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Scene3-1 性欲と愛欲、肉欲と情欲

 暖色系の間接照明で彩られたムードたっぷりの部屋。中央にはソファとテーブルが、部屋の端にはクイーンサイズの大きなベッドが置かれていた。枕近くの台にあるのは調光パネルと内線、そして小さなカゴである。カゴの中にある二つの避妊具が、そこがどんな場所なのかを端的に示していた。


 璃玖(りく)はベッドに腰掛け、向かいにある壁掛けモニターのリモコンを操作する。アダルトな内容を扱うオンデマンドが気になるものの、いやいやと気を持ち直して電源を切った。

 仰向(あおむ)けに寝転んだ彼は、溜息を天井に向かって吐き出す。手持ち無沙汰(ぶさた)だった。こんな場所で、何をして時間を潰せばいいのか皆目わからない。


 そのうち、璃玖はうとうととし始めた。目を(つむ)ればすぐにでも夢の世界へ行けそうだった。今日は朝から動きっぱなしで疲れているのだ。いや、もしかすると今この瞬間が夢の中なのかもしれない。早く目覚めなければ。早く……。


「璃玖くぅん……璃玖くん?」


 併設されたバスルームから出てきたレミは、璃玖のすぐ(そば)に腰を下ろした。彼の癖っ毛を()でるように触れつつ、思わず苦笑い。


「なかなか覗きに来ないなぁと思ったら、寝落ちだったかぁ」


 もっとも、たとえ覚醒状態だったとしても璃玖は女性の入浴を覗いたりはしないだろうが。

 レミは璃玖の肩を軽く揺すり、声を掛けた。


「ん、あ……レミ先輩」

「あはは、璃玖くんお疲れだねぇ」


 璃玖は身体を起こしてレミと相対(あいたい)する。彼女は今、先ほどまで来ていた衣服ではなく、備え付けのバスローブを身に(まと)っている。下着を着けていないのか、ローブの隙間から見え隠れする胸元は、膨らみの先端付近までが地肌であった。


「服、着ないんですか」

「えぇー、なに、脱がせたかった?」

「そういうわけじゃ、ない、こともないですけど」

「うふふ、すけべぇさんめ♪」


 レミは璃玖のほっぺたを指の腹でつついた。璃玖は真っ赤な顔をしながら俯き、目を()らす。その様子に興奮したレミは「可愛い」と呟き彼の頭を撫でくりまわすのだ。璃玖はなんというか、されるがままだった。


「……なんでラブホなんですか」

「何が?」

「二人きりなれるところって言うから、先輩のことだし、カラオケってオチかと」

「ふっふっふ、またまたぁ、期待してたくせにぃ♡」


 無論、璃玖も健全な男子高校生。二人きりと言われてラブホテルが頭を過らなかったわけではない。

 しかしレミの性格上、匂わせるだけ匂わせて違うシチュエーションに持ち込むというパターンも考えられる。そうはならなかったということは、今日のレミは良い意味でも悪い意味でも本気だということだった。


「期待しなかったわけないですよ。だって俺はレミ先輩のことが好きだし、そういうことをしたいって気持ちも当然ありますから」


 瞬間、レミの瞳孔が小さくなる。彼女は乾いた唇を舌先で少し湿らせて、妖艶(ようえん)な笑みを(たた)えながら璃玖に耳打ちした。


「じゃあ、えっちしよっか」


 璃玖はレミとは目を合わせないまま、しかし迷いなく返事をした。


「はい。でも──」


 レミは璃玖が言葉を返す頃には既に動いていた。

 璃玖の首に腕を回し、彼の唇を奪う。ついばむようなキスを、角度を変えながら、何度も何度も繰り返す。呼吸もできないくらいに、何度も、何回でも。

 やがてそっと唇を離した二人は、うっとりとした目で互いを見つめあった。


「レミ、せんぱ────」


 再び璃玖の口はレミによって塞がれる。今度は上下の歯の合間をこじ開けるように、レミの舌先が侵入してくる。それは唾液をかき混ぜながらぬるりと(うごめ)き、璃玖の口内を犯していく。舌だけが別の生き物に変わってしまったかのよう。ぴちゃぴちゃと音を立てながら、二人は互いの口内を貪りあった。


