間ほど璃玖の家で過ごすことになった。

 璃玖はレミのことが心配でたまらなかったが、同時にソラのことも気にかけていた。大事件がきっかけで家族がおかしくなってしまう、その恐怖は中学二年の少年にはまだまだきついだろう。


 六日目の夜。璃玖の部屋に敷かれた来客用の布団に包まれながら、ソラは涙を流していた。

 ベッドの上にいた璃玖は自分の掛け布団を跳ね()けると、ソラの横にしゃがみ込み、そっと背中をさすってやった。

 本当は自分も泣きたい気分だったが、ソラを前にすると強くあらねばと思える。彼の涙が収まるまで、頭や背中を撫でてやった。


「ありがとうございます、センパイ。ごめんなさい、いきなり泣いちゃって」

「いいんだよ。仕方ないさ、こんな時なんだから」


 璃玖は優しく微笑んだ。精一杯、ソラに不安を与えないように意識した作り笑い。それでもソラは安堵した様子だった。


「センパイは強いなぁ。ぼくなんかよりもレミの方が何倍も辛いはずなんだから、泣いてちゃいけないのはわかってるんですけど」

「レミ先輩……立ち直れるかな」


 璃玖はハッとして背すじが伸びた。ソラの前で、うっかり弱気な言葉を呟いてしまったからだ。気をつけていたのに、うっかり不安を吐露(とろ)してしまう。


「こればかりはレミを信じるしかないかもですね」


 ソラは特に動揺もなく答えた。今度はソラの言葉に璃玖が勇気づけられる番だった。


 そうだ、信じるしかない。レミが最愛の人の死を乗り越えて未来へ進んでくれることを、自分たちは願うしかない。行き先を決めるのはレミ自身でしかないのだから。

 しかしそのために自分たちができるサポートならいくらでもしよう。導き手になることは難しくとも、寄り添いあうことくらいはできるはずだ。


 ────璃玖の内心は決意に満ちていた。明日になったら一度、レミに会いに行ってみよう。もしも会うことが許されたのなら、いくらでも彼女の話し相手になろうと決めた。


「あ、そうだ。センパイ、もしもレミに会っても四季島先輩の名前は出さないでくださいね」


 レミに会おうと心に決めた瞬間、ソラが話しかけてきた。まるで心が読まれたみたいなタイミングに、璃玖は一瞬どきりとする。


「亡くなったばかりだから、名前を聞くのも辛いだろうしな」


 璃玖はそう返答をしたが、ソラは小さく首を振る。


「そうじゃないんです。今までも、レミは璃玖センパイの前で四季島先輩の名前は出してなかったはずです。それには理由があって」


 そういえば、と璃玖は思い出す。

 これまでレミの片想い相手の情報は、全て第三者からの伝聞だった。本人がそのことを話したことはないし、それとなく尋ねてみたときもはぐらかされた記憶がある。


「センパイってレミのこと好きですよね?」

「うん、好きだよ」

「レミも、それに気づいてます」

「まあ、そうだろうな。俺の態度とかあからさまだったし」


 当人に知られていたと言われても動じないのは、璃玖自身にも自覚があったからだ。きっとレミは自分の気持ちなどとっくの昔に見抜いていて、それでも変わらない態度で接してくれているのだろうと。


「四季島先輩の存在を伏せていたのは、センパイに気付かれたくなかったからだと思います。自分が他の人に気があることをセンパイが知ったら傷つくと思ってたんですよ。実を言うとぼくにも『璃玖くんの前であいつの話はしないで』って口酸っぱく言ってたんですから」

「……そっか。やっぱりレミ先輩優しいな。優しくて強くて、(はかな)くて、(もろ)い」


 ソラは璃玖の言葉に頷いた。弟の目からしても、レミは同様の評価らしい。


「ソラくん、俺さ、レミ先輩に会いに行ってみるよ。それで自分にできることが何かを見つけたいと思う」

「はい! ありがとうございます、センパイ!」


 璃玖とソラは決意をもって頷き合った。


 それは、兄弟ではなく、幼馴染でもなく、同じ学校に通った事すらない二人の意思が重なり合った瞬間だ。全ては一人の男がレミと出会い、レミに惹かれ、レミに近づいたが故に生まれた不思議な関係。彼らの間柄を繋ぎ止める『かすがい』たる存在は、誰が何と言おうと間違いなくレミなのだ。


 レミを救いたい。今、二人の心は一つになる。

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