Scene1-5 止められません
「でもさー、どのみち遠距離恋愛になるから難しいかぁ」
「……へ?」
遠距離恋愛。レミの言葉にソラが反応する。一瞬、何を言われたのかわからないというふうにソラの顔から表情が抜け落ちた。
「遠距離って、どういうこと? センパイ遠くへ行っちゃうんですか」
ソラは既に“恋愛”の部分を否定するのも忘れていた。レミの口から唐突に飛び出した不穏なワード。璃玖が遠くへ行ってしまうかもしれない、そう考えると気が気でなかった。
「あれ、俺ソラに言ってなかったっけ?」
「聞いてないですよ、そんなこと。どういうことですかセンパイ」
璃玖は困った。今、見るからにソラは怒っている。友達だと言い張っていたのにそんな重要なことすら教えてもらえないのか、と。
既に伝えた気でいた璃玖は、自らの過ちを猛省する。本当ならばソラが女になってしまう前に言っておかなければならなかった。今のソラにとっての精神的な支柱は彼である。それが無くなってしまう可能性をこのタイミングで伝えなければならない。璃玖は激しく後悔するのだった。
「実は……涼が丘大学に行こうと思ってるんだ」
璃玖は志望大学を県外の国立大に定めていた。そのため、もしも合格すれば自動的に下宿先へ引っ越すことが確定する。ソラとは物理的距離を強制されてしまう。
「新幹線の距離じゃないですか」
「数時間かけて電車通学してる人もいるらしいんだけどさ。毎日はきついし、サークル活動もするなら向こうで一人暮らしするのが良いかなって」
「なんで涼が丘なんですか?」
「地球科学を勉強したいんだ。アウトドア部に入って、レミ先輩やソラと出会って、それがきっかけで登山やキャンプにも頻繁に出かけるようになって……それで、山の地形とか、岩石とか、そう言ったものに興味を持つようになったんだ。それで専門的なことを学べる学校を探した結果、涼が丘大に決めたって感じだな」
「ぼくたちがきっかけ、だったんですね」
ソラが寂しそうに顔を歪ませる。璃玖が危惧した通り、やはりショックを受けているようだった。無論、ソラだって聞き分けのない子供とは違う。意思を尊重し、受け入れようとしてくれているのは璃玖にもわかった。
「悪い。お前にはてっきり話してあるつもりになってた」
璃玖が頭を下げる。するとソラは首を横に振った。
「聞かなかったぼくも良くなかったです。理学部を目指しているのは知ってましたけど、センパイは地元にいるものだと勝手に思い込んでました」
お互いの勘違いから発生していたすれ違い。実のところ、趣味嗜好が合致しすぎてそちらの話題で延々と会話が続くが故に、進路の話題がほとんど出なかったのが今回の思い込みの遠因でもあった。また、性転換したソラの心を乱さないよう璃玖が引っ越しの話題を口にしなかったせいでもある。知らせないまま放置していたのではなく、知っているだろうことにわざわざ触れなかった、という感覚だ。
「「……」」
沈黙してしまう璃玖とソラ。すると今まで黙って聞いていた来舞が口を開いた。
「まあまあお二人さん、二度と会えなくなるわけじゃーないんだし、そんな悲しそうな顔をすんなってー」
レミも言う。
「ふふふ。全く、本当に恋人同士みたいな反応するんだから、もぅ♪」
二人の反応に璃玖はハッと我に帰った。
「だ、誰かさんが遠距離恋愛なんて言うからでしょう!?」
「いやーん、璃玖くんが怒ったぁ♡」
「く……全く、この人は……!」
璃玖は、なんだか先程から自分が皆に振り回されている気がしていた。普段から人を巻き込むよりも人に巻き込まれるタイプではあるのだが、今日は一段とその傾向が強い。特にレミと遭遇してからというもの、どこか調子を狂わされるというか、自分を出しきれていないように感じられるのだ。
璃玖だけではなくソラもまたいつも通りの調子とは言い難い。姉の手前、璃玖を誑かすような言動を控えているのもあるけれど、仲良しの璃玖と偶然遭遇した割に楽しい気分にはなれなかった。
「「(飲み物を飲み終わったら解散しよう)」」
二人は同時に同じことを考えるのだった。
────
──
その後コーヒーチェーン店の敷地から出た璃玖たちは、これでお開きにしようと提案した。が、来舞とレミがまだまだ遊びたいとゴネ回ったため、やむなく行動を共にすることを継続。近くのインターネットカフェでカラオケルームに入ることになった。
気乗りのしなかった璃玖だったが、カラオケが始まってからは幾分か楽な気分になった。レミたちが歌で盛り上がり、彼女らのウザ絡みが減ったからである。
一方のソラは男性アーティストの曲の音程が低すぎて歌えないことに絶望しつつ、女性アーティストの曲はかなり歌いやすくなっていることにいたく感動していた。途中からはレミたち同様にテンションが上がってきて、璃玖の進学の件は頭から抜け落ちた様子であった。
四時間後。
ようやく解散という流れになったのだが……璃玖にとってはここからが本当の地獄であった。
「ねぇえぇ、璃玖くんが冷たいよぅ。お姉さん悲しいぞぉ」
「……別に、冷たくしているわけじゃあ」
「今日だってソラが引き留めなかったらすぐに逃げるつもりだったでしょ? 仲良しだと思ってたのに、避けられてるみたいで残念だなぁ」
帰りの電車内、璃玖はしっかりとレミに絡まれていた。今日の面子の中で来舞の家だけが違う方面であり、解散、帰宅となればソラやレミと最寄り駅まで一緒になることは自明の理なのであった。
「ねぇねぇ璃玖くぅん♪」
悲しいだの残念だの言う割に、レミの表情は変わらぬ笑顔。しまいには隣に座る璃玖に寄りかかるようにして、そっと手を撫でてくる始末である。
「そ、ソラぁ~!」
璃玖はソラに目線を送り、救援を求めた。が。
「すみませんセンパイ。ぼくにはレミを止められません♡」
「いぃぃいい!?」
ソラにすら見捨てられた璃玖は、その後、橋戸家の前で完全に別れるまでレミの相手をせざるを得なかった。
「そらぁぁああ」