Scene3-4 片想い拗らせ隊
七月半ばになった。一学期の期末テストを終え、璃玖はいよいよ夏休みという最高な時期が訪れることに胸を躍らせていた。
テストの結果はなかなかに良かった。これも、苦手だった理科系科目の指導をしてくれたレミのおかげであると彼は考えている。というより、お礼を口実に何かに誘おうというのが彼の目論みなのだ。
「あ、レミ先輩だ」
昼休み。
璃玖が渡り廊下を歩きながら外の景色を眺めていると、ちょうど中庭で佇むレミを発見した。折角だから話しかけようと思い一階に降りてみる。しかし彼女には先客、というより先約がいたようであった。
レミの元に缶飲料を持って現れたのは、黒髪短髪高身長の男子生徒。璃玖は彼に見覚えがあった。確か、レミの想い人────。
「どうしたの」
「うわっ!? って、なんだ、茉莉ちゃんか」
急に後ろから話しかけられて驚いた。そこにいたのは茉莉である。見れば、購買で買ったであろう菓子パンを片手に教室棟へ戻ろうという感じだった。
「なんだとはなんだよ樫野くん。おやぁ? あれはレミ先輩と……」
「四季島先輩」
璃玖は茉莉にその名を告げる。レミの想い人の名を。
「それだ。え、なに。樫野くんって二人をストーカーしてるの」
「違うから!」
璃玖は茉莉の誤解を全力で否定にかかる。たまたまだ、たまたま。常日頃からレミの姿を求めているから目ざとく発見したなんて恥ずかしくて言えるわけがない。
「あの二人、遂に付き合い始めたのかな。私も何回か二人が一緒にいるところを見たけど、二人きりってなかなか無いよね」
「むう」
「がっはっはっは! まあ、諦めるんだな、少年!」
茉莉は、不機嫌そうに顔をしかめる璃玖を笑い飛ばし、その背を平手で叩いた。普通に痛い。
先月の告白の一件以降、茉莉はどこかガサツで暴力的になった。ある意味完全に吹っ切れているとも言える状態なわけで、璃玖はそんな彼女を羨ましく思う。
璃玖には茉莉のように恋を諦めることなど、しばらくできそうにない。
***
八月を迎えた。夏休みも真っ盛り。璃玖はレミの家でエアコンの風に当たって涼んでいた。疲れた脳をクールダウンさせるのだ。麦茶を飲もうとテーブルに戻ると、そこでは栗色髪の姉と弟が宿題に取り組んでいるところだった。
一年間勉強に付き合うというのが二人の約束だ。故に学校が休みの間もこうして勉強会を開いている。
会場となるのはもっぱら橋戸家の方であった。レミの弟のソラにも宿題を片付けさせないといけないためだ。
ソラは監視が無ければすぐに外出して近所の山に登りに行ってしまうほど活発な少年である。一緒に勉強するなど何かしらの名目を付けないと彼を縛り付けることはできない。
「璃玖センパイ、連立方程式ってどうやって立てればいいんですかっ! なんでXとかYとか文字が増えるんですかッ!」
「落ち着いてソラくん。ほら、逆に考えるとさ、一年の頃はX一つでなんとか工夫して式を立てなきゃいけなかったじゃん。使える道具が増えて楽になったと思えばいいんだよ」
「言いたいことはわかりますけど、解き方を教えてくださいー!」
長期休暇に入ってからは、このような形で璃玖がソラの勉強を見ることが多くなっていた。レミがあれこれと口を出すと、反抗期真っ盛りのソラは噛みつき放題の不貞腐れ放題なのだ。
そこで第三者である璃玖の出番というわけである。璃玖はレミから勉強を教わり、そしてソラへと還元する。教えるという行為そのものも基礎の確認や理解度の向上に繋がっているため、璃玖はこのところめきめきと調子を上げていた。
「俺、レミ先輩のおかげでかなり頭良くなったように感じますよ! 理科は苦手でしたけど、今ではだんだん得意に思えてきましたし」
