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Scene2-1 ハチ公の消滅

 お盆休み直前の土日を使って実施されるアウトドア部のキャンプイベント。今回は前回のようなバーベキュー主体のデイキャンプではなく、ハイキングや自然観察をメインにテントでの宿泊も行う本格的なものだ。


 璃玖(りく)が入学した当初のアウトドア部は日常的にハードな筋トレを行うバリバリの体育会系であった。クライミングジムを借りて各種コースに挑んだり、十キロ以上の斤量(きんりょう)を背負って登山をするなど、かなり厳しめの部活だったのだ。

 そこで先々代部長のレミが中心となって部を目的別に分割する計画を推し進め、璃玖が入部して僅か半年後には、先述のようなトレーニング主体のボルダリング・登山部と、キャンプや釣り、レジャーを中心とする現在のアウトドア部に分かれた。

 以来、アウトドア部は全体的に(ゆる)い雰囲気の部活となり、本格キャンプも初年度以降は行われていない。しかし璃玖は今年で卒業予定。折角(せっかく)なので有志を(つの)って本格キャンプをやろう、と企画し実行しようとしているのが今回のイベントであった。


 ────のだが。


『先輩、やばいッス。台風きてるらしいッスよ』

「……知ってる」

『でもさぁ、予報円にギリギリ(かす)める程度じゃん? 行けるんじゃない? なあ璃玖っち』

『いやいや先輩。雨の具合によっては危険ですよ。それに、予報円の右側が一番ヤバいんじゃないでしたっけ』

「くッ……」


 キャンプ予定日の三日前に行われたアウトドア部のオンライン会議において、璃玖は決断を(せま)られていた。自ら立案したイベントが企画倒れになる瀬戸際(せとぎわ)である。

 八月八日に太平洋上に発生した台風八号、名前は『コイヌ』。ネット界隈ではキリの良すぎる数字と名前が話題になり『ハチ公』などとネタにされているのだが、璃玖たちアウトドア部員にとっては笑えない事態である。

 会議中にソラが“予報円の右側が危ない”と発言していたが、実際には“台風の進路の右側(東側)”というのが正しい。現状の予報の通りだとすると、台風の進路はキャンプ地の西側を通過するか、直撃するかだ。あとはタイミング次第であるが、かなり危険な位置取りであることは間違いない。


「……とりあえず、明日の予報を見て状況が変わってなければ中止にしよう。悔しいけど、無理に決行して事故になるのが一番怖い」


 ただでさえバーベキューの時に茉莉(まつり)が溺れかけたのだ。これ以上問題が起きれば、来年度以降の活動は(いちじる)しく制限される。下手すれば廃部だ。後輩に迷惑はかけられないから、璃玖は無理をしないことを決めた。

 ────そして、結局イベント自体が流れてしまうことになった。


 の だ が。


「なんで当日になって台風が消滅するんじゃぁああ! 弱すぎるだろハチ公ぉおお!」


 台風が消えて温帯低気圧に変わったどころか、一部地域を除いて空は晴天。風は少し強いかな、くらいの環境だった。キャンプイベントの全工程をこなすのは難しくても、一部実施くらいならできたのではないかと思えてしまう。


「まあまあ、安全第一ですよセンパイ。あ、そーだ。今日こそケーキバイキングデートをしませんかぁ?」


 璃玖の部屋のベッドの上。ソラは読んでいたアウトドア情報誌を閉じつつ、璃玖へとキラキラに(まぶ)しい視線を向けた。

 元・男の子とはいえ美少女と部屋で二人きり。そして彼女の口から飛び出すは“デート”の一言。ごく一般的な童貞男子なら胸が高鳴って仕方がないはずのシチュエーション……むしろいつもの璃玖なら既に発狂しているくらいに心を()き乱す状況なのに、今日の彼は無反応である。それより何より彼には優先順位が上の事項があったのだ。


「ソラ」

「なんですか、セン……ぱいッ!?」


 璃玖はぬらりとソラに近づくと、両肩に手を置き、目を見開いて叫んだ。


「今日はなぁ……最低限、アウトドアっぽいことするんだよ!」

「えぇ……」


 この人時折相当の頑固野郎(がんこやろう)だよな、とソラは(あき)れるのであった。


「とはいえ、何をするかだよなぁ」

「いくら台風じゃなくなっても海は荒れてそうですし、川も増水してるかもですよね。山はどうですか」

「いつもの銀河山(ぎんがざん)くらいなら良いかもしれないけど、大気が不安定なのは間違いないから、登山はやめておいた方が良いな。山の(ふもと)でできる遊びなら問題ないと思う」


