前へ次へ
32/126

Scene2-2 口づけは、あぶくの中で

「うおおーっ肉うんめーー!」

来舞(らいぶ)うっさい」


 肉を頬張るや否やテンション爆上げになっている来舞を、ジト目で諫めるは姉の茉莉(まつり)だ。

 璃玖(りく)が緊急招集して集まることが出来たのは、結局この二人だけ。ソラも合わせた四人で海富(うとみ)フォレストバレイを訪れていた。これが朝イチの三十分で集められる人数の限界。むしろ急な提案によくぞ付いてきたと坂東(ばんどう)姉弟は褒められるべきだろう。


「いーじゃんちょっとハメ外すくらいー。姉ちゃんも食えって、(うま)いぞー!」

「あんたね、わかってるよ肉が美味(おい)しいことくら────美味しいぃぃい!」


 茉莉は璃玖が炭火で焼いた肉を口に運んだ瞬間に弟と同じ反応を見せる。周囲への配慮を欠いた高校生の雄叫びは、テント張りのバーベキューハウス内に大きく響き渡った。しかし彼らを咎める声は無い。それもそのはず、フォレストバレイのバーベキューハウスは現在、天候の影響で客も少なく閑散(かんさん)としているのだ。璃玖たちの他に家族連れが二組いただけで、その二組が食事を終えた今は貸切と言っても差し支えない状態だった。


「ただの豚肉なんですけど、なんでバーベキューで食べるとこんなに美味しいんでしょうね。ほら、センパイもこっち座って食べましょ!」

「ああ、これひっくり返したらな」


 璃玖は牛肉の焼き加減を見て裏返し、コンロのすぐそばの席に座るとすぐさまニンニクの効いた醤油ダレに豚肉を潜らせて口へ運ぶ。そして叫んだ。


「旨ッ! 熱ッ! 肉汁ッ! 旨ッ!」

「すごい端的ですけど言いたいこと全部伝わりますね、さすがはセンパイです♡」


 バーベキューハウス側で用意される肉はコースによって異なる。璃玖たちはいちばん安いプランを選択したため、食べているのはアメリカ産の豚肉や牛肉であり、元も子もないことを言えば、そこらのスーパーで売っているような安い肉と同じである。が、炭火による香ばしい匂い、表面がカリッと仕上がったことにより閉じ込められた(あぶら)の甘み、そして何より開放的なバーベキューハウスという環境で頂くことによる“雰囲気”という名の隠し味が、肉の魅力を最大限に引き出したのだ。これで一番安いコースと言うのだから、最上級コースは如何程(いかほど)のものなのだろうか。


「ねえ樫野(かしの)。もう牛肉の方も良いんじゃない? 取ったげるから菜箸(さいばし)貸して」

「茉莉は部活のBBQの時も焼き係みたいになってただろ、今日は座っとけよ」

「じゃ、ぼくが取ってあげますね」


 ソラは網の上の牛肉を全員に配っていく。ついでにカボチャや玉ねぎ、茄子(なす)といった野菜を網の上に並べていった。


「ソーセージも焼いちゃいましょうか」

「お願いー」


 いつの間にかすっかりソラが焼き役に回っているが、ソラ自身はそれで良いと思う。将来に向けて受験勉強を頑張っている先輩たちに、今日は少しでも楽しんでもらいたいから。


***


 昼食後、一行は“水上アスレチック”と銘打たれたプール施設へと向かった。台風の予報に反して晴天だったからか、バーベキューハウスを利用せず昼食後に入場したグループもいたようで、先程のような貸切状態にはならなかったのが少し残念である。

 水上アスレチックエリアには二つのプールが棚田状に配置されていて、上の層から下の層へは流水の滑り台で移動することもできる。滑り台以外ではフローティングボードがいくつか設置されているのがアスレチック要素か。あとは普通のプールといった感じだ。

 水深は一・二メートルくらいで、遊泳プールと比べるとやや浅い。だが高校生たちが遊ぶ分には十分すぎる広さがあった。


「わぁ! ソラくんの水着可愛いね! ここのフリルのアクセントがまた良い!」

「ま、茉莉先輩こそよく似合ってますよ……その、綺麗です」

「そ、ソラきゅん……!」

「わぁぁ、抱き付かないでくださいよ! その、当たってるからぁ」


 つきたての餅のように柔らかな茉莉の胸に顔を埋めるソラの顔はかつてないほどに真っ赤である。その姿……まるで苺大福!