「ん、んッ……はっ、んちゅ……」

「れみ、……へんはい……んっ」


 レミの細い指が璃玖の手首を掴む。彼女はローブをはだけ、璃玖の手を自らの胸へと導いた。

 触れた瞬間、璃玖の掌全体に伝わる、柔らかな感触と温かな体の熱。璃玖がそもまま固まっていると、レミは再び彼の手を取り胸の先端部を強制的に刺激させた。


「ぁん。さわって、璃玖くん……いいんだよ、気持ちよくなろ?」

「待って、先輩……俺はッ」


 何かを言いかけた璃玖を、レミはついにベッドに押し倒した。彼女はそのまま馬乗りになって璃玖のシャツの中に手を差し入れた。

 同時に、下半身を押し付けるように腰を動かす。無我夢中で、璃玖の半身を感じようとしていた。


「はぁ、ぁ……! あはは、すごい、かたくなってるじゃん……。素直になって良いッ、んだよ……ぁん、したいんでしょ、私と!」


 璃玖は咄嗟に服の内側に侵入するレミの腕を押さえた。彼女の腕を体から引き離しながら、彼は叫ぶ。


「したいですよ! 俺だって、レミ先輩と、セックスしたいです! ……でも!」


 璃玖はレミの両腕を捕えると、横方向へと引き倒した。今度はレミがベッドに倒れ込む形になり、璃玖はその上に覆い被さった。先刻とは身体の上下を入れ替えた形だ。

 息を荒くした二人の視線が、空中でぶつかり合う。レミの瞳の中に失望が混ざる。が、同時に期待の色も消えてはいない。何をしてくれるんだろう、と彼女は璃玖の行動を待っていた。


「『でも』……なんなのかな。今回もそうやって、逃げるつもり……? えっちしようって言ったらうんって言ってくれたのに、またこないだみたいに私を途中で放り出すの……?」


 璃玖は下唇を噛み締めた。前回みたいにレミを拒絶したら、彼女はまた別の男に抱かれに行くのだろうか。そんなのは、嫌だった。好きな人が、彼氏でもない行きずりの相手と肉欲を満たすなど、想像しただけで璃玖の胃の中は不快感で逆流しそうになる。

 が、それよりも嫌なのは。


「俺は、嫌なんですよ……誰かの代わりにするのも、誰かの代わりにされるのも」


 ぴくりと、レミの眉が跳ねた。


「どう言う意味、かなぁ」


 レミを見下ろす姿勢のまま、璃玖は言う。


「抱くなら本気で抱きたいってことです。下心がないわけじゃない、だからここまで付いてきたんです。だけど、俺はあなたとする前に、決着をつけたかった。自分の心に……レミ先輩の心に」

「……」


 レミの表情はどこか引き()ったものに変わっていた。彼女がどんな時も絶やすことの無かった笑顔という名の仮面に、亀裂が入る。


「前回は、何も言わずに逃げ出してすみませんでした。あの時は自分の心の(もや)を言葉にすることができなかった。好きな人に求められて嬉しいはずなのに、どうしてだかすごく悲しかったんです」

「口で……してあげたじゃん。気持ちよさそうにしてたのに、悲しいって何。私の心がどうとか、キミに何が分かるっていうんだよ」


 レミの眉間に憤りの感情が刻まれる。口角は上がったままなのに、今のレミの表情はとてもではないが笑顔には見えなかった。

 そのうちに彼女の瞼は薄く閉じられ、やがて璃玖に嘲りの視線を差し向けた。彼女は璃玖の身体の表面を手の甲で沿わせるように動かす。脚の付け根まで辿り着いたレミの指は、そこにあったものを愛おしげに撫でた。


「今だって、こんなにおっきくしてるのにさ。格好つけたいのかな。それとも、怖いのかな。……滑稽(こっけい)だよ、キミ」


 滑稽だと嘲笑(あざわら)われても璃玖は反応を見せない。レミの言うことももっともだと思ったからだ。レミの裸を前にして、興奮しているのは事実だからだ。

 だけどそれは体の話。性欲の話。璃玖が踏み込みたいのは、心の話だ。愛欲の話なのだ。逆に言えば、レミが踏み込まれたくないのもまた、心の話だった。

 故に、彼女は(かたく)なになっている。情欲ではなく肉欲で語ろうとしてくるのである。


「レミ先輩が何と言おうと、俺はこれだけは譲れない。……答えてください、先輩。俺を、誰かの代わりにしていませんか。俺は、その人の代替品(だいたいひん)なんですか」

「なにを、言って────」

「俺は、四季島(しきしま)先輩じゃない! あの人の代わりじゃなく、俺自身を見てください、レミ先輩!」


 璃玖がその名を口にした刹那(せつな)、レミから表情が消えた。……否、これまでに見せていた表情こそが偽り。ここにきて、ようやくレミの素の表情が現れたのだ。仮面は、()がれ落ちた。


「何で、キミからあいつの名前が出るのかなぁ」


 レミは焦点の定まらぬ瞳で、ぼんやりと璃玖の顔を見ていた。

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