「ま、私の教え方が良いからね♪ 是非とも我を崇め奉るがいい!」
「ははーっ」
言われるがままに床にひれ伏し礼拝のポーズを取る璃玖に、ソラは溜息を吐いた。
「……レミは調子に乗りすぎ。センパイはレミに尻尾振りすぎ」
トーンを数段階落とした覇気の無い声でソラがツッコむ。
すると『尻尾振りすぎ』と犬に例えたのが妙に気に入ったらしいレミは、璃玖にお手だのおかわりだの芸を仕込み始めた。流石の反抗期ソラも、これには失笑を禁じえない。
アウェイな環境なのに、最近は橋戸家に上手く溶け込めている。璃玖は微かに手ごたえを感じていた。
「ねえ璃玖くん。そういえばさぁ、うちって母方の親戚は海外だし、父方の親戚は疎遠になってるからお盆に帰省する習慣がないんだよね」
「家族バーベキュー」
「そう。ソラ、その話をしようと思ってたんだよ。あのね、お盆休みにすることがないから、うちは毎年家族でバーベキューに行くんだ。良かったらその……璃玖くんも一緒にどうかな、って」
「え。俺も一緒で、いいんですか」
家族のイベントにお呼ばれするということは、既に家族の準メンバーくらいにカウントされていてもおかしくないわけで(※おかしい)、これはある意味将来的に本当の家族になる布石(※なわけない)なのかもしれない。
が、璃玖には一つ気になる点があった。
「彼氏さんは呼ばなくていいんですか」
「ん? 彼氏?」
「最近できたって噂を聞いたことがありまして……」
噂というのは璃玖の嘘。茉莉と二人でいる時に、中庭で密会するレミたちを直接目撃したのを思い出していただけだ。
今もなお璃玖の目にはあの時の光景が焼き付いている。ただの友達よりも近い距離感、恋人同士にしか出せない空気感というものがあった。
ところがレミ本人は璃玖の話を聞くなり急に吹き出した。
「ぶっ! ははっ、どんな噂だよ! 言っとくけど璃玖くん、私に彼氏なんてできたことないよぉ?」
レミのあまりの爆笑っぷりに璃玖はきょとんとして固まった。恋人ができたというのが勘違いだったとしても、そんなにおかしなことを言ったのだろうか。璃玖は戸惑いつつも、あることに気が付く。
「えっ。今いないじゃなくて、できたことがないんですか」
「そだよー」
「今までに? 一度も?」
「だからそぉ言ってるでしょ。橋戸レミ十八歳、彼氏いない歴イコール年齢です♡」
意外だった。レミほどの美人だから、彼氏を募集した瞬間に引く手数多だろうに。
しかし確かに璃玖の思い出せる限り、レミについて『〇〇から告白された』話はよく聞く割に、『〇〇と付き合った/別れた』という話は聞いたことがなかった。
「私さ、見た目だけで寄ってくる男はお断りしてるんだ。それに私、割と一途っていうかぁ、まあ、そんな感じ」
一途。そのあたりは璃玖の解釈とも一致している。二年以上の片想いを拗らせ続けていると、アウトドア部の先輩から何度も聞いていたからだ。どうやらその片想いはブレずに継続中らしい。
恋人はいない旨を聞いた璃玖はほっとする一方で、かなりの敗北感を味わっていた。レミが他の男たちを切り捨ててまで何年も想い続けている相手に勝てる未来が一段と見えなくなった気がした。
「そう、だったんですね」
「ふっふっふ。え、なぁに、何か言いたげな目してるよ?」
「いや、別に……」
「あぁん、もうっ、真っ赤になっちゃって、璃玖くんは可愛いなぁ♡」
レミが手を伸ばしてきた。と思ったら、璃玖は何故かレミに頭皮のマッサージを施される。
謎のスキンシップにどう反応すればわからなくなるが、彼女に構われるのが嬉しくて、心地よくて。たとえ恋人にはなれずとも……こういう関係がこの先も続いてくれればいいのに、と璃玖は願った。