Scene3-11 『好き』
「ソラお前、どうしてここに?」
璃玖が内心の動揺を抑えながら質問をすると、ソラは屈託のない笑みで答える。
「いやー、ぼくって一学期の成績ヤバかったじゃないですか。強制補習は免れたんですが、追加のプリントを取りに来いって先生が」
「それで学校に来てたのか」
先程送ったメッセージには既読すら付かなかったのを璃玖は思い出した。きっと教師に呼び出された時に色々と話をしていたのだろう。それで端末を見ることができなかったのだ。
「でもなんでこのタイミングで駅に」
「さっき茉莉先輩に会ったんですよ。その時、もう少ししたらセンパイが来るって聞いたんで、どうせなら一緒に帰ろうかと」
「茉莉と一緒に帰るのもアリだったんじゃ?」
ソラの立場からすれば、自分を好きでいてくれる女子と行動を共にするのも悪くないだろうに。そのままプチデートみたいな感じになったら、茉莉はさぞかし喜んだに違いない。
ただしその場合、璃玖はなんとなく嫌な気分になりそうだったが。
「えー、センパイはぼくに会えて嬉しくないんですかぁ?」
「そうは言ってない」
嬉しかったなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えない璃玖である。
が、何かを見透かしたようにソラはニヤついていた。
「で、本音はどうなんですか?」
「何が」
「ふっふっふー♡」
この後輩はいつもあざとくてつらい。
璃玖は顔を背けつつ、何を言われているかわからないとうそぶいた。
「全くセンパイは……。と・こ・ろ・でぇ、ぼくが告白されたって聞いて、どう思ったんですか?」
「うッ」
どうやら茉莉は告白の件を璃玖に打ち明けたことをソラに話したらしい。
しかしだからといって馬鹿正直に胸のわだかまりを晒してしまうのは璃玖には躊躇われる。からかわれるならまだマシだが、妙に重く受け止められてしまう可能性だってある。ソラがどんな反応を見せたって、きっとより苦しくなってしまうだろう。
「せーんぱい♡ 聞かせてくださいよぅ」
「やーめーろ」
前のめりに顔を覗き込んでくるソラの肩をぐいと押して、璃玖は物理的距離を確保した。今不用意に顔を近づけられるのは心臓に悪すぎる。湖面に反射する光のように美しいソラの瞳は、璃玖にとっては心拍数増加装置そのものだった。
「なんでですかッ、良いじゃないですか、減るもんじゃないし」
「減るんだよ、寿命が」
心臓の拍数と寿命には関連性があるらしいからあながち間違いではない。
「ドキドキしちゃいますか?」
人差し指を口元に置いた、ソラの小悪魔スマイル。距離に関係なく心臓を撃ち抜いてくる遠隔攻撃。
思わず心が吸い込まれそうになるのを、璃玖は気力で堪える。
『間も無く電車が参ります。黄色い線の内側まで──』
ちょうどその時、ホームに自動音声がかかり、電車が接近してくるのが見えた。ここぞとばかりに璃玖は話題を逸らす。
「ソラ、とりあえず電車に乗ろうか」
「あーっ、センパイ誤魔化したなーっ!」
可愛らしく膨れるソラなのだった。あざとい。
***
最寄りの駅で電車を降りる。ワオンモールへ寄り道をしたせいか、帰路を歩く頃にはすっかり夕方だった。
「ねえ、センパイ。この後ウチに来ませんか?」
ソラにとっては学校帰りに璃玖を自宅に招いて遊ぶことはごく当たり前の日常だった。
しかし今日の璃玖にとっては意味合いが少し違う。『女の子としてのソラ』を強く意識してしまっている彼には、部屋で二人きりの状況で正気でいられる自信があまりなかった。
「悪いけど、今日はやめとくよ」
「そう、ですか……」
ソラの表情はちょっとだけ寂しそうだったが、璃玖は特に気にも留めずに歩き続ける。
そんなソラの足が前置き無く止まったのはちょうど児童公園の真横に来た時だった。
璃玖はソラが近くにいないことに気が付くと、一瞬どきりとして振り返る。コンクリートでできた小山の遊具の影に包まれるような位置で、ソラは立ち尽くしていた。
「ん? どうした、ソラ」
璃玖が呼びかけると、ソラは俯きながら自信なさげな小さな声で言う。
「もしぼくが『好き』と言ったら、センパイは嬉しいですか?」
璃玖ははじめ、聞き間違いかと思った。あるいはタチの悪い冗談かと。だけどソラの顔は真剣そのもので、とてもジョークには見えなかった。
「ぼく、茉莉先輩に告白された時、すごく嬉しかったんです。優しくて、面倒見が良くて、綺麗で、カッコ良い人だから。でも、どうしてかあの時……璃玖センパイの顔が浮かびました。それで、曖昧な返事をしてしまったんです」
ソラは一歩だけ前に踏み出す。
瞬間、夕日がソラの揺れる瞳を照らし出した。揺らぐ感情を映し出した。