 山の麓の遊びといっても中々すぐに実行できるものは思い当たらない。それこそ前回のデイキャンプのような規模なら動けそうなものだが、準備も何もできていないところから計画立てるには時間が遅すぎるのだ。

 璃玖は悩みに悩み、最終的にはクライミングジムなど屋内で体を動かせる施設しかないと結論づけた。が、そんな時にソラが名案を(ひらめ)く。


「アスレチックとかどうですか? 森の中で適度に運動もできそうですし」

「そ・れ・だ」


 思い立ったら即行動。近隣で良いアスレチック施設がないか、二人は検索を始める。県内には色々と良さそうなアスレチック施設があるようで、検索画面には何件かの候補が示されていた。

 ファミリーで楽しめそうな公園内の施設や、命綱を付けて高高度を行く樹上アスレチック。牧場に併設されているような場所もあった。二人は車でしか行けないような場所は除外して候補の絞り込みを進める。

 しばらくすると、検索画面とは関係なく、適当に開いたブログ記事で絶好のスポットを発見した。その場所は体感型のアトラクションがいくつもあって、バーベキューハウスまで備えているときた。電車で一時間半くらいの距離にあり、県は(また)いでしまうが交通の便は悪くない。


「『フォレストバレイ』だって。ちょっと遠いけど良さそうじゃないか? バンジージャンプとかパターゴルフ、アーチェリーもあるってさ」

「プールまであるじゃないですか。“水上アスレチック”って名目ですけど」


 県内の施設ではないけれど、直感で二人はここに決めた。脳内のおもしろそうセンサーがビンビンに反応しているからだ。


「ソラ、施設にバーベキューハウスの空きがあるか電話してくれるか。俺は今からでも集まれそうなメンバーを探してみる」

「うんっ! 任せて!」


 現在の時刻は九時を少し回ったところ。面子(めんつ)(そろ)え、施設を予約し、移動して十分楽しむにはギリギリの時間である。

 璃玖はアウトドア部のグループメッセージに本日のプランを載せ、参加希望者を募ると共に、番号を知っている者には片っ端から電話をかけて遊びに誘った。

 一方のソラは施設に予約状況の確認を入れた。幸運なことに──施設側にとっては不運だが──、台風接近の予報を受けて多くの団体予約がキャンセルされ、現在は何人でも予約OKという状況らしい。また、性転換者の更衣スペースはあるかと尋ねると、多目的トイレを利用して良いと許可ももらえた。元々身障者の利用が極端に少ない施設なので問題はないそうだ。願ったり叶ったりである。


「くっそー、やっぱり急に呼んでも誰も来れないか」


 璃玖の方は苦戦を強いられていた。一旦キャンプイベントをキャンセルしてしまった為に、部員たちの多くがお盆の帰省を早めるなど、別の予定を入れ込んでしまったのだ。

 また、元々予定していたキャンプとは違って顧問の関与しない完全自主企画であるため、部費として集めたお金は使えない。口には出さなくとも、金銭面が理由で参加を遠慮した者も少なからずいただろう。


「泊まりじゃないなら茉莉先輩とか来れそうじゃないですか? 勉強の邪魔かもしれないですが。……っていうかぁ、ぼく的にはセンパイと二人きりでも良いんですよぉ♡」


 ソラは前屈みになって襟元から胸をチラ見せし、璃玖を挑発する。軽く指を曲げて口元に触れ、目を細めてセクシーな表情。耐性の無い璃玖にはクリティカルヒット間違いなしの悩殺攻撃である。だがしかし。


「オーケー、じゃあ茉莉か来舞に電話してみる。お前は一旦家に帰って出かける準備をしてくれ」

「……チッ。最近ぼくのあしらい方を覚えましたねセンパイ」


 意外にも、ソラの攻撃は璃玖には効果がないようだった。一応姉直伝の必殺技だったはずなのに、あっさりと受け流されてしまう。まあ、実際はドキドキを表情に表さないよう必死で抑えているだけなのだが。

 ……はたして今日は一日、ソラのあざとさに耐え切れるだろうか、と不安に思う璃玖なのであった。

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