 ソラと茉莉がわちゃわちゃと乳繰(ちちく)り合っているのを見て、璃玖は複雑な気持ちになった。

 ────ソラめ、今すぐその場所を譲れ、と。

 いつまで経ってもくっつき合っている二人に我慢が限界に達した璃玖は、ジャブジャブと水音を立てながら彼女らに接近する。


「おいこらフェス子! お前ソラを男だと認識してるなら、胸を押し当てるのをやめろ!」

「ふんッ、うっさいなナミダボクロ。男の子だと思ってるからこそ自分の武器を最大限に生かしてるわけじゃないか!」


 服を着ているときはあまり目立たないが、茉莉の二つの膨らみは平均よりも少しだけ大きい。巨乳にカテゴライズされるかというと疑問符がつくものの、ソラを誘惑する必殺技としては十分すぎるくらいに有用だった。


「ぐぬぬ、一理ある」

「だろ? つかガン見すんなよえっち!」


 茉莉に思いっきり胸を押された璃玖だったが、少しよろけただけであった。ニヤリと笑う璃玖。掌を上にし、指をくいくいっと曲げて茉莉を挑発する。


「おやぁ、茉莉さん。か弱さアピールですかぁ? わたくしびくともしてませんことよぉ?」

「……うざっ、喋り方うざっ!」


 頭に来た茉莉は璃玖に向かって全身で体当たりを仕掛ける。しかし寸でのところで回避され、顔面からプールの水面に飛び込んでいく形となった。


「ぷはっ! ちょ、こないだの川遊びで顔が濡れるの結構トラウマなんだから!」

「お前から突っ込んだんだろ」


 悔しさに表情を(ゆが)ませる茉莉。だが、その表情は演技であった。茉莉は気付いていたのだ。璃玖の背後、水中から忍び寄る弟の姿に。


(すき)ありーーーー!」

「ファッ!?」

「来舞、ナイス!」


 刹那、璃玖は突如として水上へ身を躍らせた来舞に後ろから羽交(はが)い締めにされる。あまりの出来事に戸惑(とまど)っている隙を突き、茉莉が号令をかけた。


「今だソラくん、一斉攻撃ぃ!」

「ひゃっはー、くらえせんぱぁぁい♪」


 世紀末風にテンションを上げたソラと、仕返しに燃える茉莉との連携攻撃。一人が両手で水を(すく)って璃玖にぶち()けると、続けざまにもう一人が水を掛ける。

 息もピッタリ、互いの攻撃の合間を埋めるかのように交互に行われる水掛けのラッシュに、璃玖は目を開けていられなくなる。


「くっそ、お前ら寄ってたかってぇぇ!」


 璃玖はしばらく拘束を逃れようと足を踏ん張っていたが、不意を突き、背中にいる来舞に向かっていきなり体重をかけた。すると力のベクトルが変わり、来舞は足を滑らせて水中へと没する。来舞ごとダイブを決め込んだ璃玖は、敵の腕が解かれた瞬間にドルフィンキックの要領で三人から距離を取った。そのまま息継ぎのついでに立ち上がり、フローティングボードの方へと水を()き分けながら進む。


「待ぁぁぁてぇぇぇ、樫野ぉぉぉ」

「怖い、怖いって茉莉!」


 フローティングボードの上に飛び乗った璃玖を追って、茉莉もボードの上へと這い上がってきた。そこにすかさず水を掛けるのはソラと来舞。


「おらーー、璃玖、ついでに姉ちゃんも食らえー!」

「茉莉先輩も璃玖センパイも容赦しませんよ!」

「えッ!?」


 標的(ターゲット)が自分にも及んだことに茉莉は驚いた。姉の戸惑いに気を良くした来舞は、(たた)みかけるように追撃をお見舞いした。ボードに体重をかけ、大きく揺らしたのである。


「ばっ、この、裏切者ぉおお!」


 フローティングボード上に水が流れ込んできて、茉莉は思いきり尻もちをつく。彼女が咄嗟(とっさ)に掴んだ璃玖の腕は、体を支えるストッパーにはならなかった。彼女は璃玖と共にボードから滑り落ちていった。


「きゃぁッ!?」

「おわっ!」


 二人はもつれあうようにして落下し、同時に着水する。

 ────その、瞬間。

 璃玖の意識はスローモーションのように引き伸ばされた時間の中にあった。


 水面からうねるように伸び、(いた)る所からあぶくを噴き出す空気の渦を見た。波間に歪んだ陽光の、水中で溶けあいヴェールとなる(さま)を見た。

 腕の中には柔らかな感触。眼前に迫るは黒曜石(こくようせき)(ごと)(つや)やかな髪に、色硝子(がらす)みたく透き通った眼。筋の通った鼻筋に、柔らかな唇。──そう、柔らかかった。水の中で絡み合う二人は、白き泡に()まれながら、そっと唇を重ねて……。


 次の刹那には、目の前で飛び散る火花を見た。


「いッ…………たぁぁぁああああ!?」

「歯がぁぁあ、歯が折れるぅぅうう!?」


 涙目になりながら水面へ顔を出した二人を見て、事情を知らぬソラと来舞は抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)するのであった。

 一方の璃玖たちはそれどころではない。顔面は痛い。痛いのだが、不可抗力でのキスの感触が脳裏に焼き付いて離れない。彼らの脳は大混乱を引き起こし、恥ずかしいやら痛いやら泣きたいやら笑いたいやら、感情が全くもって定まらなくなっていた。

 璃玖が茉莉の方へ顔を向けると、彼女はジト目でこちらを(にら)みつけながら、引き()った笑いを浮かべているところだった。彼女は小声で言う。


「さっきのは忘れろ。良いな。さもないと……殺す」


 璃玖は恐怖で頷くことしか出来なかった。

前へ次へ目次