「ぼくは、男の人を好きになることなんて無いと思っていました。いえ、今も思ってます。だけどセンパイのことだけは、何か、特別な気がするんです。この気持ちが恋愛としての『好き』なのかはちょっとわかりませんけど」
「ソラ……」
ソラは頭を下げる。
「すみません変なことを言って。だけど聞いておきたくて……もしもぼくから好意を持たれたら、センパイはどう思うのかって」
これはもしもの話だ。しかし、今の璃玖にはかなり心に来るものがあった。
ソラと出会ってから二年、【性転換現象】から三ヶ月。男の子としての時間のほうが圧倒的に長いはずなのに、心のどこかで女の子のソラを望んでいると気付いてしまったから。ソラから好きと言われたら、素直に喜んでしまいそうな自分を容易に想像できるから。
璃玖は唾を飲み、息を吐いて気持ちを落ち着かせた。落ち着かなければ、まともに回答などできない。
「お前から好きって言われたらさ、そりゃあ嬉しいと思うよ。ソラは……その、すごく気が合うし、一緒にいて楽しいし、見た目だってほら、かっ、可愛いし」
「本当、ですか。こんなぼくの好意でも、受け止めて、くれますか」
璃玖は微かに首を動かす。頷くような、ただ俯いただけのような小さな挙動。
しかしそれでもソラは安心したように肩の力を抜いてくれた。
「──なんかアレだな。仮定の話とはわかっているけど、恥ずかしいな。やっぱり」
璃玖は息を吐きつつそう言った。ほんの一瞬でかなりの精神力を削り取られた気分だった。
「えへへ。本当の告白みたいでしたね」
「ああ。最初は本気で好きと言われたのかと勘違いするところだったよ」
「まさか。ぼくはセンパイの好きな人のことも全部知ってますからね。本気なわけがないですよ」
立ち止まっていたソラが歩き始める。璃玖はソラが近く来るまで待ってから、歩調を合わせて隣を行く。
ところが、言葉も無く数歩歩いたところで、ソラは璃玖に向かって小声でこう告げた。
「──まあ、半分くらいは、本気でしたけどね♡」
どきりとした。してやられたと思った。仮定の話で油断させておいて、いきなり仕掛けて来るなんて。
まさに小悪魔の所業。いや、『小』を取ろう。ソラがやったのは、悪魔の所業に他ならない。
一方で、璃玖にはわかっていた。ソラがこうして璃玖をからかう時、それはソラが最も本心から遠ざかっている時だと。あざとさを演じることで自分の心を守っているだけなのだと理解しているから、璃玖は一瞬鼓動が跳ねたものの、すぐに冷静になった。
冷静になってまもなく、璃玖の中に少しだけ意地悪な心が芽生えた。先ほどからやられっぱなしな気がする。このまま良いように弄ばれるのは癪だった。
「じゃあ俺も、本当のこと言わなきゃだな」
璃玖はソラの顔の横に掌を持っていき、耳打ちするように告げた。
「俺も、ソラのことが好きだよ」
「……ふぇ?」
間抜けな声を上げるソラに、もう一度。
「ソラのこと、大好きなんだ」
「え、えええええ!」
ソラが耳まで真っ赤にして、飛び上がりそうなくらいに背すじを真っ直ぐにした。まさか面と向かって、こんなタイミングで、璃玖から告白されるとは思っていなかったのだ。
尖らせた唇をもごもごと動かしたり、眉が上下したりとせわしなく表情を変えるソラ。やがて唇を薄く開いて……
「あの、良かったら一度──」
ソラが何かを言いかける。すかさず璃玖は食い気味に言った。
「もちろん人間性とか、そういう意味でだぞ」
「──ぇ」
「だから、尊敬すべき人間として、お前のことが好きだと言ったんだ」
瞬間、ソラの顔がみるみる上気していく。先ほどまでとは違った意味で、全身くまなく紅潮し、茹でダコみたいになっていった。
今のは普段ソラが璃玖に対して行っている悪戯の意趣返し。璃玖の渾身の一手だった。
「んー? 何だソラ、顔が赤いぞ? 熱でもあるのか?」
ソラは真っ赤になって地団駄を踏んだ。
「くぅうううッ、ひ、卑怯だッ。っていうか、せ、センパイだって顔真っ赤じゃないですかッ! 自爆テロですかッ」
「こ、これは夕陽のせいで赤く見えるだけだって。決してお前を意識したわけじゃないからな!」
慣れない精神攻撃を仕掛けたせいで、自分まで気恥ずかしくなり、赤面していた璃玖。痛いところを突かれ、非常に苦しい言い訳をする。
ソラはそんな彼に向かって、
「うるさい! センパイのばかぁぁ!」
「いって、なにすんだよソラ! 暴力反対!」
……と、肩パンチをお見舞いし、その勢いのままに帰路を進み始めた。
ソラは歩く。
相変わらず真っ赤に色付いた顔のまま、思わずにやけてしまう口元を掌で覆い隠すようにしながら、璃玖に顔を見られないよう、早足で。
次回より第二章に移ります。
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