Scene1-2 来舞arrive
璃玖とソラが告白まがいのことを言い合ってから数日、デイキャンプの日からカウントするとちょうど一週間が経過した。
ここ一週間ほどは真夏にしては過ごしやすい気温が続いたのだが、週末より、いきなりの大熱波で日本中の電力が不足するなど、非常に不安定な気候となっていた。
気温の変化にやられたのか、それともソラのことを考えすぎて睡眠が浅くなってしまったからか、璃玖は土日に酷く体調を崩してしまっていた。“今まさに茉莉たちは塾の勉強合宿で頑張っているのだから自分も頑張らなければ”と奮起するのだが、心に身体が追いつかずに寝込んでしまう。
『センパイ大丈夫ですか? 飲み物とか買ってお届けしましょうか?』
「いいよ、母さんがスポドリとか沢山買ってきてくれたから。それよりゴメンな、今日はソラの勉強見るって約束だったのに」
『いえいえ、自力で頑張れという神様からのお告げだと思ってなんとかしますから。今日はゆっくり休んでくださいね』
電話口でソラからも心配の声を聞く。だが璃玖は通話の後、なんとか自分の勉強だけでもこなそうとベッドから這い出して机に向かうのだった。しかしやはり朦朧とした意識では集中力が続かず、すぐに寝床に舞い戻ることになる。
こうして彼は、ただ焦りだけが募る三日間を過ごした。
気が付けば世は七月の最終日を迎えていた。
璃玖にとってみれば、部活のデイキャンプだったり茉莉の告白イベントだったりで慌ただしい一ヶ月だったけれども、勉強面で不安を残す月にもなってしまっていた。遅れを挽回しようと机に向かっていた璃玖の元に友人からの連絡があったのはそんな折だった。机に立てかけてあったタブレットの受話ボタンをスライドさせると、璃玖の方から声をかける。
「もしもし、どうした来舞。お前から電話してくるなんて珍しいな」
『お前が体調崩してたって聞いたから心配してんだよー。つーか大丈夫か? なんか買ってこうかー?』
電話の相手は茉莉の双子の弟である坂東来舞。璃玖のクラスメイトであり、ソラが女になってしまった今、高校の男友達の中では唯一親友と呼べる存在でもある。
「……なんで俺を心配するやつはみんな何かを差し入れしようとするんだよ。てかお前ん家遠いじゃん」
『そこはあれだ。お前の見舞いっていう体で遊びに行こうって魂胆なー。いやまじで合宿キツくてさー。息抜きしたいんだけどうちにいると姉ちゃんと母ちゃんが勉強しろってうるさいんだよー』
「悪いけど、俺も言うわ。“勉強しろ”」
『あぁぁぁああッ! ちくしょう璃玖、裏切りおったなぁあああ!』
スピーカー越しでもうるさい来舞の声に、璃玖は黙って受話音量を下げるのだった。
『じゃあ俺の受験ストレスはどこで発散したら良いんだー!』
「……」
『サッカーもできねー、彼女もできねー、息抜きもできねー。辛すぎて死ぬってーの。なあ璃玖?』
「……」
『璃玖?』
「ああすまん、うるさかったんでミュートしてたわ」
『扱いが酷い!』
親しいからこそ雑な扱いができる。気を使う必要のない間柄というのは、実は今の璃玖にとっては非常にありがたい存在なのだった。今まで一番の同性の友達であったソラは、ある意味一番気を使わなければならない存在に化けてしまった。一緒にいて楽しいのは変わらないのだが、やはり来舞との距離感とはまるで違う。
「じゃあさ、息抜きがてらワオンモールに行くとかはどうだ? 俺も欲しい参考書があって本屋に寄りたいし、ついでに飯でも食おうぜ」
璃玖の提案に、来舞は大袈裟なくらいに食らいつく。
『うおぉぉおッ、良いじゃん遊びに行こうぜー! いつにするー!? お前の体調さえ良ければ今からどうよー!』
「昨日くらいから体調は戻ってるから全然問題ないよ。今からだと……ちょうど十二時にワオンの駅前入口んとこでどうだ」
『モーヘンタイのモウマンタイ!』
このごろ流行りの芸人の一発ギャグで返事をする来舞。璃玖にはそれが芸人のネタだというのはわからなかったが、“まーたくらだないこと言ってるな”と苦笑い。来舞の軽妙なノリに心が軽くなった気さえしてくるのだった。同世代の男友達は、やはり良いものだ。
