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Scene1-6 この日常が続きますように

 家に帰り着いて家族と夕食を食べた後、璃玖(りく)はソラに電話をかけた。無性にソラと話したい気分だった。ちょうど端末をいじっていたのだろう。ソラは三コールもしないうちに電話を取った。


『センパイ、お疲れ様でした』

「本当に疲れたよ……今日のレミ先輩、一段とスキンシップが激しくて」

『あはは。すいません、うちの姉が』


 璃玖は本当に疲弊(ひへい)していた。

 以前の彼ならレミの絡みを苦手に感じるどころか、逆にジョークで返すなどして会話に花を咲かせることが出来た。うまく立ち回れたというより、それが自然だった。だからこそレミとの時間が心地良かったし、だからこそ恋に落ちたのだ。

 しかし例のラブホ目撃事件以降はレミの顔を見るだけで、当時の気持ち悪さがフラッシュバックしてしまう。決して嫌いになったわけじゃない。むしろ今でも大好きだから、余計に胸が苦しくなるのだ。


「いや、実際俺がかなり冷たくしちゃったと思うし、もしかしたらそれでレミ先輩も過剰な接触になったのかもしれない。……今度会ったら謝らなきゃ」

『考えすぎですよ、センパイは。……っていうか今リビングなんですけど、レミも近くにいます。で、すごくニヤついた顔でぼくの方を見てます。何も考えてないですよ、あれは』

「だと良いけど」


 璃玖は溜息を()いた。レミのニヤついた顔など余裕で想像がつく。まさか音漏れはしていないだろうなと少しばかり心配になるが、聞かれていたところで問題発言もしていないから良いだろう。


「それからさ、ソラ。大学の件は本当にごめん。伝えてなかったこともそうだけど、お前の近くにいてやれなくなることも、申し訳ない」


 璃玖は頭を下げた。音声のみの通話だからソラに伝わるはずがないのに、全身が謝罪の意思を自然と示していた。

 “いいえ”とソラは言った。きっと璃玖の謝罪の気持ちが伝わったのだ。──と思ったら、二言目にはこんなことを言い始めた。


『いいえ、許しません。許しませんよ、センパイ』

「えっ、ソラ……さん?」


 ソラの声に怒りの感情が(にじ)む。さぞ(ののし)られるのだろうと、璃玖は覚悟した。そしてどんな罵詈雑言(ばりぞうごん)も受け止めようと心に誓う。ところが。


『許さないので、センパイ、今度会った時は何かお詫びの品をお願いしますねっ!』

「はい?」


 ソラの声のトーンはむしろ明るくなった。半笑いみたいな話し方で物品を要求してきた。


『だから、謝罪の気持ちというの形にしないとダメなんですよ。あ、ケーキバイキング(おご)りとかでも良いですよ。ほら、ああいうのって男同士だと入りづらいじゃないですか。今のぼくなら堂々と行けるので!』

「お、おう……わかった。じゃあ、デート一回で」

『ふふ、デートですね! ────ってレミ、笑わないでよ! ちょッ、お母さんに言わないで!』


 電話の向こうでバタバタと騒がしい音が聞こえる。ソラの声が遠くなり、何やらレミと言い争っている。と言っても二人の笑い声も織り混ざっている感じであり、もう、仲良く喧嘩しな、といった具合だった。

 数分の後、ソラが戻ってきたようでクリアな音声が聞こえてきた。


『すいませんセンパイ。レミが暴走しました』

「はは、全部聞こえてたよ」


 今の一幕は普段の橋戸家の様子が垣間(かいま)見れたようで、璃玖はちょっぴり嬉しかった。ソラもレミもいつ沈んでもおかしくないくらいの精神的爆弾を抱えている。心が病んでしまっても不思議ではない状況なのに、そこには微笑(ほほえ)ましく温かい、確かな日常が存在していた。


『ところで璃玖センパイ。ほくの今日の服、どうでした? 本当は再来週のデイキャンプの時にお披露目(ひろめ)しようと思ってたんですが、見つかっちゃったので早速感想お願いします♪』

「ああ、凄く可愛かったし、よく似合ってたぞ。色味もソラの髪色にマッチしてたし、フリルとかリボンも主張しすぎない感じが凄く良かった。肌が少し露出してたけどいやらしい感じは全く無くて、ソラの快活さをそのまま表現してるみたいでさ」

『Oh……すごい()めますね』

「褒めて欲しいんじゃ……?」

『そうですけど、へへへ、口説(くど)かれているのかと思っちゃいました!』

「くど……ッ!?」


 璃玖は恥ずかしさを誤魔化すために咳払いをした。彼にしてみれば、昔誰かから“服装を褒めるときはなるべく詳しく”と言われた覚えがあったのを実践してみたまでのことだったのだが、まさか口説き文句と受け取られるとは。


「(そういえば“女の子は容姿よりも服装やメイク、小道具を褒めた方が喜ぶ”とも教わったっけ)」


 璃玖は思考する。ソラが心まで女の子に染まったとは思わないが、もしかすると徐々に女であることを受け入れているのかもしれない。どう考えても女性向けの服を嬉しそうに着こなすのも、あるいは心が女性化しているからではないか、と。


「(ま、そんな単純な話な訳がないよな)」


 ソラの心に抱える問題はもっと根深いはずだ。璃玖はソラのことを最大限に気遣いながら電話を続け、他愛(たわい)もない話で盛り上がるのだった。


 こんな日常が続くようにと祈りながら。

短いですが、次回よりScene2に移ります。


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