***
正午過ぎ。璃玖が待ち合わせ場所で携帯端末をいじっていると、駅の改札口を抜けて、一人の男が駆け寄ってきた。
「おーーっす、璃玖ー!!」
大きな声で名を呼ばれた璃玖が声の方に目線を移すと、そこにいたのはやたらに英字が書かれた黒Tシャツにジーンズ姿、眩しいくらいの金髪をしたシルバーアクセサリーじゃらじゃらの若者だった。目鼻立ちがしっかりしている点は茉莉とそっくりだが、纏っている雰囲気は百二十度くらい違う。少なくとも服のセンスは真逆であった。なんというか、痛々しい。
「人違いですね」
璃玖が冷めた口調でそう言うと、男は途端に腰を低くして、
「あー、すみません。知人とそっくりだったもので……ってそんなわけあるかーい!」
と、璃玖の胸を手の甲で叩き、盛大にノリツッコミを決めた。と、思ったら次に彼はぱちんと音を立てて両の掌を合わせ、気まずそうに表情を歪めながら、軽く頭を下げる。
「よう璃玖。すまん、乗り換えの接続でミスって遅れた! 五分! すまーん!」
「五分くらい誤差だから大丈夫だよ。っていうか来舞、何だよそのクソダサい金髪は。夏休みだからってはっちゃけすぎだろ」
来舞は自身の前髪へと目を向けて、見えている部分を指でくるくるとこね回す。
「えー、似合うと思ったんだけどなー。ま、校則とか今は関係ねーんだし、このくらいは許せよ。とりあえず腹減ったからなんか食おうぜー」
「はいはい」
こうして無事に合流を果たした二人はフードコートへ移動した。
──ニ十分後。
中部地方では割とメジャーなラーメンチェーンのランチメニューで昼食を済ませた璃玖と来舞はその足でフードコートのある三階をぶらつき、やがて端にある書店に入っていった。手前にあった漫画コーナーに気を取られている来舞を放置して、璃玖は奥の参考書コーナーへと足を運ぶ。いろいろ手に取って選んでいるうちに、一人で心細くなったらしい来舞が璃玖を探してやって来た。
「なあ来舞。こないだお前の言ってた参考書が気になってるんだけど、どれって言ってたっけ」
「んあ? ……あー、塾の先生がコピーしてくれた奴な。ちょい中身見て確認するわー」
そう言って来舞はそれっぽい参考書を手に取ると、ぺらぺらとページを繰り始めた。そして三冊目に選んだ本を手に取り適当なページを開いた瞬間、彼はそれが璃玖の探している参考書に違いないと確信した。
「これだこれ。正直例題ページは微妙だけどさー、解答解説がめっちゃわかりやすいの」
「どれどれ。おおっ思った通り、これ良いかも。俺解答の方がしっかりしてる本の方が好みなんだよね。サンキューな、来舞」
おうよ、と来舞はどんと胸を拳で叩く。どうも演技がかっている仕草の多い彼だが、彼にとってはこれが普通なのだ。浮世離れしているけどどうにも憎めない、そんな存在。
ちなみに、浮世離れしているのは言動だけではないようで。
「……今気づいたけどさ、お前その金髪ポニーテールにしてんの?」
「今更気付いたのかー? 姉ちゃんの持ってたゲームのキャラがこんな感じの髪型だったから真似してみたんだぜー。どうよッ!」
「はいはい似合ってる似合ってる。それより茉莉の好きなゲームって時点で嫌な予感しかしないんだが?」
来舞が言うには、金髪イケメン吸血鬼が執事らしい少年の首筋に噛みついているのがタイトル画面らしい。茉莉が密かに携帯端末にダウンロードしていた、おそらくはBL要素の強いノベルゲーム。姉の端末を勝手に拝借した彼は、メインの男性キャラの容姿にヒントを得て髪型をいじったようだった。
得意げに話す彼だったが、璃玖はため息交じりに忠告する。
「お前、その髪型の由来は茉莉に言うなよ。たぶんキレる」
「おん? なんで? 自分の好きなゲームのキャラ参考にしたって言ったら喜ぶんじゃねーの、ふつー」
「お前がそう思うのならいいよ……」
来舞の様子に不安しか感じない璃玖なのであった。